クイツキ 狐憑きの少女①
喰い付き。
『騙される方が悪いけど騙った覚えはない』
陰陽といえば、白と黒のみでえがかれた『太極図』というものが有名だ。
あれは、相反する性質をもった陰と陽の『気』を表している。
それは片方がもう片方を常に補い続けるため、どちらかが膨れ上がっても、決してもう片方を上回ることなく――絶対の均衡を保ったまま形を成していくのだ。
僕はこれを人間に例える。
人間はいつも誰かを案じ、誰かを愛し――、しかしその実では妬み、羨み、心のどこかでは他人を貶ようとする。
それは、割合として考えると半々になるだろう。つまり、そんな人間はどこにでもいるってことで。僕だって例外じゃない。
僕は容易に安易に人を騙す。決してイカサマをして騙りはしないけれど、常に誰かを騙して食いぶちを稼ぐ『高校生』だ。
もちろん、ただの『高校生』じゃない。姉とともに『陰陽師』をやっているのだ。もっとも、姉の方は『本物』だけれど。
――陰陽師というものは、中国の陰陽五行説にもとづき、天文や暦数、卜筮などを扱って、禍福や吉凶などを占う方術師のことである。例外として、悪霊を祓ったりすることもある。
僕は主に、この『悪霊』を祓うのがお仕事。僕ら真ヶ月一家の歴史を辿っても最高位の力を持つとされる陰陽師の姉に、『おまえには才能がある』と言われて任されている。
しかし――実は、僕には陰陽師としての才能が薄い。霊を視たり霊にさわることだけは出来るのだが、霊を祓う力などまったくない。その二つのことが出来るだけで、他の能力に関してはいわゆる一般人、凡俗ピッポピーポーである。
けれど姉は、僕が浄霊する力など持たないことを知らない。ここで矛盾が出てくるけれど――、僕は、旧套墨守に生ける屍のような陰陽師ではない。僕は、霊にさわれる力を生かして、『力技』で除霊することが出来るのだ。ここが他の陰陽師と違うところである。
もちろんだが、僕の物理的な力技では、除霊は出来ても浄霊することは出来ない。つまり、一時的に霊を剥離させるだけで、姑息な手段を取るにすぎないのだ。
しかし僕は、クライアントの前ではこれを『浄霊』と呼ぶ。
物理的除霊法を見られないようにすればよいのだが……、何せ、真ヶ月に浄霊の依頼をしても、やって来るのは評判の高い姉ではなく、僕という若輩の高校生。
実際には半信半疑で依頼する人も多いので、ジロジロと視姦、いや、見られながらの浄霊となる。
だからこそ、僕は『除霊』を『浄霊』と呼ばなければならない。
最初の頃こそ、いつまでこのような仕事を続けるのか――と苦心に胸を痛めていたものだが、今となってはいい小遣い稼ぎとしか思っていない。それもこれも――、人々があまりにも醜いからだ。
――人々が浄霊を依頼する理由としては、主に『助かりたいから』というものがある。これは当然だが、その根幹には『自己満足に浸りたい』という汚らしい、つまらない心も渦巻いている。
なぜなら、霊や陰陽なんて目に映らないから。僕ら陰陽師のような霊能力がない人からすれば、それは異端であり、見えない力に頼るだけのオカルト的なもの。
そもそも僕ら陰陽師に依頼をする人は精神的に参っているため、不安要素を取り除いてあげるだけで――プラセボ効果を得るだけで満足してくれる。そんな心理を、僕は利用しているのだ。
ようするに――大半の依頼が依頼者たちの『重度な思い込み』にすぎないため、僕は『いないはずの悪霊を浄霊したことにして儲けている』ということである。
結果的に騙しているわけだが、それで僕はありがたがられるし、依頼者は満足する。つまり、お互いが得をするのだ。これほど美味しい商売はないだろう。
ところが――自らが仕掛けたわけではない人生は、紫電一閃の変化球を放り投げてくるものだ。
虫のいい話は急速に終末へと向かい、それまで傲慢に生きてきた僕の日常を蝕むこととなるのだった――。