見えぬ物に拍手を送る群衆
王様が玉座に座り、家臣が衣装を整えたとしても、
それだけでは王国は成立しない。
最後に必要なのは――
拍手する群衆だ。
群衆とは誰か。
即ち「通りすがりの読者達」である。
中には王様の服を気に入り、
評価を押す。
RTをする。
★を付ける。
レビューや感想を残す者がいるだろう。
だがそうではない、本当に通りすがりの読者はどうだろうか。
立つ鳥跡を濁さずの如し、PVだけを残し去っていく。
* * *
群衆は、無害に見える。
意見を言わない。
攻撃もしない。
称賛すらしない者もいる。
「自分は関係ない」
「ただ読んでいるだけ」
「好きなものを見ているだけ」
その距離感は、とても安全だ。
だが、群衆は無力ではない。
むしろ、最も強い。
なぜなら――
数が、正しさに見えてしまうからだ。
* * *
ランキング。
PV。
★。
ブクマ数。
フォロワー数。
これらはすべて、
群衆の民意が可視化されたものだ。
誰も「裸だ」と言わなくても、
数字が伸びていれば、
王様は服を着ているように見える。
群衆は思う。
「こんなに評価されているなら、きっと良い作品なんだろう」
「自分が分からないだけかもしれない」
「変なことを言うのはやめておこう」
こうして、
疑問は飲み込まれ、
違和感は個人の問題にすり替えられる。
* * *
群衆が最も恐れているのは、
孤立だ。
空気を壊すこと。
流れに逆らうこと。
自分だけが違うこと。
だから、拍手する。
よく分からなくても拍手する。
心が動かなくても拍手する。
違和感があっても拍手する。
拍手していれば、
少なくとも敵にはならない。
沈黙していれば、
責任を負わなくて済む。
それは、とても合理的な選択だ。
* * *
だが、ここに一つの罠がある。
群衆は、
「自分は何もしていない」
と思っている。
しかし実際には、
何もしないこと自体が、現状を肯定している。
王様が裸である世界を、
今日も更新し続けている。
群衆が去れば、
王国は崩れる。
だが群衆は去らない。
なぜなら、
居心地がいいからだ。
* * *
ここで、あの童話を思い出してほしい。
王様が裸だと最初に声を上げたのは、
家臣ではない。
王様本人でもない。
群衆の中にいた、
一人の子供だった。
なぜ子供だけが言えたのか。
立場がなかったからだ。
守る地位がなかったからだ。
失うものがなかったからだ。
大人たちは皆、
失うものを持っていた。
あの服が見えないと、愚か者の烙印を押されてしまう
皆が同じ服を見ているという空気を醸し出す事で、
存在しない服を皆が幻視していたのだ。
* * *
現代の創作界隈において、
「裸だ」と言うことは、
即座にリスクになる。
空気が読めない。
感じが悪い。
嫉妬だ。
アンチだ。
そうラベリングされる。
出たる杭は打たれるのだ。
それを見て、
群衆はさらに黙る。
「やっぱり言わない方がいい」
「面倒なことになる」
こうして、
真実を言う声は消え、
拍手だけが残る。
実に日本人らしい前に習えの精神である。
群衆は、悪意を持っていない。
だが、
無関心と沈黙は、時に悪意より強い。
王様は裸のまま、
家臣は服を縫い続け、
群衆は拍手を続ける。
誰も嘘をついていない。
誰も自覚的に騙していない。
それでも、
虚構だけが強化されていく。
* * *
群衆の一人である限り、
人は安全だ。
だが同時に、
何者にもなれない。
読むだけの読者。
拍手するだけの存在。
数字の一部。
次に語るのは、
その沈黙を破った者の末路だ。
「裸だ」と言った者は、
この王国で、
どのような扱いを受けるのか。
そして――
それでもなお、言う価値はあるのか。
その話をしよう。




