少年の末路
現代のなろう界隈の王様が裸だと気付くことは、難しくない。
本当に難しいのは、
それを口に出すことだ。
「裸だ」と言った瞬間、
その者は、物語から追放されてしまうからだ。
王国の異物になる。
空気を壊した者。
流れを止めた者。
場を白けさせた者。
もし声を上げた少年が同じなろう作家であれば、評価は一瞬で反転する。
まず貼られるのは、レッテルだ。
何度も言うようだが、
嫉妬・アンチ・逆張り・売名・性格が悪い・空気が読めない。
その内容が正しいかどうかは、
ほとんど検討されない。
なぜなら、
検討すること自体が「王様が裸かもしれない」という可能性を
一度は受け入れる行為だからだ。
だから人は、
言葉の中身ではなく、
言った人間の人格を殴る。
「あの人は前から攻撃的だった」
「どうせ自分の作品は評価されていない」
「有名になれなかった僻みだ」
人格を腐らせれば、
言葉を聞かなくて済む。
とても合理的だ。
* * *
次に起きるのは、
沈黙の圧力だ。
誰も表立って反論しない。
誰も明確に擁護しない。
ただ、距離を取る。
フォローが外れる。
RTが止まる。
感想が来なくなる。
まるで、
そこに居なかったかのように。
これは処刑ではない。
もっと残酷な、
社会的不可視化だ。
そして、
ここが最も皮肉な点だが――
「裸だ」と言った者は、
勇者にはならない。
童話の少年のように、
称賛されることはない。
なぜなら、
現代には「無垢な子供」という
免罪符が存在しないからだ。
全員が大人で、
立場があり、
利害を持っている。
だからこそ、言った者は吐いた言葉に責任を持たねばならない。
「それを言って、何が得なの?」
「誰かを貶したかっただけでは?」
「建設的じゃない」
この言葉は便利だ。
裸だと指摘すること自体を、
無意味な行為に変換できる。
だが、
問い返したい。
建設とは、誰のための建設なのか?
王様のためか?
群衆の安心のためか?
空気の維持のためか?
「王さまは裸だ! 王さまは裸だよ!」
言った者は孤立するだけ。
そしてある者は、
二度と感想を書かなくなる。
ある者は、
当たり障りのない言葉だけを使うようになる。
ある者は、
界隈そのものから去る。
王国は元通り、称賛だけの声になる。
* * *
ここで、忘れてはならないことがある。
「裸だ」と言った者は、
王国を壊したかったわけではない。
むしろ逆だ。
服を着てほしかった。
ちゃんとした言葉で、
ちゃんとした評価で、
ちゃんとした読書の上で。
だがその願いは、
最も誤解されやすい。
裸の王様の国では、
真実は危険物だ。
扱いを誤れば、
自分が燃える。
だから多くの者は、
最初から口を閉じる。
実に賢明だ。
――だが。
その沈黙の上に立つ王国は、
いつまで保つのだろうか。
次に語るべきは、
もっと厄介な存在だ。
王様でも、
群衆でも、
告発者でもない。
「裸だと、気付いている王様自身」
彼は、
本当に何も分かっていないのか。
それとも――
分かっていて、黙っているのか。
次章では、
その内側に踏み込むことにしよう。




