●Serve a servant(奴隷に仕えよ)
なんかこの超理屈っぽい小説、はやくもお気に入り登録&評価してくださる方が!
ありがとうございます!
古本屋の主人となって、社会人になった今にして思えば、彼が彼のような「学校儲」(儲、とは、このご時世今更説明するまでもないと思うけど、「信者」の蔑称です。字をよく見てみよう)になったのを、ようやっと理解するようになった。
今もなお、好きにはなれない。
ただ、彼が誕生するに至った経緯は理解出来る。
つまり、社会は「そのような思考・立場・職業」を必要としていたのだ。
そのような社会を当時は軽蔑していた。今でもそうだ。
古本屋なんぞのような、時流から外れた職業を生業としているのも、そのせいかもしれない。きっとそうだ。
ただ……
学校というのは、ある種の人間を育成するのには、とても適している。
どんな、と言われたら、「働きアリ」。
僕は学校が「市民」とか「教養人」とか「自由人」とか「趣味人」といった人間を作るための機関でないということをつくづく悟り、その逆の人間――働きアリを大量生産するために存在しているということを悟ったとき、いろいろなものが腑に落ちた。
誰も、自由なんか求めていないのだと。
教師も、生徒も、親も、社会も。
上で書いた、規則だの点数化(偏差値とか)だの、競争原理だの、これらはことごとく、「プレ(前)社会」じゃないか、と。
準備をするためなのだと。
何のための?
働きアリになるための。
要するに僕は、学校に幻滅しているふりして、実はまだ「知に至る機関」だと最後の望みを捨てていなかったのだった。青臭い……。
タイトルはニルヴァーナの「イン・ユーテロ」の一曲目です。
これdeath!
↓
http://www.youtube.com/watch?v=ODn21NOi-dQ