王様を着飾る家臣
王様が裸でいられる理由は、王様自身の問題だけではない。
むしろ、決定的なのはその周囲に集う者達。
いわゆる「家臣」の存在である。
家臣とは、何も玉座の脇に立つ忠臣のことではない。
この創作界隈における家臣とは、
日々王様の作品に反応し、
称賛を送り、
異物を排除する役割を担う人々のことだ。
彼らは声を揃えて言う。
「さすがです」
「分かる人には分かる作品」
「理解できない人が悪い」
「これは高尚なんです」
だが、その言葉の裏側にある動機は、実に多様で、そして現実的だ。
* * *
まず最初に否定しておきたい。
家臣達は、必ずしも悪人ではない。
彼らの多くは、善良で、
礼儀正しく、
努力家で、
創作を愛している人間だ。
だからこそ厄介なのだ。
彼らは、王様を騙そうとしているわけではない。
自分が「服を着せている」という自覚すらない。
彼らが守っているのは、
王様ではなく、
秩序である。
王様を否定することは、
この場の空気を壊すことに等しい。
空気が壊れれば、
居心地が悪くなる。
居心地が悪くなれば、
自分の居場所が揺らぐ。
だから、言わない。
見えていても、言わない。
薄々感じていても、言わない。
「言わない方が得だ」と、
彼らは合理的に判断している。
* * *
家臣の役割は、大きく分けて三つある。
一つ目は、「称賛の供給」だ。
王様の更新があれば即反応。
具体性のない褒め言葉を並べ、
場の温度を一定に保つ。
「安定してますね」
「完成度が高い」
「今回も良かったです」
これらの言葉は、
否定もしていないが、
深く肯定もしていない。
安全で、無難で、
誰も傷つかない。
だが同時に、
何も残らない。
二つ目は、「異物の排除」だ。
率直な感想。
厳しい指摘。
素朴な疑問。
それらが現れた瞬間、
家臣たちは動く。
「言い方が悪い」
「リスペクトが足りない」
「分かってない人の意見」
「空気を読め」
直接攻撃しない場合でも、
雰囲気で圧をかけ、
問題提起を沈める。
王様の耳に、
不都合な音が届かないように。
三つ目は、「自己正当化」だ。
王様を褒めることは、
自分の感性を褒めることでもある。
「この作品が良いと分かる私」
「この人を支持している私」
「王様の側にいる私」
それは、所属意識であり、
同時に、安心材料でもある。
* * *
家臣達は、王様のために動いているように見える。
だが、実際には、
自分の立場を守るために動いている。
王様が裸だと認められた瞬間、
これまでの称賛は何だったのか、
自分は何を見ていたのか、
という問いが、自分自身に返ってくる。
それが怖い。
だから家臣は、
服を縫い続ける。
見えない糸で、
存在しない衣装を。
* * *
そして、最も残酷なのはここだ。
家臣達は、
王様を堕落させているという自覚を持たない。
むしろ、
「支えている」
「守っている」
「応援している」
と本気で信じている。
だが、成長に必要なのは、
称賛ではない。
問いだ。
摩擦だ。
違和感だ。
それらを遮断された王様は、
進化しない。
停滞する。
劣化する。
だが地位は保たれる。
これほど残酷な環境があるだろうか。
* * *
王様が裸であり続けるのは、
家臣達が、
「裸であることが問題にならない世界」
を必死に維持しているからだ。
その世界では、
正直者が浮き、
疑問を持つ者が疎まれ、
沈黙する者だけが生き残る。
王様は裸のまま安泰。
家臣は居場所を確保。
群衆は拍手を続ける。
誰も即座には困らない。
だが、その代償として、
言葉は死に、
批評は消え、
創作は、ただの装飾品になる。
次に語るべきは、
この光景を見上げながら拍手を送る
群衆の話だ。
最も数が多く、
最も無自覚な存在。
裸の王様を完成させる、最後のピースについて。




