ご主人様とお隣さん
「はぁ〜〜…」
お風呂上がり、いつものごとくソファに全身を預け
スマホをいじるご主人様。
…今日はパジャマを着ているのか。
最近は少し寒くなってきたからだろうか。
いくらオス同士とはいえ、風呂から上がるたびに
全裸かパンツ一丁で目の前をうろつかれるのは、
正直あまりいい気分ではない。
「…ペロ、おいで」
スマホを放り捨て力なく両手を広げるご主人様。
こういう時は大抵なにかしらの悩みを抱えている時だ。
ペットとして最低限の奉仕をすべく、ゆるく開けられた襟元に飛び乗ると、すかさず長い腕が僕を包み込んでくる。
「…はぁ、俺ってそんなに頼りなく見えるかねぇ」
小ぶりな僕の体を抱きしめ、ため息混じりに呟くご主人様。
…こういう愚痴をもらす時は9割がた色恋関連だ。
「…なぁ、吉川さんてさ、彼氏いんのかな」
「…」
たかが飼い犬のチワワに、お隣さんの事情など知るよしもないでしょうが。
「…なーんて、わかるわけないよなぁ」
「…クゥ」
「おい今ため息ついたろ」
まあ、ひとつだけ知ってるとすれば
マンションや公園で顔を合わせるときの吉川さんからは、男の匂いがしたことがないということかな。
「…あんだけ可愛いかったらいてもおかしくないよなぁ」
とはいえ僕は犬だし、そのことをご主人様に伝える術はない。
なによりそういうことはご主人様から直接聞くべきだ。
「…はぁ〜〜〜、お前と吉川さんが入れ替わったらなぁ」
やめろ、彼女に見立てて僕にスリスリするな。
こっちだって一応メスが恋愛対象のオスだし、なにより吉川さんがこの光景を見たらドン引きだぞ。
「…今日の髪型も可愛かったなぁ……」
ああ、これは相当拗らせてるな。
気が多いご主人様がここまで1人の女性に拗らせてるところは見たことがなかったけど、犬の僕から見ても魅力的な女性なのは確かだし、一目見た瞬間から優しい心の持ち主だとわかるくらい、仕草や表情に暖かみのある人だった。
こういう、人間に対する動物の勘は大体あたるんだ。
「…明日、それとなく聞いてみるか」
「ワン」
それがいいと思うよ、ご主人様。
同意の意味をこめてひと声返すと、じっと僕を見据えていた大きな瞳は、軽いため息とともに安堵の色に染まった。
「…さ、犬には遅いし早く寝な」
「ワン」
そう言ってさっさと僕を膝から下ろし、リビングの明かりを落として腰を上げる。
まったく、そっちから起こしておいたくせに、切り替えの早いご主人さまだ。
「おやすみぃ」
まあ、そういうマイペースなところもご主人さまらしいところなんだけど。
明日は吉川さんにじゃれつくふりをして、2人が接近する機会を作ってやるか。
窓枠に浮かぶ丸い月を眺めながらそんなことを考えているうちに、いつのまにか眠りについていた夜のことだった。