05.馴致
10月の北海道は朝晩の空気がすっかり冷たくなってきた。雪島ファームの広い育成厩舎の裏手、まだ朝露が残るパドックでグランフェリスの馴致が始まっていた。
生後半月で悠馬が買った仔馬は、この1年半程で大きな病気もケガもせず順調に育っている。母親の「フェリスブランシュ」に倣ってに「グランフェリス」と名付けた。「大きな幸せ」を意味するラテン語「Grandis Felicitas」。それを前半は英語風に、後半は母親と同じようにスペイン語風にしたので少しちぐはぐだけ悠馬は気に入っている。本当に悠馬の大きな夢になってくれるんじゃないかと思っている。
「今日は鞍付けまで進めてみます」
悠馬とも顔なじみのスタッフがそう言うと、グランフェリスは一瞬、耳を動かしてじっと悠馬の方を見た。
栗毛の馬体は以前よりまたひとまわり大きくなり、脚はすらりと長く、背中のラインも美しいと思う。そして他の1歳馬たちが群れでじゃれ合う中、彼女だけは相変わらず一頭でいることが多い。
スタッフがゆっくりと無口(馬用のハミ)を口に含ませる。グランフェリスは最初こそ戸惑ったように首を振ったが、すぐに落ち着きを取り戻し、静かに受け入れた。鞍を背に乗せると少し背中を丸めてみせたけれど暴れることはない。
「やっぱり賢いですね、この子」
スタッフが感心したように呟いたので悠馬も照れながらうなずいた。グランフェリスは物音や人の気配には敏感だが、自分が納得すればすぐに順応する。芯の強さと繊細さを併せ持っているという印象を悠馬は持っている。
スタッフが軽く手綱を引くと、グランフェリスはゆっくりと歩き出した。まだ人を乗せる段階ではないけれど、リードロープに従って真っ直ぐ歩く姿はどこか誇らしげですらある。悠馬はグランフェリスに着いて歩き様子を見る。歩様は柔らかく脚の運びも滑らかだ。芝の上を踏みしめるたび、淡い栗毛が朝日にきらめく。
「芝向きですね」
悠馬から思わずこぼれた言葉にスタッフも歩きながらこちらを見た。
「蹄の形から私もそうだと思うんですよ。ダートじゃもったいないかもしれませんね」
悠馬は苦笑するしかなかった。自分が地方の弱小馬主であることを改めて思い知らされる。ホッカイドウ競馬にはダートコースしかない。中央競馬だと芝のレースの方が華やかだけど、地方はほぼダートしかない。盛岡競馬場に地方競馬唯一の芝コースがあるだけだ。
ホッカイドウ競馬も昔は札幌や函館競馬場での開催があったけど、悠馬にとってはそれは大昔のこと。旭川で開催されている「ばんえい競馬」以外は門別に集約されている。
グランフェリスは時折立ち止まって遠くを見つめる。放牧地の向こう、うっすらと色づき始めたカラマツ林。その先には彼女がまだ知らない世界が広がっている。
「この子はどこまで行けるんだろう」
小さく呟くと、グランフェリスがふいにこちらを振り返った。大きな瞳が、まっすぐに悠馬を射抜く。その瞳の奥に強い意志を感じる。
馴致は順調に進んでいると聞く。でもまだこの馬の可能性がどの程度まであるのか、それはまだ誰にも分からない。歩きながらスタッフが説明してくれる。
「最初少し警戒心がありましたけど、すぐに順応する賢い仔ですね。物音や人の気配に敏感ですが、パニックになることもないですね」
「他の馬と群れないのは相変わらずですか?」
「ええ、放牧地でも一頭でいることが多いですね。何事も自分のペースを大事にする仔です。ほら、今も引き馬で前に出たがってますよね。相当な負けず嫌いなんだと思います。気性はおとなしいけど芯は強い」
暴れたりはしないけど人の言うことはあまり聞かないってこと?
「やはりそういう性格なんですね」
「はい。今後、集団調教や併せ馬でどうなるかが課題です。あくまで今の時点での話ですけど、骨格がしっかりしていて歩様も良いのでポテンシャルはすごいと思います。調教次第で彼女のいい面がでてくるんじゃないかと思います」
そこでスタッフが少し言い淀んだ。やっぱり芝向けの話?
「これはあくまで現時点での僕の意見なんですが……この仔は筋肉のつき方も柔らかいですし、どちらかというと短い距離を駆け抜けるよりも、長い距離をじっくり走るのが向いてると思います。性格的にも自分でリズムを守れる馬ですしね」
もちろん、実際に走らせてみないと分からない部分が大きいんですけどね。そうスタッフが付け加えた。
ありがたいことだと思う。高梨調教師には入厩時に話しておこうと思う。
「大事に育てて頂いてありがとうございます」
「いえいえ、この仔が活躍してくれるのを私たちも期待しています」
悠馬はグランフェリスの未来を思いながら静かに頷いた。やはりこの馬が悠馬の夢なんだという確信を強めた。でもやはり「芝向け」に加え「長距離」というのが地方馬主の悠馬と相性が悪い。現時点の評価など半年後にどう変るかはわからないけれどやっぱり不安も大きい。
どこまで悠馬が後押しできるか、彼女の最大の懸念事項が自分になりそうなのが辛い。
毎日更新はここまでで、今後は毎週木曜に更新する予定です。
あんまり長くならないようにまとめるのが課題です。
よろしくお願いします。
以下は本作含む拙作の紹介です。
【連載中】
みんなで私の背中を推して
連載開始当初の予定:100話目途⇒現在:274話 5,760pt
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現代を舞台にした女主人公最強系のお話。芸能界+将棋です。そろそろ終わりが見えかけてきましたが、それでも350話ぐらいになりそうですね……
Stay Here
連載開始当初の予定: 30話目途⇒現在:5話 172pt
今週連載開始した本作です。競馬ものです。
【完結済】
音楽室と体育館 全169話 1,152pt
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バレーボールをこよなく愛する音楽教師の主人公最強もの
ミスターフルベース 全16話 630pt
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高校球児が甲子園で起こす奇跡のワンプレーのお話
夏の潜水艦 全23話 518pt
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アンダースローに転向した高校球児のお話
宰相の失脚 全17話 252pt
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毎晩、幼馴染の女の子に酷いことをしてしまう夢を見る男の話。
個人的にはお気に入りですがポイントが低いです
音楽性の違い 短編 128pt
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人気デュオが「音楽性」の違いから解散するお話