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マガツキ  作者: 忌々椎名
3/3

ヤミツキ 邪悪な視線①



     病み憑き。



『邪悪な視線がこんなに可愛いわけがないッ!』




 あの後、律儀に外で待ってくれていた霊海に、サキさんの魂がすっ飛んでしまったことを話した。


 僕の肉体言語による説得に納得はしてくれたものの、霊力を持たない霊海に妖狐を任せてはおけないし、かといって野放しにしておくわけにもいかない。


 ――ということで、不本意ではあるが、結局僕が面倒を見るという話になった。


 霊海の家には及ばないものの、僕の家も由緒ある家。


 それに僕の使っている部屋――というより、家か――は、真ヶ月家の離れにあるため、こっそり住まわせることは出来る。


 当然霊海は反論したが、霊海ではどうすることも出来ないのと、化け狐自身の霊海に対する反抗的な態度から、渋々ながらも了承してくれた。僕の姉に対する信用が非常に高いのもあって、だ。


 幸いというべきか、姿はサキさんのままなので『サキとして』生活すれば、いつも通りの日常を過ごすことが出来るのは大きい。


 コイツはばかだが、高校に通うことくらいは出来るだろう。勉強や素行はどうでもいいして、登校日数だけは確保しておかなければ、サキさんの知らぬ間に留年ということになれば可哀相だから。


 同じ高校に通うのはとても煩わしいが、コイツのせいで学校側に何かしら被害が遭ったら、保護者的な立場にある僕の責任だ。ゆえに、いくつかの約束をした。


 一つは、教室では誰に何を言われても無言を貫き、狐耳や尻尾を隠し、大人しくすること。


 一つは、絶対に一緒に帰ること。僕の帰りが遅くなった場合は、それまできちんと待つこと。


 一つは、決して人を殺さないこと。それだけだ。




 ただし、コイツが簡単に言うことを聞くわけがないと確信しているので、しつけという名の『脅迫』は仕込んでおいた。


「ガクガクブルブル……」


 視線を落としたまま廊下の端にうずくまっていたサキが、僕の足元を見て電動コケシのように震え出した。


「帰るぞ、サキ」


「や、やくやぁ……?」


 潤沢な目尻を袖で拭うサキ。どうにも涙が伝っているようだ。容姿はサキさんのままだが、決して可愛いだなんて思ってはいない。正直ドキリとしたけれど。


「教室で何かあったか?」


 しゃがみ込んで目線を合わせ、問い掛けてみる。


「…………ひと。人がたくさん我に群がってだな……。も、もちろん我慢はしたぞ? 貴様の言い付けは守ったつもりだ」


 まだ声は震えているが、サキは少々誇らしげに胸を張った。


 元のサキがどのような生徒だったかは定かじゃないが――恐らくはお調子者だったのだろうが――、二日ほど休んだ後、突然金髪になって登校してきたのだ。


 言わば高校デビューである。ヤンキーである。ほかの生徒が疑問に感じて問いただそうとしても無理はない。


「ほー、友達が出来たのか。よかったじゃないか」


「だっぁああぁぁれがトモダチだぁッ! それにそういう問題ではないっ! あやつらは調理実習だかなんだかで、我にこのような『モノ』を……っ!」


 眉間や口元にシワを寄せまくって顔芸を繰り広げるサキが僕に差し出したものは、サキに与えていた通学用のバッグである。





 ファスナーが開き気味になっており、中からはビニール袋が見えていて。動かすたびに『クシュッ』と寂しげな音を奏でる。


 ……独身のOL辺りがひとりぼっちの部屋で聴いたら、発狂しそうなほど寂しい音色だろう。


 さっそく、サキからバッグを受け取る。何やらずっしりとした重量感。中身を覗き込む。


「……ああなんだ、岩塩か」


 しかし、それはなかなかに巨大である。一回り小さめなサッカーボールくらいの大きさ。これだと単に『岩塩』と言ってしまうよりも、『塩の張り付いた岩石』と言った方がしっくりとくる。


「ななっ、なんだとはなんだ! このようなモノ、即刻始末しろ! 我の手には負えん!」


 サキは顔を真っ赤にして、僕に指差した手を幾度も振りかざす。狐というよりは猿に近い。


 けれどそうか、岩塩だって『粗塩』には違いない。


 ――よく『清めの塩』だとか云われる通り、塩にはさまざまなモノを浄化する力がある。が、それは『粗塩』でないと効果が薄い。





 僕も詳しくは知らないのだが、精製塩だとダメなのだという。だが確かに、粗塩と違って精製塩には人間を守る力はない。


 憶測だが、人の手――つまり『穢れ』が干渉することによって、自然から生まれた塩が本来備えている聖なる力を失うのだろう。


「しょうがない、バッグは僕が預かってあげるよ。代わりに、サキは僕のバッグを持っててくれ。交換条件だ」


「うむ……」サキは渋々僕とバッグを交換した。意外にも自分のバッグを気に入っていたのだろうか。


「それにしても、あやつはなぜそんなものを我に渡したのだろうか……? それがなければ、我が貴様のバッグなんぞ持つこともなかったというのに。嫌がらせにもほどがあるぞ、まったく」


 スネた人のごとく、極端に唇を尖らせて不満を垂れるサキ。そんなに僕のバッグがイヤか。


「最近、悪霊が多いみたいだからな。真ヶ月の方にもお祓いに来る人が多いし。サキがいきなり金髪になってる上に何も喋らないしで、何かに取り憑かれてると思ったんじゃないか? まあ、取り憑かれてるんだけどな」




「くっ……言い返せぬのが悔しいッ! もう帰るぞ!」


 そうやってサキが膨れっ面になり、踵を返した直後。


「…………」


 黒髪を額の真ん中で分けたロングヘアーの女の子が、フラフラと僕の正面を通りかかった。


 ぼんやりと虚無を見据える、茶褐色をした失意の瞳。だらしなく廊下を踏み締める両足だったが、それでも前へ前へと突き進む。


 ――瞬間、鼻をかすめる嫌なにおい。僕の霊眼には、女の子の前を先導するように歩く黒い影と、女の子の背後をついていく浮遊霊がいくつか視えていた。


 見る限り、あれらは悪霊ではない。何か精神を病ませる力に引き寄せられて、誘引され、女の子に『仲間意識』を持って一緒にいるだけで――しかし、それがさらに精神の病気を助長させている。そんな雰囲気が読み取れる。


 やがて女の子は廊下の先へ、階段をのぼって見えなくなった。


「サキ、ちょっと行くぞ。危険なにおいがする」


「……放っておけ。そんな低級霊ごとき、我や貴様が手を出す必要もあるまい。もしそれであの娘が死んだとて、貴様に責任はないし、助ける義務もない」


 ため息混じりに、サキは横目で僕を見ながら力無く言う。その顔は僕の行動に呆れ返ったふうで、いかにもどうでもよさげ。





「…………まあ、確かに『義務』はないな。けど、僕には『権利』がある。助けられるかもしれない力を持つ人間としてのね」


「……貴様、そうやってすべての人間を救うつもりか? そのような綺麗事とすら言えぬ絵空事をうそぶきおって……」


 やれやれと肩をすくめるサキだったが、僕は首を振って提示された行動原理の否定を示す。


「そんなだいそれたこと出来ないな。僕は『普通の人間』だ。別に無償で善いことをするつもりはない。善行は人の為ならず――、後で相応の報酬を貰うために動くだけだ。僕は、『偽善者』だからな。でも――、目の前で『死ぬ』ってことが分かってる『知り合いがいるなら』、たとえ多少のリスクを背負おうとも助けてやる。綺麗事だろうがなんだろうがね」


 ――そう、僕はこれが『まったくの見知らぬ人間』なら、助ける気など微塵もなかった。


 なぜなら、僕の命を賭けるほどの対価が『それまで関わることのなかった人間の命』では、あまりにも比重が違いすぎるからだ。



 もちろん、あらかじめ報酬がニンジンとして目の前にぶら下がっているならば、僕はそれこそ馬のように迷わず突っ走るだろう。


 だけど、彼女は知り合いだった。むしろ、僕の幼なじみなのである。今では関わることのなくなった人物ではあるが、昔の繋がりがあるゆえ、やはり未だ血縁に近い感情を持ってはいる。


 彼女は、その名を大和焔子(やまとほのこ)といった。


 隣に住んでいただけだったが、彼女とは小さな頃によく遊んでいた仲だ。はっきり言って『ど貧乏』なのが惜しいところだが、その人柄を僕は嫌っていない。


 貧乏ゆえになのか、性格はおしとやかで、あまり感情を表に出さない。けれど、基本的にマイペースで、自分の意見を素直に述べることが出来る女の子だ。そんな、ずばずばとクールに物を申す性質からか、人望もそこそこ厚い。


 彼女ほどしっかりとした人間が、僕という幼なじみを見て挨拶の一つもよこさないのは不自然だ。明らかに何かがあった――、もしくは、誰かに何かを施されたか。


 あれらが本当に悪霊でないとは言い切れないし、何かが降霊しているようにも見えないこともなかった。ひとまず、聞いてみなければ何も分からない。


「…………ふんっ、どうせ貴様が行くなら我も行かなければならんのだ。ついていってやる」


「ああ、そうしてくれ」


 肩をいからせてむくれた様子のサキに軽く苦笑してから、僕らは廊下を駆け抜けた。本来は、こうして悠長に話している時間などなかったからだ。


 焔子さんの様子からして、恐らくは屋上に行ったはずで――きっと『自殺』が目的だから。







 ◇◆◇




 空に浮かんだまま、地上に落ちてきそうな黄昏れた白雲が流れていく。風の流れが不穏な空気を運び、僕の頬をかすめた。


 焔子さんを見失って少しばかり不安ではあったが、案の定、彼女らの目的地は屋上だった。


 彼女と『何か』は、高く張られたフェンスの網目を小さく掴み、ぼんやりと立ちすくんだまま、虚ろな瞳で学校の裏側にそびえ立つ山の方を見据えている。


 サキには屋上の出入口で待機してもらい、僕は焔子さんに近づいた。


「…………何を見てる?」


「……死にたい。早く死にたい。殺してほしい、死にたい」


 僕の方を振り向くことなく、ぶつぶつと呪文でも唱えるように囁いている。


「これは……呪いか?」


 呪文が、ではなく。この不自然なほど強い『自殺願望』は、何者かによる呪いか、または『邪悪な視線』にやられたか。


 山中の何かしらを見つめているということは、後者が濃厚か。


 ――邪悪な視線とは、略称として『邪視(じゃし)』と呼ばれ、その力自体を名に冠する。


 出没する範囲は世界中どこでも、つまり広大無辺であり、また、伝説上の神が似たような力を持つことから、邪視自体が神と呼ばれることもある。


 その神――いや、化け物の特徴としては、全身が真っ白で毛一本もないということ。


 また、両目がない代わりに、眉間の辺りに一ツ目を持つ。そしてその目を見てしまうと、強烈な自殺願望が芽生えるのだ。



 何かしらのきっかけで山に行って邪視に見初められただけか、誰かしらに『呪詛』をかけられたか……。どちらも、という可能性はじゅうぶんにある。


「とりあえず、消すか」


 僕は、焔子さんの精神を弱らせているであろう、焔子さんの頭に乗っかっていた浮遊霊の肩にポンと手の平を乗せて。


「へっ?」と言わんばかりに、キョットーンとだらしなく口を開いた浮遊霊。うすらボケたジイさんのような、白い雲に似た霊だ。実にマヌケな顔をしている。


 ――が、見た目がジイさんだろうが、女子供だろうが、僕は人に害を為す霊に容赦をする気など微塵もない。その顔面に目掛けて、僕は全身全霊の力を込めて拳を――――ねじ込むッ!


「GWAAAAAAAAッ!!」


 おどろおどろしい叫び声を上げて、一匹の浮遊霊がフェンスをすり抜けて空気中に飛び散った。半透明な体が消え去ると、そいつの霊気も一気に四散する。


 僕の肉体言語による除霊完了だ。人を弱らせることしか出来ない程度の浮遊霊ならば、鉄拳による制裁でじゅうぶんである。


 僕は、焔子さんの体にまとわりつく残りの霊達を睨みつける。




「ヒィィ……っ!」


 うろたえた霊の戸惑う声が耳に飛び込んでくる。まるで『べっ……別に、俺達は好きでこの娘に憑いてるんじゃないんだからなっ! 勘違いしないでくれよっ!?』とでも言いたげである。


「人に憑いたってことは、相応の覚悟があってのことだよな?」


 僕は言いながら距離を詰め、こちらを見たまま慌てて後ずさる一匹の腹部を――蹴り飛ばした。


「Bweeee!」霊が己の声とともに宙で飛び散るのを見届けると、僕は焔子さんの前に立つもう一匹の霊に立ちはだかる。


 驚きすぎたのか、鼻水らしきものを垂らしながらペタリと腰を抜かした黒っぽい霊。


 どうやら、柔らかな顔立ちが霊ながらに判然とする点からして、女の子のようだが――。


「死ねェェェェェッ!!」


 もちろん、この僕にそんなことは関係なかった。

 勢いよく宙に跳び上がり、遠心力と重力をたっぷりと乗せた痛烈な踵落としを浴びせる。


「Gyyywaッ!」


 黒っぽい低級霊は、ほかの霊と変わらず声にならない悲鳴を上げて、頭から潰れて消え去った。





 すると――、焔子さんの膝がガクガクと震え上がり、力無いまま倒れ込もうとして。


「――ろっと!」僕はそれを見逃さず、意識を失ったらしい焔子さんをすかさず抱きとめた。


「相変わらず阿呆な力だな、貴様は。……あ、いや、褒めておるのだぞ?」


 背後からサキが声をかけた。僕は焔子さんの軽い体を背負って、サキの方を向く。


「そりゃどーも。とりあえず、一階に連れていくから、サキはバッグを持っててくれ」


「うむ……って、ししし、塩など持てるかっ! それなら我がその娘を連れていくわ!」


 サキは慌てて手で宙を払い、目尻や口元をシワくちゃにするという顔芸をしながら、僕の差し出したバッグを拒絶。そこまで塩が嫌いか。当然と言えば当然だが。


「――しかし、なぜ一階なのだ? このまま連れて帰った方がよいのではないか?」


 焔子さんを背負い込みつつ、サキは疑問に首を傾げた。


 霊のくせに邪視のことが分からないのか、もしくは興味がないのか。自分以外に興味がなさそうだから、後者だろうけど。


 相手が邪悪な視線である可能性が高いのだから、僕としては常識の範囲なのだが。


「邪視に魅入られている可能性があるからな。邪視は……、一度目が合った者をどこまでも追いかける。相手が自殺するまでね」


「ふむ……よくわからんが、対処出来るのだろうな?」


 歩きながらの問いに、僕は流し目で答える。


「僕を誰だと思ってる?」


「う、むう……、愚問だった。貴様ならどんな相手でもどうにかしてしまう気がしおるわ」


 やや安堵して嘆息を浮かべたサキの返答に、僕は小さく口元を綻ばせるだけにして。僕らは一階にある『トイレ』に向かった。




 ◇◆◇



 トイレの窓から山の方を見ると、霊眼の届く距離に雪の塊のような白いものが見えた。


 距離的には、まだ豆粒ほどの大きさでしかないけれど、人間――いや、人型のそれは、どこか嬉々としているようで。


 緩やかなステップを踏むような動きで、確実にこちらへと歩んでいる。ゆっくり、ゆっくりと。


 ――頭部以外に体毛がなく、すべてが真っ白で、緩やかな速度で歩く。そして、一度目が合った者をどこまでも追いかける。


 異形なる生物。


 いや、化け物――もしかすると霊なのかもしれないが、その特徴から邪視であることが判明。


 恐らくは焔子さんのことを狙い、一点を見据えているようだが、直視してはまずい。


 すかさず窓を閉め、僕は個室に入らせたサキに目配せをする。


『目を瞑っていろ』と。


 眠ったままの焔子さんもサキと一緒に個室で待機していれば、邪視にやられることはないだろう。『同じ悪霊』だから、そして、ここは『トイレ』なのだから。


 僕は、どんなトイレにもある『アレ』と布とを組み合わせた『武器』を小脇にかかえる。これで邪視を迎え撃つ準備は完了した。


 しばらく待つと、僕の目線よりも遥かに高い影が窓の前に立ち塞がった。その身長は、僕の身長から考えて3メートルに近い。シルエットの柔らかい曲線から判断すれば、女性のようだが――。


「ぽ、ぽぽ、ぽぽぽぽ……」


 それは、濁音のような、半濁音のような音色。しかし男性よりも極端に低い奇妙な声を発し、窓越しに僕を睨みつけている。


 ――が、僕の霊眼には、何も映らなかった。


「……エースィー、か? 最近流行ってたな」


 そんなことより、邪視のやつが近づいてきた頃だろうか。


 わけがわからない存在はスルーして、いざという時のためにバッグを再確認しておく。中にはあの時の岩塩。それと、僕のバッグにはサーメートが一つ。


 今回、不浄なモノは必要ないだろう。


 ――邪視は不浄なモノを嫌う。例えばここ、トイレで言えば、お小水などがそうだ。ほかにも、性的な――そう、生殖器などを見せつけるのも効果的である。


 ……が、それは『一時的な対処法』にすぎない。僕がこうしているのは、邪視の『目を逸らさせてしりぞける』ためではない。


 僕のやり方は『二度と呪えないよう徹底的にブッ潰す』ためだ。もっとも、それはきっと僕にしか出来ないこと。真似して除霊が出来ると勘違いされては困る。


 存在自体が不浄であるとも言えるトイレにいたのでは、埒が明かないということだ。あくまでも、僕は二人を安全なところへと連れてきたにすぎない。


「……ぽぽ、ぽ、ぽぽぽ」


 ――コツコツ、コツコツ。


 窓を叩く音と、不細工な声が再び聴こえて。僕はバッグからビニールに詰まった岩塩を取り出し、勢いよく窓を開く。


「うるせェ――――ッッ!!」


 僕の怒声に、背の高い女がビクッとしてこちらを見た。顔は長たらしい髪で隠れていたが、僕は岩塩を顔面目掛けてぶん投げる。


 サッカーボールほどの大きさを誇る岩塩が、デカ女の鼻から額にかけてズブリとめり込む。


「Twuuuuuuuッッ!!」


 デカ女は悲痛なる奇声を上げて、岩塩を顔に張り付けたまま、仰向けに地面へと倒れ込んだ。


 溶ける溶ける、凄まじい勢いで顔面から黒い煙を吹き出し、何かしらの液体がぼたりぼたりと地にこぼれ落ちる。


 霊眼でそれを見て『コイツは悪霊だ』と判断すると、僕はすかさず窓から飛び出して、岩塩の上に――つまりは顔の上に飛び乗って全体重をかけた。


「FIGYYYYYYYYY――――――ッッ!!」


 ゴリッと潰れるような音がしたけれど、絹を裂くような叫び声も同時に轟いたけれど。

 悪あがきに暴れるデカ女を力いっぱいに踏みにじり、僕は着地点を定めて宙に飛び上がった。


「ふっはははははは!!」


 何度も何度も何度も何度も、岩塩越しに悪霊の顔面を『これでもか』というほどまでに蹂躙する。これを『ジャンピング除霊』とでも名付けようか。


 僕は霊に対して無情である。


 やがて『ソイツ』はピクリとも動かなくなり、ストレス解消――もとい、除霊が完了した。


「厄也、今の悲鳴は何だっ?」


 個室の方からサキが声を上げた。僕の言い付け通り、決して飛び出したりはしないようだが。


「気にするな、ただの阿呆だ」


「なんだ、阿呆か」


 なんと早い理解か。さすが鈍感な化け狐。自分とは違う種類の霊だから興味がないのだろう。


「ところで厄也ー、焔子が目を覚ましたのだがー?」


 再び声を上げるサキ。


 まだ邪視をなんとかしていないので、魅入られている当人である焔子さんが目を覚ましてしまったのは都合が悪い。


 未だにぷすぷすと黒い煙を上げるデカ女の霊も気になったけれど、ここは焔子さんを落ち着かせるのが最優先だろう。ひとまず窓をくぐり、個室のドアを開ける。


 二人は立ちすくんでいた。焔子さんは金髪の阿呆毛娘と背中を合わせるようにしていて。僕の顔を見るなり、目を大きく見開いて吃驚にのけぞった。


「…………やっくん……っ? わた、私を、助けに……っ?」


 言いながら、垂れた前髪を整える焔子さん。髪型など気にしなくても綺麗な顔をしていると思うのだが――、今はそんなことを語らっている場合ではない。


「助けにきたというか、焔子さんが助けを求めてたというか……とにかく、焔子さん。あなたは邪悪な視線を見たのか?」


「邪悪な……視線? そんなもの、見てないと思う……」


 小首を傾げて聞き返された。焔子さんの吊り上がった眉根を見るに、本気で知らないようだ。


 それに、僕の想定では呪詛をかけられているはずだったのが――、焔子さんが目覚めた今でも、僕の霊眼には何も映らない。


「……何か、別の霊だった……ということか?」


 姿形が似ていただけで、その可能性もじゅうぶんある。


 けれど、油断は出来ない。


 本当に邪視であれば、焔子さんが狙いなのだから。ここで別れて、僕の知らないところで襲われたりしたら後味が悪い。


 それに、邪視はどこにでも現れるという伝承があるのだ。ここから出た途端に襲われる可能性だってある。


 そうとはいえ――、いつまでも守るのは面倒だ。いっそのこと、焔子さんに『囮』になってもらって早期決着といくか。


「よし、ここから出よう。念のため、普通に出た方がいい」


「平気なのか?」


「ぽぽ……、ぽぽぽぽ……?」


 サキの問いかけに紛れて、僕の鼓膜にダイレクトアタックする低い声。消えてはいなかったから気になっていたが、やはり岩塩だけでは除霊出来ていなかったか。


 ――まあいい。


 放置しよう。


 コイツがどれだけしぶとくても、魅入られたのは僕のようだ。相手が僕ならば、姉の霊力がこもった護符もあるので問題ない。


「…………やっくん、いったい何がどうなってるの……?」


 僕らの顔を交互に見つめ、焔子さんは不安げに吐息を漏らした。


「焔子さんは僕を信じてくれればいい。それに……僕が今までに裏切ったことがあるか?」


「…………あるケド」


 即座にこくりと頷かれた。


 思えば、僕は小さい頃に『嘘』の練習と称して、『かくれんぼ』などの時に何度か置き去りにした記憶があった。


 今思えば、あれは『イジメ』に即する行為である。


「………………気にするな!」


 ――が、僕は過去のことなど気にしなかった。


 焔子さんはしばらく不安げな顔をしていたが、渋々ながらも了承してくれたようで。僕らはようやく外へと繰り出した。


「ぽっ……ぽぽぽぽーん」なんて、例の低い声を発するデカ女もついてきていたが、ほかの二人は気づいていない。いたずらに構うのも面倒なのでスルーしておく。




 ――走り抜けるように校庭の方へと出ると、空の模様はすっかりと黄昏れていた。


 まばゆい円からこぼれてくる光は、目元にかざした指をすり抜けていって。目眩さえ引き起こしそうなほど肌に染み入る。


 大地はそれを照り返し、僕が向ける視線の先に『ソレ』が在ることを言外に教えてくれた。


 ゆっくりと、確実に小山の方角から近づいてきている。

 僕は二人に指示を出すため、後ろを向いた。


「二人とも、いいか? 目を瞑ってろよ。僕も目を瞑るから」


 言うと同時に、二人とも幾度か頷いて目を瞑ってくれた。


 そこで、ふと気づいたが――、背後にいたはずのデカ女の姿は見当たらなくなっていた。しかし諦めたのならば、邪魔をされずに済んで好都合というものだ。


「だが……、目を瞑っていて本当に大丈夫なのか?」


 瞑目しながらも、サキは腕を組んで恐ろしげに問う。


 目を瞑っている間に襲われやしないか――と、そういう考えがあってのことだろう。けれど。


「――僕には『視える』から、何の問題もないさ」


 言って、僕も目を瞑る。「ふむ……」と、サキは半信半疑のようだが、既に邪視の『気配』は霊眼によって掴めている。


 僕の『勝ち』は揺るがない。


 ――やがて、静かに地を踏み締める足音は目前に訪れた。

 何か、僕らの様子を伺うようにして周りをうろつく。


 ぐるぐる、ぐるぐる……。


 執拗に舐めるような嫌悪を感じる視線と、そばに在るだけで圧迫されるような存在感――。


 コイツが邪視の力を持っているのは間違いない。


 いったいどのような存在で、なぜここにいるのか、どうして焔子さんが狙われたのかは分からないけれど、僕に見つかったのが運の尽きというもの。


「絶対に目を開くなよ!」


 僕の背後に隠れる二人が決して目を開かないように牽制しておいて、僕は――目を開く。むろん、霊眼を発動した上で、だ。


「………………」


 僕の霊眼に映ったのは、邪視の不気味であるというイメージとは大きく掛け離れていて。細雪(ささめゆき)のようにたおやかな白髪が、腰の辺りで儚げに踊る。


 幼い、少女だった。


 見た目は10歳くらいだろうか。とにかく、僕の目には幼い少女にしか見えなかったけれど。


 その眉間には、やはり異形なる者の証と言える一ツ目があるようだった。だがしかし、人間と同じ位置に両目が存在していた。すなわち三ツ目である。


 その両目は真ん丸としていて、いかにも少女らしい可愛げさえ感じさせたが、普通に見えるそれらさえ、いびつな邪気を放っているのが霊眼には見えていた。


 体にはシワ一つなく、玉のような白い肌をすべてさらけ出していて。三ツ目だという点を除けば、衣類を一切身に付けていないだけの可愛らしい少女である。


 だが――、その眉間にある、深淵に及びそうな闇へと沈み込む漆黒の瞳と目が合った途端――。


「うぐああぁぁぁぁああッ!!」


 死にたい。死なされたい。死に急ぎたい。死に逝きたい。殺されたい。死んでしまいたい。


『こんな"モノ"を見るくらいなら死んだ方がマシだ』


 ――と、そんな負に堕ちた感情が胸の奥の奥までなぞって、僕の精神をふらつかせて。地に膝をつき、そこでようやく呼吸が荒くなっていることに気づく。


「平気か、厄也!」


「やっくん……っ!?」


 後ろで声が上がった。僕の言い付けをしっかりと守っているならば、目は開けていないはずだ。


「はあ、はあ……」


 乱れ飛ぶ呼吸を深呼吸で整えることで、僕は自我を取り戻す。僕に流れる血は『普通ではない』のだ。この程度で掻き乱されっぱなしになってしまうほどの脆い精神力は持ち合わせていない。


「…………いいぞ、僕の最終兵器を見せてやる」


「…………?」


 ぼんやりと小首を傾げる邪視だったが、僕は邪視の胸元を見つめながらポケットを手で探る。


 トイレで拝借していた『物』を手に持ち、邪視の背後に回り込む。すばやくそれを邪視の『武器』に押し当てた。


「――――っ!?」


 一瞬もがいた邪視だったが、僕はそのまま邪視の後頭部で綻んだ布を結び付けてしまって。


 邪視は――『自分の呪いを自分自身に浴びて』、両手で頭を抱え込んでその場にしゃがんだ。


「うぅぅううぅやぁぁあ!!」幼なげな呻き声が撒き散らされ、地鳴りを醸すように辺りが轟く。


 そう、僕が邪視に使用したのは――ほとんどのトイレにあるモノ。すなわち『鏡』をトイレから拝借し、割った鏡に布を巻き付けて鉢金モドキにしたモノだ。


 これこそ、霊にふれることの出来る僕にしか出来ない荒業。そして、目を逸らさせるまでどこまでも追ってくる邪視という化け物を『徹底的にたたきのめす』ことが出来る唯一の力技である。


 邪視の目が実際にはどの程度の大きさか分からなかったが、問題なく覆うことが出来た。これで、邪視はもう何も出来ない。


「さぁ、お仕置きだ。僕をひざまずかせた罪は重いぞ……」


 四つん這いにうずくまって体を痙攣させる少女を、僕は見下してそう言い放つ。

 第三の目である邪視の力どころか、普通の人間と同じ二つの目さえ封じた目隠しは、邪視という『異形の化け物』をただの『全裸の女の子』たらしめるにじゅうぶんな姿形をもたらす。


 ――もっとも、それは『僕には関係ない』のだけれど。


 僕は、うつむいて地を見つめる邪視の頭頂部を踏みにじった。


 乾いた白い髪を垂れる邪視は、がくがくと震えながらもシルエットで僕の姿を捉えて、ぼろぼろに汚れた腕をジワリと伸ばした。


「死に……たい……っ、ぅぁぁぁあああああああッッッ――――――ッッ!!」


 ガラスを叩き割るような甲高い叫び声が耳を支配した。ゼロ距離で見つめる自身の呪いが、それほどまでに強烈なのだろう。


 邪視はその場でグラウンドの砂を浴びながらも、己の呪詛に抵抗をせんともがき苦しむ。


「言われなくても、今すぐ殺してやるよ」


 僕は、暴れる邪視の首を片手ですばやく掴み上げ、小さな体を宙ぶらりんの状態にした。


「……くぁ…………ッ!」


 声も出せない状況に陥った邪視は、いきんで僕の持った手を離そうと抵抗するが、霊力のこもった僕の手が解かれるわけもなく。


 このまま、いつも通り強引に除霊することが出来ると思っていた――けれど。


「やっくん、だめっ! その子を殺さないでっ!」


 いつもは感情を表に出さない焔子さんが、そう叫んでいた。


 こういうことがあることを踏まえて、絶対に目を開けるなと言い付けておいたのだけれど。


「……コイツは、きみを死に追いやろうとしてたんだぞ。それをかばおうっていうのか?」


「………………違う」


 ぼそりとつぶやいた声が、風に乗って僕へと届いた。


「なに?」


「その子は……私の、分身だから」


「……何を言ってる?」


 聞き慣れない『分身』なんて言葉を耳にして、僕は邪視の首を離して足を地につけさせた。


「えふっ、えふぁっ! げほっ! ごほっ!」


 邪視は、解放された首を撫でながらも激しく咳込む。

 それからすぐ前のめりに倒れ込み、長たらしくてぼろぼろな白い髪を地に擦れさせて――。


「あ、ぁぁああっっ、あぁぁぁぁあ、ああああ、見たく、ないぃぃい……、見たくない見たくない見たくない! 見たくないィィィ――――ッッ!! わたし、もう『こんなモノ』見たくないよううう!! もう嫌だァァァァッッ! 助けてよぉぉうあぁぁあああ――――ッッッ!!」


 邪視は、己に降りかかる強烈な呪いにのたうちまわる。悲痛な叫びは空を裂き、僕らの周囲にただただ哀しみを振り撒いて。


「こんな、モノ……?」


 邪視が口走った言葉の中に、不自然なワードが紛れ込んでいたことに首を傾げた。


 ――その時、真っ白に見えていた邪視の肢体には、赤いミミズ腫れのようなものが無数に浮かび上がっていることに気がついた。


 さらに、薄汚れていて肌の色彩が褪せてしまっていたが、体中がぼんやりと切り傷だらけになっていることが見受けられた。


 これはまるで――。


「虐待。……やっくんは知らないだろうけど、私はずっと前から虐待を受けていたの」


 虐待。僕が問う前に、焔子さんは重々しい口調でそう告げた。


「焔子さんが、虐待を……? それはいつからだ?」


 僕の声に背を向け、焔子さんは引き付けを起こし続ける邪視の頭上にしゃがみ込んで、仕掛けられた目隠しをそっと取り除いた。


 目隠しが外されると同時、邪視はうつぶせに丸くなったまま「えうっ、ひっく、ふえ……」と、声にもならない嗚咽を漏らす。


 それはもしかすると、僕の予想が正しければ『何も見ないように』、そして『誰も見ないように』しているのかもしれない。


「中学生の頃――、ちょうど、やっくんと話さなくなってからかな……。……いくら逃げたって無駄だった。『あの人』は、どこに逃げても私を捕まえて、私を、私を――、弄んだの」


 焔子さんは悔しげにギリリと唇を噛んで、口の中から真っ赤な鮮血を垂らすと、おぞましい表情で自らの胸を抱きしめた。その様子から、どのように酷い仕打ちを受けていたのか窺い知れる。


「……あの人?」


「やっくんは……うちが貧乏なの、知ってるでしょ? 率直に言うと、私は売られたの。人身売買なんて、本や映画だけの――、異世界でのことだと思ってた。でも、私は夢でもない、幻でもない、二次元でもない、紛れも無い現実世界で『お金』と引き換えに売られてしまった……」


 ここ数年、焔子さんと喋っていなかったから――というよりも、僕が中学生の時に『とある事情』で病院での生活を送っていたゆえに、初耳だった。


 僕は、焔子さんの後ろで『Vweeen!』と鼻をかみつつ不気味に嗚咽を漏らすデカ女を無視して、焔子さんに向き合う。


「焔子さんの両親は、どうして自分の娘を売るような真似を……?」


 当時、僕は子供ながらに彼女の両親は仲睦まじい夫婦だったと記憶している。一人娘である焔子さんのことも、自分のことのように可愛がっていた。


 それが、お金がないという理由だけで、大事な一人娘をやすやすと売ってしまったりするだろうか。僕としては、とてもそうとは考えにくい。何か別の理由に騙されて、深い理由が隠されているような気がしてならない。


「……お金の問題なんて、どうしようもないから……。だから、私は『こうなる運命だったんだ』って諦めてた。『あの人』にどれだけ嫌な想いをさせられても、『お母さんやお父さんにはお金が入るし、幸せになれるんだ』って、それを思えば堪えられた。だけど本当は――悲しかった。本当は私、お母さんやお父さんが手を差し延べてくれるって信じてたんだ。でも、お母さんもお父さんも、友達だって、みんなみんな――、私がいくら苦しんでも、私がいくら助けを呼んでも、誰も私を助けてはくれなかった……。だから私は願ったの。『自分を呪いたい』って。『死にたい』って……強く、強く」


 それは、あまりにも凄惨な半生。あまりにも無惨な生き様。


 そうやって何にでも対応出来てしまう優秀な性質から、自己犠牲を厭わない。支えがなければ脆くて崩れやすい、弱々しい心を持っているのにも関わらず。


 生まれながら敷かれたレールを進むだけで安定した生活を約束された僕らのような陰陽師や、霊海のような貴族体質の宗教一家とは真逆の存在と言える。


 焔子さんは、そうやって生きてきたからこそ、他人には優しくて、自分には厳しくて。あまりにも拙く、哀れで、優しく、儚い、自己犠牲の心が育まれたのだろう。


 そういう、焔子さんの歪みきった愛情と、晴らせない雪辱と、満たされることのない欲求から生まれたものこそが――。


「それじゃあ、まさか……」


「…………この子は、私が無意識のうちに生み出した存在。不甲斐ない私の責任。私が果たさなければならない責務のもとに、身代わりになってくれた。だから、『分身』なの。私自身の『死にたい』ってひたすらに呪う気持ちが、やっくんの言う『邪悪な視線』に感化されて、くっついてしまったのかもしれない……」


 焔子さんは『呪いの才能』が普通の人よりも頭一つ、いやそれ以上に抜きん出ていたのだろう。けれどそのせいで、強力すぎた呪いを実体化した――、と。


 足元ですすり泣き続ける『彼女』の姿が、伝聞で耳にする薄気味悪い姿とは違う『傷だらけの少女』であるというのは、焔子さん自身の心を模しているということなのかもしれない。


 それはつまり『すべてを真っ白に包んで』『何も知らない純潔なる心なのに』『見る必要のないものを見て』『知りたくないものまで知らされた、いたいけな少女』――それを、壊された。


 そこそこ恵まれた環境にある僕には、想像もつかない。それを可哀相だと言ってあげるのが、はたして良いことなのかどうかも分からず、思考は淀んでしまった。


「ねぇ、やっくん。この子……生かしてあげられないかな」


「……邪視を、生かす?」


 僕としては、世に蔓延る邪視の一つを潰すチャンスである。


 いくら焔子さんの心から生まれたとはいっても、邪視としての力は強大すぎて。野放しにしておくには、あまりにも危険。


 それもあって拒絶したかったけれど――僕は、躊躇した。その隙に、焔子さんは立ち上がって。


「なりゆきで邪視の力を持ってしまった……のかもしれないけど、この子は……、私の分身だもん。ずっとずっと私を守ってくれてた、心の一つだと思うの。それに、こうして人と同じように泣くことの出来るこの子なら、人間として生きてもいいんじゃないかな……。見た目だって、人間とそう変わらないし……」


「…………それは……」


 確かに、今こうやってうつぶせに押し黙った彼女は、どう見ても人間だ。衣類を身につけていないのと、三ツ目であることと、月夜に輝きそうなにび色を髪に溶かしていることを除けば、だ。


 ――だがしかし、邪視という凶悪な力をその身に宿している限り、コイツを生かしておくわけにはいかない。そのせいで人間が自殺へと赴くのだから。


「…………目隠しをしていればよいのではないか?」


 視界の真下から、サキがぬっと顔を割り込ませた。おまえはぬらりひょんか何かか。


「その目隠しに仕込んだ鏡を抜いて、ただの目隠しをしていれば、こやつは矮小な人間となんら変わるまい」


「いや、それはそうだけど……目が見えないんじゃ『人間として』生きるのにはちょっとつらいんじゃないか……?」


「貴様ぁ! 生まれつき目が見えない人のことを考えもしない愚劣で不粋な思想をしおってぇっ!」


 人ですらない三尾の狐さんが何をおっしゃっているのか。


 たった一日、学校という人の集まりに参加して、人間に情が移ったとでもいうのだろうか。


 もっとも、言っていることは僕の知る『普通の人間』よりも『人間味』を感じるのだけれど。


「……よし、焔子さんがそう言うなら、彼女は目隠しをさせたまま(かくま)うことにしよう」


「我の意見ではなかったか!?」


「知らん」


「き、きっさまぁ……! ガブガブしてくれるわッ!」


 歯をガチガチと打ち鳴らして近づくサキの変顔に向かって、僕は軽く亜音速ほどのスピードでアーミーナイフをぶん投げた。


「ふぇぇいッ!」


 銀に煌めく刃の一閃は、サキの奇声とともにその頬をかすめて。一枚の皮膚が――、ペロリとその場に垂れ下がった。


 ナイフに対する恐怖心からか、この世の終わりを目にしたかのようなおぞましい表情でプルプルと震え上がるサキだったけれど。


 すぐに「ふ、ふふっ……」と、渇いた笑い声をこぼして落ち着き払い、不敵な笑みを浮かべた。


「今のはビビった……今のはビビったぞッ――――ッッ!! しかぁし! それを投げたのは迂闊だったなぁ厄也ァ! 今こそ貴様を従える者が誰かを思い知ら――」


「言っておくが、僕のナイフは108本まであるぞ?」


 僕は、羽織っていた上着をすばやく捲って、懐に忍ばせておいた大量のアーミーナイフを見せつけてみた。


「な――、何をしておる! はやく邪ナントカを介抱するぞ!」


 分かりやすいやつである。

 僕は、邪視を自分のジャージで覆う焔子さんに向き直った。


「しかしまあ、邪視を匿うのはいいとしてだ。そうすることで焔子さんの家庭事情が解決したわけじゃない。また、きみは『死にたい』と思うんじゃないか? そうだったら、やっぱりそういった心の根源を――、邪視を消し去ってしまわないと、何一つ変わらないままだ」


 焔子さんの中で渦巻く負の感情によって生み出されたのが邪視ならば、邪視は『邪悪な視線』としての力を使わなくても『死にたい』という異分子の感情を、例え僅かながらでも振り撒き続けるのだろう。


 そうであれば、やはり生かしておけば被害者となるのは僕ら『人間』の方である。


 特に、生み出した当人である焔子さんは、いずれ『死』にいざなわれてしまうことだろう。


 邪視自身からすれば無意識の力だからこそ、感情移入してしまえば――余計につらいこと。そうすると、邪視にとっても『被害者』の立場を味わわせてしまう。


「死にたいって思ってたのは事実だけど……やっぱり、やっくんは私のヒーローだって分かったから、もういいんだ」


 わけがわからないよ。


「…………ヒーローって。あのな、僕はそんな侠気(おとこぎ)の溢れる人間じゃないぞ」


 ヒーローなんて、たとえやるべきことが自分の実力を凌駕していても、自分を犠牲にしてでも弱者を助けるような、熱苦しくて実力があるやつ――例えば、姉のような――の仕事だ。


 僕にはたいした能力もないから遠慮したいし、そんな割に合わないことなんて出来ない。偽善者は所詮、偽善者でしかないのだ。


「ヒーローだよ。……私だけの。あのね、私、さっきも言った通り、きっともう誰も助けてくれないんだーって思ってたんだ」


 微苦笑を浮かべて、焔子さんは上目でちらりと僕を見た。


「――でも、やっくんだけは来てくれた。やっくん、正直言うとちっちゃい頃から傲慢で冷徹ですごく酷い人だったけど……『いざ』っていう、本当につらい時に助けに来てくれた。それがすっごく嬉しくて、嬉しすぎて泣きそうだったけど、迷惑かけたくないから我慢したよ。やっくんが助けてくれるなら、私……まだ頑張れる気がするんだ」


「……あ、そうですか」


 僕自身としても『焔子さんだったからこそ助けた』わけだから、こうして面と向かって礼を言われると照れ臭くなる。


「なんだ貴様、頬なんぞ赤らめおって。おおキモいキモい……」


 どこで『キモい』なんて言葉を覚えやがったんだ――と感想を抱くと同時に、僕は光の速さでアーミーナイフをぶん投げた。


「――っふ、当たらなければどうということはないっ!」


 しかし、すんでのところで頭を引っ込めて退避するサキ。連邦の黄色い悪魔め、回避性能を著しく上昇させただと――!?


 とまあ、こんな茶番劇を繰り広げている場合ではない。


「私、『いばらさん』に……相談してもいいかな?」


「………………え、姉さんに? いや、それはちょっと……」


 姉に邪視のことを知らせるということは、邪視を僕の本家に連れていくということ。


 霊力を持った者が付いていなければ周囲に危険をもたらすかもしれない邪視を連れていくということは、僕も一緒に行かなければならないということだ。


 僕が一緒に行くということは、サキも連れていかなければならないということにもなる。


 そしてそれは、姉に『サキさんの一件』がバレるということに繋がりかねない。


 なぜなら、姉は忙しくて僕と顔を合わせてはいないのだ。家が離れていることも理由の一つ。


 もしかすると、姉のことだから『気』の流れで知ってしまっている可能性はあるけれど。


 しかし姉は、僕のことを『霊視』で監視するほど気にかけてくれているわけではない。よって、バレる可能性は薄いはずなのだけれど、僕はサキのことを出来るだけ知らせたくはなかった。


「そんな……でも、それじゃあ、どうすればいいのか……」


 がくりと肩を落として頭を抱える焔子さん。


 僕に頼ろうという気はないらしい。姉に対する信頼度は異常である。もっとも、僕は『物理的解決策』しか頭にないのだが。


「我に任せてみぬか?」


 アーミーナイフに怯えてばかりだったサキが、僕らの間に堂々と割り込んだ。少々胸を張っており、『どや?』とでも言わんばかりのしたり顔が鼻につく。


「……この子、誰?」


 サキがずっこけた。


「さっきから一緒にいといてそれはないだろう!?」


 身を乗り出して憤慨するサキに一歩引いて、焔子さんは「だって金髪だしずっと怖かったもん……」と涙目で訴える。


 本人にズバッとそれを言えるのはさすがだけれど、もともと心根が気弱な焔子さんにとって金髪のイメージはそんなものか。


「コイツは一年の八百サキ。説明は後にするけど、決して僕の彼女とかそういうのじゃないよ」


「八百……っていうと八百くんの……。そっか、噂の絶えないやっくんと一緒にいるってことは、何か事情があるんだね」


 いつになく鋭い――、というより、以前霊海に聞いた通り、『真ヶ月厄也=陰陽師』という図式は既に広まっている事実らしい。


 評判があるのはいいことだが、あまり名が知れると姉のように身動きが取れなくなるから困る。僕は真ヶ月の後継者になる気はないし、自由に生きたいのだ。


 サキの件が焔子さんに知れるのは気にかかったが、焔子さんには――というより、サキのクラスメイト以外なら問題ないだろう。


 それにどうせ、焔子さんは僕のことをよく知る人物だ。姉がどれだけ恐ろしいか、そして僕がどれだけ姉を畏れ、恐れているかも分かっているはずだから。


「でもサキちゃん、この子をどうするつもりなの?」


 不安げに眉尻を垂れ下げ、そうやって焔子さんが首を傾げた。しかし当のサキは、踏ん反り返ってニヤリとほくそ笑む。


「クックック……そう案ずるでない。こやつが目隠しをしたままでも『人間と同じように生きられればよい』のだろう? ならば、我のちょっとした『妖術』で何とか出来るはずだ」


「妖術……? 一陰陽師として、それはちょっと聞き逃せないな。何をするつもりだ? もったいぶらずに言え。さもないと……」


 言いながら、僕はアーミーナイフの刃先をサキの鼻の穴に軽く突っ込んで。笑んだままピタリと硬直したサキが青ざめた。


「お、おっほほおぉぉっ、おっおっおお落ち着け! 視力を付けてやろうというだけだ!」


「視力を……? きみ、何言っちゃってるの?」


 コイツ、頭が沸いたのか。思わず苦笑を片頬に貼付ける。


「あっ! 貴様、今ばかにしたな!? 最初にばかにした方がばかなのだぞ! やーいばーかばーか!」


 殺してやろうか。


「納得してほしいならちゃんと説明しろ、このゾウリムシが」


 アーミーナイフをサキの瞼にピタリと付けておいた。


「スマソ」


 なぜか片言の喋り方になってから、サキは姿勢を正す。


「いやなに、我の『千里眼』で見たところ、そやつの両目は目として機能しておらん。だから、その『飾り』を『普通の目』にすることは可能だろう。――が、真ん中の目は我にも分かるほどの禍々しさ。そっちは不可能だ」


 なるほど、千里眼か。それで最初に会った時、目隠しをされたままでも僕のいる方角が分かったのか。いまさら納得。


「あ、千里眼は……まあ、本来は見えるはずのない遠くの場所まで見通すことの出来る力だ。サキを失った今の我では『透視』程度が限界だが、その力を視力として分け与えることは出来る。それを本物の目に、邪気のない普通の目にする。『人間として生きる』なら、それでじゅうぶんであろう」


 それは確かに――と僕が頷くかたわら、焔子さんは瞼を高速で瞬かせていた。その表情は酷く訝しげで。だがそれも無理はない。


『妖術』だとか、『力を分け与える』だとか、およそ一般人の語り草から飛び出す単語ではないからだ。それに加え『サキを失った』などと、自分を失ったという謎の発言である。自分探しの旅にでも出たのかと思い込みそうだ。


 すぐさま『サキちゃんの件を説明してよ』と言わんばかりにサキと僕の顔を交互に見ていたが、焔子さんの疑問はスルーした。


「それは分かった。でも、そんな儀式まがいなことをどこでやるつもりだ? 僕の家だと、姉さんが何か感じ取るかもしれないから無理だぞ」


「ふっふっふーぅ。それなら心配ゴムヨウだ。あやつ――じゃなくて、『兄』の家に行けばよいのだ。あ、分かっておるとは思うが、貴様もついて来るのだぞ」


 兄というと、霊海か。


 自分から僕を連れていこうというのは殊勝な心がけだ――と言いたいところだが、霊海のことが相当なまでに嫌いなのだろう。


 可哀相な『元』兄である。同情する気など微塵もないけれど。


「分かったよ、サキの言う通りにしてやる。そういえば、霊海は用事があるとかで先に帰るって言ってたっけな……。まあ、どうでもいいか」


「…………有名、だよね、八百くんって」


 スルーの極みにいた焔子さんが、恐る恐るつぶやいた。


「有名……? ああ、金持ちだよな。鴨がネギトロ丼を持ってきたみたいな、アホなやつだし」


「や、それはそうなんだけど……八百くん、何か喧嘩っ早い印象があって。それに……こういうこと言っちゃいけないんだろうけど、宗教的な家系だし、あんまり好きじゃないんだ。お母さんとお父さんが入信してたとこだし……」


「へー」


 どうでもよかった。喧嘩をするような人間ではなさそうだったので、意外ではあったけれど。


 歴史のある、由緒正しい宗教の家系なのだろう。それならあの広大な敷地にも納得が出来る。


 何にせよ、霊海の家に行ってサキになんとかしてもらうしか邪視を生かす術はない。どうせ霊海の家ならどうなってもいい。


 すっかり空気と化してついて来るデカ女の霊を放り出して、僕は嗚咽を飲み込んで泣きじゃくる邪視を背負って校庭を後にした。




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