12.背伸び
説明回です。何度もしたくないので詰め込みました。
悠馬が馬主として活動してから今年で6年目になる。
そして基本的に悠馬は1歳馬しか買わない。買った後、数ヶ月で馴致、その半年後には入厩、さらに3か月後に競馬場で走り出す。そして1勝、あるいは惜敗したところで売る。それが悠馬のやり方だ。
例外はグランフェリスただ一頭。
グランフェリスの場合、産まれて間もない頃から牧場に預託料を払う必要があった。だから雪島ファームの和田さんが値下げしてくれた。ピンフッカーとしてはやっちゃダメなことだけど、この仔だけは手元に置いて走らせたいと思う。
ピンフッカーは転売目的で馬を買う馬主のこと。世の中には勝てる馬しか欲しくないという馬主がいるので、そういう人により高く売ることで儲けを出す。
転売先の馬主はおよそ2つに分けられる。
ひとつはとにかく自分の持ち馬が勝つところが見たいというタイプの馬主 。
そういう馬主には新馬戦を惜敗した馬が良い。良い勝負だったがギリギリ負けた。同じ新馬戦に出た相手が強すぎた。そんな惜敗した馬は他の馬に比べて、地方あるいは中央の未勝利戦でその後勝てるのではないかと考えるのは自然なことだ。
特にホッカイドウ競馬は他の地域よりも新馬戦が始まる時期が早いのもアドバンテージ。
そしてもうひとつはより上を狙える馬が欲しいタイプの馬主。
こちらは新馬戦を勝っている馬が良い。勝ち切る力があるという足跡を残した馬はその後も勝つ可能性がある。少なくともレースに出続けることができる。これはとても重要なポイントだ。
1勝している競走馬の寿命は延びる。地方競馬で1勝した馬は、他の地方や中央に転籍した場合でも1勝馬として扱われる。だから4歳以降も1勝クラスで走らせることができる。もちろん上手く行けば2勝、3勝と更なる勝利を重ねることも期待できる。
中央競馬だと新馬戦と未勝利戦に合わせて6~8戦ぐらい優勝できないと引退することが多い。地方だと中10戦ぐらい? もちろん例外もあって、20戦ぐらい走り続ける場合もある。
3歳未勝利の日程も終わりに近づけば出走登録馬が増え、それまでの負け方が考慮されるようになる。未勝利戦の開催が終わってしまえば格上挑戦するしかない。以前と違い未勝利それ即引退ではなくなったけれど、格上挑戦は出走可能頭数に満たないレースを探し続ける必要がある。
全体の馬の数が少ない地域ならマシだけど。
人間も弱肉強食だけど、競争馬は走る以外の才能は評価されない。牝馬なら繁殖、つまり牧場に買い取ってもらえることも多い。牡馬なら成績が悪くとも血統が良ければ繁殖に残れる可能性がないとは言わない。あるいは白馬(白毛という)なら誘導馬になれるかもしれないが、それ以外は稀にある幸運を期待するしかない。
話を戻すとおそらく悠馬は日本ではただひとりしかいない零細個人ピンフッカーだと思われる。なぜならハイリスクローリターン。我がことながら正気の沙汰ではない。
法人、つまり「競走馬転売会社」は日本にも存在する。なぜ法人では成立するのに個人では無理なのか。これは税制の問題が大きい。
個人の場合は「損益通算」も「繰越欠損金処理」もできない。
株式投資で考えて欲しい。ある年にA社株で儲け、同じ金額をB社株で損した場合、利益と損失を相殺することができる。それが「損益通算」。
Aという馬で(預託費などの支出を差し引いても)利益が出て、Bという馬で損失が出た場合、株式と違って相殺できない。単純にAという馬の利益が所得として課税対象になり所得税を払う必要がある。これが「損益通算ができない」ということ。
同じようにある年で発生した損失を、翌年以降の利益と相殺することもできない。これが「繰越欠損金処理」で、株式だと個人でも3年間は損失を繰り越すことができる。
法人なら競走馬でも「損益通算」も「繰越欠損金処理」も適用できるので儲けが出るかもしれない。実際、実在する転売会社は大手牧場の子会社だったりするので、法人でも単純な売買だけで儲けるだけでは難しいのかもしれないが、詳しくは知らない。
悠馬は一昨年にグランフェリスを購入したため、その後のお金が回らなくなることが予想された。だから昨年ホッカイドウ競馬で新馬戦を圧勝した「アマカケルホシ」を1200万円で迷わず中央競馬の馬主に売却した。1歳の時に280万円で買ったけど、経費が330万円必要だったので純利益は590万円。
売却後の主な戦績は今年のきさらぎ賞(GⅢ芝1800m)で3着入賞。それだけで賞金が1000万円だから転売先の馬主にも喜んでもらえた。ただ疲労により調子を崩し、今は放牧中だからクラッシック路線は絶望的。
今年の2歳馬にはグランフェリス以外にもう一頭見どころがある馬がいるので、もしかするとその仔も売却しなければいけないかもしれない。
ともかく現時点では「アマカケルホシ」 の利益が悠馬のほぼすべてと言ってもいい。他は利益があっても100万円から300万円ぐらいだし、赤字になった馬だっている。でもこれって実はものすごいことだよ?
牧場巡りをしていても待遇が良くなったのは気のせいではないはず。
当たり前だけど牧場だって商売。年間で億単位のお金を馬に使う大金持ちが優先されるのは当たり前。
骨董屋なら、名人が作った鑑定書付きの逸品を複数買うのが大口顧客で、悠馬は真贋不明の作品を買う個人客。ただ骨董品と違い競走馬は売って終わりではない。売却後でも生産馬の賞金の10%が生産者に与えられる。
地方の新馬戦で5着入賞した場合でも、生産牧場に1~2万円ぐらい入る。きさらぎ賞3着で雪島ファームは300万円の収入があったはず。極端だけど有馬記念で優勝したら本賞金は5億円だから、生産者にも5千万円が与えられる。
そして競馬がブラッドスポーツというのもポイント。ある馬が良い成績を残した場合、その子孫はもちろん弟妹の価値も上がる。雪島ファームはアマカケルホシの弟を兄と同じ値段では売ってくれないはず。
ともかく昨年は夏の競馬場通いも減らすことができた。
ホッカイドウ競馬でも馬主資格を取得・維持するには所得が500万円以上が必要。年収ではなく所得だから年収だと700万円ぐらい? 悠馬の年収では足りない。
だから2年前までは札幌競馬場の開催中(7月末~9月頭)、週末はずっと競馬場のパドックと返し馬を参考に単勝馬券を買い続けていた。単勝以外の馬券に手を出すと勝てないので買わないことにしている。こうやって収入を増やすことで悠馬はホッカイドウ競馬の馬主資格を維持していた。
中央競馬だと馬主条件が「継続的な所得金額が2000万円」「継続的に保有する資産が1億円以上」と変わる。「継続的」がミソで、馬券はもちろん、馬の売買、さらには賞金による収入も認められない。いや、単純に金額だけで悠馬の人生とは縁がない世界だ。
更新時に条件を満たさない場合は資格喪失し、所有馬がいたら他の馬主に譲渡なり売却なりしなければならない……
このように悠馬は他の馬を転売し「グランフェリス」を手元に置く決断をした。グランフェリスが競馬場で走って、初めて悠馬は馬主を名乗れるようになると思う。
このまま調教が進めばあと数ヶ月で競馬場にデビューする。なんとか勝てそうな新馬戦に潜り込ませて、芝のある盛岡に遠征できるようにしないといけない。
最悪、デビュー前に不慮の事故や病気で死んでしまうことだってあるし、ケガで走れなくなる場合もある。お金持ちは次の馬に期待するんだろうけれど、悲しいことに悠馬にはそういった気持ちの切り替えもできないしお金もない。




