04.M40 Motorway: London–Oxford
ロイヤルバレエ団のカーテンコールの余韻が胸の奥で踊っている気がする。
窓の外から遠ざかるロンドンの街の光の粒が、舞台のスポットライトみたいにきらめいては通り過ぎていく。
「ソフィアと一緒だとVIP扱いされるから最高よね!」
タクシーの後部座席、反対側に座っているエミリーがはしゃいで笑う。
「だって今日も公演後に楽屋に招待されたじゃない? ダンサーと写真も撮れた。私がチケットを買っても絶対無理だもの」
私は苦笑いを浮かべる。
「そんなことないわ。あなたたちが一緒だったから、みんな喜んでくれたのよ」
本当は、家の名前が書かれた招待状がどれほど特別なのか、私自身が一番よく知っている。でも、友人たちには“ただのソフィア”でいたいと思う。だからこんな風に笑い飛ばしてもらえるのはとてもありがたい。ただみんなと同じように心から楽しみたいだけ。
「そう言えば今年のバカンスはどうするの?」
隣のルーシーも公演を堪能したらしい。にこやかな笑顔で私問いかけて来る。私は既に決まっていることを話す。
「たぶん家族と牧場巡りね。父が新しい繁殖牝馬を入れるとかで、フランスとアイルランドの牧場も回る予定なの」
「私は彼とアメリカに行くつもり。一緒に長い旅行に行くのは初めてだから楽しみ」
いつものことだけど、恋愛の話になると私は少し居心地が悪くなる。エミリーが旅行計画を楽しそう話しているのを聞いて、羨ましいというより遠い世界のように感じる。
「ソフィアは全然興味なさそうね」
「ソフィアの家はお堅いから無理でしょう」
ルーシーは冗談めかして言うけれど、本当は家のせいだけじゃない。私はエミリーのようにこれまで特別な人に出会ったことがない。いつか私にもそういう人が現れるのかもしれないけれど、多分父が決めた人と義務的な結婚をするのではないかと思う。
「でも来年は卒業ね。ふたりは卒業したら何するつもり?」
私は少しだけ窓の外に視線を逃がしてから答えた。
「家の仕事を手伝う予定よ。父が、そろそろ本格的に関わってほしいって。この夏休みもその準備みたいなものね」
言葉にすると、胸の奥がほんの少しだけ重くなる。家の伝統や責任、そして期待。それらは私にとっては誇るべきことでもあり、同時に檻のようにも感じられる。
「やっぱり住んでいる世界が違うわね」
エミリーが感心したように言う。
「私なんて、まだ何も決まってないのに」
「そんなことないわ。私だって、全部が決まってるわけじゃないもの」
私は笑ってみせる。卒業までまた1年と少し。未来のことなんてまだなにも実感が湧かない。
今はこうして友人たちとタクシーで夜の街を駆け抜け、バレエの感想を語り合い、そしてお互いの未来を笑い合う時間に浸っていたい。
そろそろ日付が変わりそうになる頃に、タクシーが寮の前に停まる。私は運転手にお礼を言いながら、ふと今日の舞台で主役を踊ったダンサーの演技を思い出す。今日の演目はコンテンポラリー。スポットライトの下で、誰よりも自由に、誰よりも美しく舞っていた。
私も、あんなふうに自分の人生を、自分の足で軽やかに踊れるだろうか。
「ソフィア、また一緒に行こうね!」
「もちろん。次はクラッシックな演目にしましょうか」
夜風が頬を撫でる。私は小さく息を吸い込んで、寮の明かりに向かって歩き出す。家名、伝統、過去と未来の私。私はそれらを意識から遠ざけ、ただ友人たちと過ごしたこの時間を胸のうちにそっとしまっておくことにした。