病弱な幼馴染の元へ向かった婚約者 〜それ、選択を全て間違えています〜
セドウェン王国王都ゾックスロムの劇場入口にて。
王都で人気の劇団の午後の公演がそろそろ始まるので、劇場入り口は賑わっている。
そんな中、劇場入り口で侯爵令嬢マヤ・イルヴァ・フォン・スパーレはため息をついた。
「まあ、ドーグラス様、またですの?」
「ああ……」
マヤは婚約者の侯爵令息ドーグラス・ヘルゲ・フォン・グリップに対して呆れていた。
「本当にすまない。フレイヤが倒れたらしいんだ」
ドーグラスは困ったように眉を八の字にしてため息をつく。
その隣には、メイド服姿の女性がいる。
「ドーグラス様の病弱な幼馴染、ボンデ子爵令嬢フレイヤ様……ね」
マヤは再びため息をつく。
ドーグラスと婚約をしてから、何度も聞かされた名前である。
「ああ、フレイヤの様子が気になって。俺としてもマヤとの演劇を楽しみにしていたけれど……」
相変わらず困ったような表情のドーグラス。そのムーンストーンのようなグレーの目は、真っ直ぐマヤに向けられているが、正直信用出来ない。
(何だか胡散臭いのよね……。私とのお茶会や演劇鑑賞の度に、幼馴染のフレイヤ様が倒れたと、彼女の侍女がドーグラス様を呼び戻すのよね……)
マヤはふぅ、とまたため息をついた。
チラリとドーグラスの隣にいる、メイド服姿の女性――フレイヤの侍女に目を向ける。
フレイヤの侍女はキッと鋭くマヤを睨み付けている。その目付きからは敵意が感じられた。
正直、ボンデ子爵家は使用人の教育がなっていないと感じ、思わずマヤは顔を顰めた。
ふと劇場の鏡に映った自身のアズライトのような青い目は、影を帯びていた。波打つようなブロンドの髪も、どこか燻んで見えてしまう。
マヤは再びドーグラスに目を向ける。
ドーグラスはその栗毛色の髪を何度も触っていた。
二年前、マヤとドーグラスがお互い十五歳になった頃に婚約をした。その頃から変わらないドーグラスの癖である。
焦った時や嬉しくて興奮状態にある時に、ドーグラスはよく彼自身の栗毛色の髪を触るのだ。
(……そんなにフレイヤ様に会えるのが楽しみなのかしら?)
マヤはまた本日何度目か分からないため息をつく。
「承知いたしました、ドーグラス様。私のことは気にせず、フレイヤ様の所へ行ってあげてください」
マヤがそう言うと、ドーグラスは「本当にすまない。もうすぐこんなことがないようにするから」と言い、その場を去って行くのであった。
その際、フレイヤの侍女は勝ち誇ったような表情をマヤに向けた。
(これでドーグラスとの約束がなくなるのは何度目かしら?)
マヤはその回数をもう数えるのをすっかりやめていた。
どうせドーグラスに何を期待しても無駄なのである。
その時、劇場入り口の者達、具体的には女性達が何やら騒めき始めた。
「あの方素敵だわ」
「本当ね。お貴族様かしら?」
女性達はうっとりとした表情で、ある一点を見つめていた。
(誰かいるのかしら?)
マヤは何事かと疑問に思い、女性達の視線をたどる。
すると、マヤにとって見覚えのある者がいた。
艶やかな黒褐色の髪に、スギライトのような紫の目。女性達がうっとりするのも納得の端正な顔立ちの男性。
「マヤ」
その男性はマヤの姿を見つけるなり、スギライトの目を優しく細めてこちらにやって来た。
「ローヴェ」
マヤは少しだけホッと胸を撫で下ろした。
その理由が、一人ではなくなったことなのか、それともローヴェが来たからなのかは自分でもよく分からない。
「ローヴェ、どうしてここに? 貴方も演劇を見に来たの?」
「マヤが今日婚約者のドーグラスと演劇鑑賞だと聞いて、少し心配になったんだよ。ほら、毎回そのドーグラスの病弱な幼馴染フレイヤの邪魔が入るからさ。マヤの幼馴染として心配になって」
「もう、ローヴェったら」
マヤはクスッと笑う。
幼馴染のローヴェが来てくれたことにより、ドーグラスとのことが薄れていた。
公爵令息ローヴェ・エノック・フォン・オクセンシェルナはマヤと同い年の幼馴染だ。
ローヴェの方がマヤよりも身分が上だが、気心知れた仲なのでお互いに砕けた態度で接している。
マヤは婚約者のドーグラスがフレイヤを優先することについて、ローヴェに相談したり愚痴を言ったりしていた。
「正直、ドーグラス様に好意はないわ。だってこの婚約はスパーレ侯爵家とグリップ侯爵家の事業提携の為に結ばれた政略的なものよ」
「でも不満はありそうだね」
早速湧き出した愚痴に、ローヴェは苦笑した。
「ええ。政略的なものとはいえ、婚約者なのよ。せめて私を尊重する態度を取って欲しかったわ」
「私ならマヤにそんな表情をさせないのにね。それに、もし私がマヤの婚約者なら、当然君を尊重するよ」
ローヴェはマヤの手をそっと握る。
ローヴェの真っ直ぐなスギライトの目に、マヤはドキリとしてしまう。
「もうローヴェ、冗談はやめてちょうだい。婚約者がまだいない貴方は問題ないけれど、私の方は不貞を疑われてしまうわ」
マヤはドキドキしながらも、やんわりとローヴェの手を払い除けた。
「マヤは真面目だね。そこがマヤの美点だ。確かにマヤが不貞を疑われて後ろ指を指されるのは良くない。申し訳ないね」
甘い表情でそう言われ、マヤの鼓動は余計に速くなる。
(いつからローヴェにこんな風に感じるようになったのかしら?)
思い出そうとしても、思い出せなかった。
「それよりマヤ、演劇鑑賞はどうするんだい? 人気の劇団だろう?」
「そうねえ……」
見たかった演目でもある。しかし、ドーグラスがいない今、一人で劇場には入りにくい。
演劇は二人以上で見る風潮が、このセドウェン王国にはあるのだ。
「マヤ、せっかくだし私と一緒に見ないかい? チケットは二枚あるのだろう? 幼馴染と演劇を見たくらいでは、不貞には入らないだろうし」
「そうね」
とても魅力的な提案だったので、マヤは思わず頷いていた。
こうして、マヤはローヴェと演劇を見ることになった。
人気の劇団、マヤが見たかった演目。そして、隣にはローヴェ。
(最初はドーグラス様とフレイヤ様のことで不快だったけれど、ローヴェと一緒に演劇鑑賞出来て良かったわ)
マヤはチラリとローヴェの横顔を見て、表情を綻ばせた。
この時間は、マヤにとって有意義な時間となり満足だった。
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数日後の夜。
この日はスパーレ侯爵家と付き合いのある家が主催の夜会がある。
マヤは婚約者のドーグラスにエスコートされて参加予定だった。
しかし、約束の時間になってもドーグラスはスパーレ侯爵家の王都の屋敷に来ない。
その時、近隣に住むマヤの友人の伯爵令嬢が、ドーグラスを見たと教えてくれた。
「あの、マヤ様、言いにくいのですが……ドーグラス様が、ボンデ子爵家の王都の屋敷に嬉々とした様子で入って行くのを見てしまいまして……」
「まあ……」
友人の伯爵令嬢の言葉に、マヤは呆れてしまった。
(きっとまた病弱な幼馴染、フレイヤ様に会っているのね)
マヤは一人でこの日の夜会に出席することにした。
(結局、私は婚約者として尊重されないのね。……どうせなら、ローヴェが婚約者なら良かったわ。オクセンシェルナ公爵家と事業提携しても、スパーレ侯爵家としては問題ないのに。グリップ侯爵家からの申し出が早かったせいで……)
マヤは夜会会場に向かう途中、馬車の中でそう考えていた。
モヤモヤとした気持ちを抱える中、馬車は夜会会場へ到着してしまう。
マヤは仕方なしに一人夜会会場入りしようとした。
しかしその時、聞き覚えのある声がした。
「マヤ! スパーレ侯爵家の王都の屋敷にいなかったから焦ったよ!」
「……ドーグラス様」
マヤの表情は曇る。
ドーグラスは息を切らした様子で、栗毛色の髪を何度も触っていた。
ムーンストーンの目はギラギラとしており、今まで見たことのない表情だった。
(……何なのかしら?)
ドーグラスの様子は明らかにおかしい。
脳内に警報が響き渡る。
「マヤ、聞いてくれ! もうあの鬱陶しいフレイヤに振り回されることはないんだ!」
ギラギラとした表情で前のめりになるドーグラスに、マヤは後ずさる。
「マヤ、僕はね、君との婚約が決まった時から、ずっと君が好きなんだよ! でも、お茶会や演劇鑑賞をフレイヤに邪魔されて正直苛ついていたんだ!」
「……左様でございますか」
マヤは表情を引きつらせてしまう。
見たことのないドーグラスの様子に、ゾクリとした。
「だからね、君との時間を邪魔されない為に、フレイヤを排除しようとしたんだ! この前の演劇の時も、フレイヤがもしかしたら僕が飲ませた毒で死んだのかもって思って期待したんだ! でも、遅効性の毒だと体に影響が出るのが遅かったから、期待はずれ! でも今日ついに猛毒をフレイヤに飲ませたんだ! そしたらすぐにあいつは死んだ! ついでにいつもフレイヤの体調不良を知らせに来る侍女もマヤに対して態度悪かったから毒を飲ませて殺したよ!」
目の前の人物は一体何を言っているのだろうか?
マヤは理解するのに数秒かかった。
そして、ドーグラスから後ずさりをする。
「人殺し……」
ドーグラスがやったことは、紛れもなく殺人である。
殺人犯が目の前にいるのだ。
「人殺しだなんて、人聞きの悪い! あんな奴ら、死んで当然なんだよ! 僕とマヤの時間を邪魔する奴らなんて、生きる価値ないんだ!」
ドーグラスは当然のようにそう言い放った。
ギラギラしたムーンストーンの目。恐ろしい程に自信に満ち溢れている表情。
(……目の前にいるのは人間ではないわ。化け物よ)
マヤは更に一歩後ずさりした。
「え? マヤ? 何で後ずさりするの? 僕の側に来てよ」
ドーグラスは一歩マヤに近付いた。
「来ないで、人殺し! 貴方、選択を全て間違っているのよ!」
丁寧な口調がすっかり抜けてしまう。
マヤが好きで、マヤとの時間を大切にしたいのならば、フレイヤが倒れたから来て欲しいという願いを断るべきだった。フレイヤや彼女の侍女を毒殺するのは完全に間違っている。
しかし、目の前にいる化け物はそれを全く分かっていないようだった。
「嫌……! 来ないで……!」
マヤは必死に叫んだ。
「そこまでだ!」
その時、マヤにとって聞き馴染みのある声が聞こえた。
その声により、マヤは少しだけ胸を撫で下ろす。
「ローヴェ……!」
幼馴染であるローヴェの声を聞き、マヤは安心した。
ローヴェは騎士団を引き連れていたのだ。
「何だお前は!?」
ドーグラスはキッとローヴェを睨み付ける。
「何だって良いだろう。それよりも、話は聞かせてもらった。お前のしたことは完全に人殺しだ。お前の言葉を聞いた者は何人もいるし、ボンデ子爵家の王都の屋敷でも騒ぎになっている。言い逃れは出来ないぞ」
ローヴェの言葉と共に、ドーグラスは騎士団に拘束され連行された。
ドーグラスは何かを叫んでいたようだが、正直彼の声はもう聞きたくないと思うマヤだった。
「マヤ、大丈夫だったかい?」
ローヴェの甘く優しい声。
マヤはようやく手放しに安心することが出来た。
「ローヴェ……!」
マヤはローヴェに縋り付いた。
先程のドーグラスが怖かったのか、体の震えが止まらない。
ローヴェはそんなマヤの背中を優しく撫でてくれた。
「マヤ、もう大丈夫。怖かったね。夜会に来る途中、ボンデ子爵家の王都の屋敷で騒ぎがあったんだ。娘と侍女が殺されたってね。しかも、犯人はドーグラスだって情報もあって、マヤのことが心配になったんだ」
「それで、騎士団を連れて駆けつけてくれたのね」
「ああ」
「ありがとう、ローヴェ」
ようやく体の震えが止まった。
もうドーグラスはいない。
そして、目の前にはローヴェがいる。
「マヤの為なら、何でもするさ。マヤに怪我とかがなくて本当に良かった」
心底安心したようなローヴェの表情に、マヤも表情を緩めることが出来た。
「それにしても、ドーグラス様、本当に異常だったわ。よく幼馴染を殺そうと思えたわね」
「本当だよ。ドーグラスはグリップ侯爵家とボンデ子爵家の家同士の付き合いが長いから、娘と使用人を殺したくらい許してくれるだろうと思っていたみたいだ。それに、自分は侯爵家の人間だから、殺人くらい揉み消してもらえると思ったらしい」
「とんでもないわね」
マヤは盛大にため息をついた。
「ところでマヤ、今日の夜会はどうする? もし良ければ、私がエスコートしようか? 多分もうドーグラスとは婚約解消されるだろうし、私といても不貞だとは思われないだろう」
甘い笑みで手を差し出すローヴェ。
「そうね。お願いするわ」
マヤはその手を受け取った。
その後、ドーグラスが殺人の罪で逮捕、投獄されたことによりマヤとドーグラスの婚約は解消された。
そして新たにマヤはローヴェと婚約することになった。
ドーグラスの時とは違い、マヤはローヴェから尊重され大切にされ、幸せに過ごすのであった。
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同じように病弱な義妹が登場する『悪意による病弱』も、似たようなことが起こっております。




