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●埼玉県草加市のベッドタウン

越谷(埼玉県の中でもちょい大きめの町と思ってくだされば)の大学から、電車に乗って数駅。草加市(埼玉県の中でもそれなりに大きめの町と思ってくだされば)の駅へと、いつものように辿りつく。


僕の家は草加の……昔住んでいた、あの町。ベッドタウンと言われるあの新興住宅街。団地がやたらと立ち並ぶ、非常に人工的な町並み。ハコの乱立。いかにも郊外。そんな町。


そこで、僕としーちゃんは育った。


すげーイラつくのは、そういう町で育った子供は、創造性に欠けるとか、管理されたつまらない子供だとか、ハングリー精神に欠けるとか、そういったことがマスコミでやたらと喧伝されるのだ。事件とかあると。


一概に決めつけるな! この手の決めつけは、論を進めるにおいて、そりゃ楽だろうが、しかし暴論にもほどがある。


どんな都会だろうが、どんな田舎だろうが、きちんと育つ餓鬼は育ち、駄目な餓鬼は駄目なのである。それが原則って奴だと思う。


はー、はー……エキサイトしてしまった。そう、僕は奈良の田舎で生活していて、よくこの手の誤解に付きまとわれてきた。こういった差別的な発言を良く聞いてきたのだ……


ああ、ああ、しかし、今僕が「あるべき場所」で暮らしていることに比べれば、瑣末なことだ。ベッドタウン、郊外についての「ちょっとした無理解」は今後続くだろうが、僕はこの郊外から、新しい思想、新しい芸術、新しい人達すら生まれ出てくることを予想している。


ああ、ああ、しかし、今僕が「あるべき場所」で暮らしていることに比べれば、それも瑣末なことだ。


僕は、しーちゃんは、ここに、この変哲もない、歴史もない、ただの町に返ってくることを、何よりも望んでいた。そしてそれが叶った。


それだけだ。


それだけの、なんという……


僕らは(さすがに手は繋いでいないが繋ぎたい)駅から、また歩いていく。

駅……そうだな、駅のことをちょっと語ってもいいかもしれない。


僕がここに住むにあたって、再びこの地を訪れたとき、当然の如くこの駅に降り立ったわけであるが、「あれ? ずいぶん変わったかな?」と思ったのは事実で、しかも真実は、その認識より数割増しで変わっていた、というのがさらなることだったのだ。


ごくとうぜんの話である。僕が中学に入る前、そして大学に入るとき、計六年。それだけの年月があったら、変わるものは当然変わるわけで。とくにここいらは、都会ど真ん中ではないが、都会周辺であるからして、で、都会とは何かというと、「絶え間なくバージョンアップしていくところ」なのだ。


具体例を言えば、僕が子供のころは、この駅は、地面に面したものであった。というか、線路が地面に面していたから、それに伴ってプラットホームが地面にあった、という当然の話なのだが。


それがいつの間にか高架線になった。踏切というものがなくなり、電車は「頭の上を走っているもの」となっていた。この埼玉→東京圏域の東武線が、高架ラインの効率性・迅速性を尊んだ証である。それだけ速さが求められ、それだけ乗客が溢れんばかりに詰め込まれることになるのだ。速い車両が何本あっても足りやしない。


段々と、このようにして、駅というものが「せわしなく」なっていったのを、僕は子供ながらに覚えている。


で、今の駅はどうなったかというと、オサレになっとるのである。全体的に。


綺麗な水が流れている水路には、ちょいヨーロピアンな装飾があり、全体的に薄臭かった構内は全面改装、アパレル系のテナントが入っている。


昔立ち食い蕎麦があったところは、より改築され、ちょっとした大きさのフードパークになっている。ラーメン寿司ケンタッキーフライドチキン。


駅前は昔から、それなりに賑わっているところだったが、それが今では「ちょっとこれは奈良の中心部以上だぞ」みたいなほどの盛り上がりである。そりゃ都心に比べれば、あるいは草加の中心部に比べれば、店の規模・品ぞろえは落ちるが、しかし店の密集度合いは、ぷち都会、といった具合である。

反対側の駅前には、大きなテナントビルが立っていて、その上階には、昔僕が、わりに遠くまで足を運ばなければならなかった、ここいらで唯一の図書館が、移転されていた。遠目からでも、いかにもスマートで、機能的だ。


で、そのあたり一帯は、バスやタクシーの停留所で、また、さすがに中国にははるかに及ばないまでも、大量の自転車が置かれた駐輪場がある。どうしてどこの駐輪場も、マナーが悪いんだろうね……。それにしたって、この停留所の規模! ざっと三倍、否、少なく見積もってだ。子供時代の感覚からしたら、五倍くらいには思えるのではなかろうか。


そんな駅である。そしてそんな変化は、この町のいたるところにある。要するに、ベッドタウンとしてバージョンアップした、ということだ。都市を巡る過密化状況は年々増し、都心がくそ住みにくくなる代わりに、その周辺都市のポテンシャルが上がっていく……都心に追いつくということではないけれど(無意味だ)、都心じゃなくても手に入るもの(有形無形問わず)のポテンシャルは余さず手に入れたい……近場で。


昔郊外は、「都心離れてるんだからしょうがないよね」的なある種の諦めがあった。しかし今や、モノ自体はネットでいくらでも手に入るのだから、問題はQOL……暮らしの質、ということになる。そうした結果、郊外のポテンシャルの向上である。ごみごみしすぎの都心より、なーんもない田舎より、「ほどほどに何もかも揃い、利便性を良くした」我らが郊外王国は、今日本の根幹を……わりにどうにもしてないな。しょせん郊外は郊外だ。情報量は都心に比べるべくもないよ。


だけど、そんなことは、ただ平和に住む人間にとっては、関係がない。こんな社会学は、都市計画と土建屋が好きにいじくってくれればいい。


僕らにとっての郊外は、郊外の意味を成していない。何故なら、僕らはそういう言葉を意識する前から、ここで育ってきているのだから。


例を挙げようか。


僕としーちゃんは、団地……集合住宅のことである。白い、昔と変わらない……まあ、リフォームくらいはされたのだろうが、「駅近くの安物件」として、何十と同じマンション群が、この町にはある。ここが滅びたら、さぞかし後代の人間は「い、遺跡!」と思うことだろう、この林立群。

でもそれも、僕としーちゃんには慣れた姿だ。僕らはその団地マンションの間の道を、目的の場所に向かって、すっすっす、と歩いていく。たわいもない話をしながら。そう……僕のこれから買うエロゲのような(世界女優に対する話題としてそれが適切かどうかは、知らんっ!)。


子供のころからそうだ。僕としーちゃんは、どちらからともなく話し合い、こうやってショートカット的最短ルートで遊びに出かけて行った。


ベッドタウンに遊び場なんてあるの? という偏見をぶち殺したい。


団地と団地の間に、バイパスへ抜ける道がある。そこはひとつの商店街ふうの様相になっていて、書店やおもちゃ屋やレンタルビデオ屋など、オトシゴロの少年少女の心を揺さぶるナイススポットが点在している。インナー趣味専門じゃねえかって? いやいやさにあらず。バイパスにちょいと抜けてみたら、今度はファミレスが車の入りのよさそうな立地にあったり、大型スポーツ用品店、ならびに施設があったりするのだ。


さすがにこんな住宅密集街においては、遊園地的なアミューズメントパークは望むべくもないが、そこはそれ、ベッドタウンの利便性の第一、各方面への足回りのよさを活かせばよろしい。


話がそれた。ベッドタウンに、郊外に、遊び場はある。


ナイ、と悲観するのは、遊び心のない連中であって、遊び心のある――そう、それが子供と呼ばれる――にとっては、どんなとこだろうと、遊び場になるのである。


例えば川がある。川といっても、このような街においてはドブ川である。高度成長とともに引き換えにした水の清らかさ……それでもアクティヴな子供は、そこでザリガニや鮒などを釣ったりするのだ。僕はようせんだったが(ああ、インナー趣味)。


で、僕らが今行こうとしている商店街も、そんな感じ。


団地と団地の間には、緑地空間のようなものがあって、NYのセントラルパークの如しとはとてもいわんが、奈良の圧倒的緑地感とまでもとてもいわんが、それでも「ぷち都心」にしては、緑がある。土がある。人の手によって区画整備された限定なる緑なれど、そこには緑がある……これじゃSFじゃねえか。


まあ、そんな(大人の目をしてみれば)SF緑も、子供にとっては遊び場になるもので。


そこを抜けていくのが、子供のころからの近道。


しかしそれにしても、この町こんなに小さかったっけ……僕らがこういう道を通ってあれこれ行くのには、もっと時間がかかっていた記憶が確実にある。


それも当然の話で、僕らは大人になったのだ。足の長さも違えば(しーちゃん、足の長さの比率が凡人とは違うんだよな……さすがモデル)、歩く意志も違うように思える。今は「まず買い物、それから用事」みたいな。そんなのもブースターになってるだろう。


で、僕らは商店街……通称「C地区」に行く。


なんだその即物的な名前、と言われるかもしれない(当然)。ただ、僕らはここをそう呼んでいた。他の人はよう知らんが、ある程度はそう呼んで通った。


「C地区」というのは、団地の区画の名称である。この町の団地は、それぞれA、B、C、Dの区画に分かれていて、それぞれ小さな商店街……というか、商店の寄せ集まりの場所、それにプラスして、公園がある。

これもまた、緑地区画と同じように、町民の(あるいは団地市民の)憩いの場として機能している……人工的に区画された場所だ。

じゃ人工的に区画されてるからといって、いかにも「お上が作りました」的な「キチキチに詰め込んだ」感があるかというと、案外そうではない。


例えば……


「どうもこんにちは!」


とてもジューシーな臭いを醸し出している肉屋の軒先。しーちゃんは店主に挨拶をする。


「おお平崎姉弟、まいど! 今揚げ物出来たばかりだよ」


「それは素晴らしいですね」


「祐君よ、お前ほんと子供んときから変んねえなあ」


「自覚はあります」


「そうですよね、ほんと。でもそれが祐君だって感じしませんか?」


「うーん、まあ、しーちゃんのいうとおりだろうな。コロッケにするかい? それとも唐揚げで?」


「両方ください。量は……」


僕たちは、昔馴染みの店主と、そう会話をする。


僕は正直言って、僕以外の人間が、しーちゃんのことを「しーちゃん」と呼ぶのを嫌う。子供じみた癇癪だが……でも、この人たちは別だ。子供のころのしーちゃんを知ってるから。そこには「しーちゃん」と呼ぶべき道理があるから。


ここのコロッケは実にコクがある。新鮮な牛肉と玉ねぎのまろみを帯びた味が、実によくジャガイモとマッチしている。唐揚げも絶品だ。オリジナルブレンドのタレは、これでなくては、という味であり、それにしっかり漬けこまれている肉のジューシーさといったらない。それが揚げたてだっていうんだからね。


それから僕らは八百屋に行き、


「よ、今日も仲いいね、なかなかいいリンゴ入ってるんだけど、どうする?」


とか、

総菜屋に行って、かなりのポテンシャルを秘めた、しっかり出汁がとられているテイクアウトの煮物を、店の中でタッパに取り分けて買う。値段はとても安い。なんだか子供のころから変ってねえんじゃないか、みたいに安い。


今日は夕飯の買い出しなのでケーキ屋とかパン屋には行かないし、僕もしーちゃんも酒は呑まないので酒屋にも行かないが、必要と応じればそこにも行く。当然ながらみんな僕らのことを「平崎姉弟」として扱う。「女優・シーナ・ヒラサキとその連れ」ではなく。


それが、一番嬉しい。


人情があれば全てこの世の商売はこと足りる、と言うほど僕も甘ったれてはいないけど、僕らを僕らとして、きちんと人間として扱ってくれる。そのような付き合いをしてくれる。そういった店に自然と足が運ぶのも道理だろう。


ここの人たちは……本当に、昔と同じような扱いをしてくれる。僕らのことを覚えていてくれている。それが、ひたすらに嬉しかった。


だから、この「C地区」が、人工的に造られた商店街でも、僕らは一向に気にしなかった。そこは僕らが、とても人間的に買い物できるところだったからだ。コンビニとかは、まるで真逆。


そんな店が、この町にはいくらもある。だから、ベッドタウンには情がないという人間には、反逆したくなるのが僕なのだ。


そんな実例があるのだから……。

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