表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶の旅人  作者: 昼の月
9/30

砂の庭と眠る獅子

港町セリオを出て数日後、カイは東へと進んだ。

風は乾き、空気は次第に熱を帯びていく。

やがて彼の前に、広大な赤い砂漠が現れた。


旅人に「眠る獅子の庭」と呼ばれるこの地は、魔力に満ちた特異な地形をしていた。

まるで誰かの夢の中に迷い込んだような――そんな奇妙な静けさがあった。


砂の丘、石のアーチ、風に鳴る岩笛。

そこには、確かに「生き物の眠り」が漂っていた。



砂漠を歩き続け、太陽が傾く頃。

カイはとある遺跡の前に立った。


砂に埋もれかけた獅子像。その表情は穏やかで、まるで今にも目を覚ましそうだった。


その傍らに、ひとりの少女がいた。

年は十にも満たぬほど。

だがその目は、夜のように深かった。


名はサミア。


「おじさん、ここに来たの? ひとりで?」


「そうだ。ここが“眠る獅子の庭”か?」


サミアは頷いた。


「この庭には、“夢を見すぎた人”が眠るんだよ。

心の奥でずっと叫んでて、でも起きるのが怖くて、ずっと、ずっと……」


少女の言葉に、カイの胸がざわついた。


「誰かが、ここで夢から覚めるのを待ってるのか?」


「ううん。誰も待ってない。……だから、来てくれてよかった」



遺跡の中はひんやりとした空気に満ちていた。

壁に刻まれた文字は古く、だが魔力の痕跡がかすかに残っている。


サミアは壁を指さして言った。


「この奥に、“獅子”がいる。

でもそれは、獣じゃない。“心の獅子”だよ。

大きくて、強くて、でも――ひとりで泣いてる」



カイは進んだ。

魔力の気配が濃くなる。

やがてたどり着いた広間の中心に、それはいた。


――大きな獅子。だがそれは石ではなく、

砂と魔力でかたちづくられた、“心の象徴”そのものだった。


目は閉じ、牙を隠し、静かに眠っている。


「……これは、誰の心だ?」


サミアが、いつの間にか隣にいた。


「おじさんのかも。わたしのかも。

あるいは、ずっとここに来た誰かたち、全部の心かもね」


カイはゆっくりと獅子に手を伸ばした。

その瞬間――


獅子が目を開いた。


そして語らぬまま、心に直接、声が響いた。


「おまえは、“傷つくのが怖い”のではない。

“もう二度と怒れなくなること”が、怖いのだろう?」


カイの胸を突く言葉だった。


確かに、怒りは力だった。誰かを守るための、揺るがぬ意思だった。

だが、失敗してからというもの、彼は怒ることさえも、自分に禁じていた。


「俺は……弱さを怒ることさえ、もう、してはいけないと思ってた」


「怒れ。悲しみを燃やせ。それを灯にして歩け。

それが“生きる”ということだ」


その瞬間、砂の獅子が静かに崩れた。

それは破壊ではなかった。

ひとつの眠りが、静かに終わったのだ。



外に出ると、夕陽が砂の上で燃えていた。


サミアは静かに言った。


「怒っても、泣いても、生きててくれたらいい。

……それだけで、わたし、うれしいよ」


カイは小さく微笑んで、彼女の頭に手を置いた。


「俺も……そう思えるようになった。ありがとう」


サミアは、陽炎のようにふっと姿を消した。

彼女が誰だったのか、もう確かめようもない。


けれどその言葉は、確かにそこに残っていた。



怒りも、痛みも、眠らせてはいけない。

心の奥の獅子に火を灯し、また歩き出す。


第十話へ続く。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ