風の読書家(よみびと)
硝子の街レナスを後にして数日。
カイは丘を越え、風の強い平原を歩いていた。
一面に揺れる銀青の草。
その奥に、小さな丸屋根の建物がぽつんと立っている。
「……あれは、塔か?」
いや、塔というには低すぎる。だが風見鶏が回っている。
カイは歩を進め、やがてそこが**「風の図書館」**と呼ばれる場所であることを知る。
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扉を開けると、微かな魔力の風が頬をなでた。
壁一面に本が並び、天井から吊るされた紙の札が風に揺れていた。
「いらっしゃい」
カイに声をかけたのは、痩せた中年の男だった。
長いマントをまとい、手には羽根ペン。
目の奥には、常に遠くを見ているような静けさがあった。
名はフラン。この図書館の管理人であり、**「読書魔導師」**の異名を持つ人物だった。
「風の導くままに旅をしているのか。……それとも、何かを探して?」
「両方だな。自分が何者だったか、そして、これから何を望むのか」
カイが答えると、フランはふっと笑った。
「なら、君に一冊、読んでほしい本がある」
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フランが差し出したのは、黒革の装丁がされた古びた一冊。
タイトルはない。ただ、表紙の中央に銀の文字が一言だけ記されていた。
《記憶》
カイがページを開くと、奇妙な感覚に襲われた。
景色が揺れ、彼の視界に“過去の誰か”の記憶が流れ込んでくる。
──幼き日の少年。
父に剣を教わる日々。
戦火に消えた村。
焼け落ちた家。叫び。光。
そして……忘れたはずの名。
カイははっとして本を閉じた。
その瞬間、息が詰まり、胸の奥が熱くなった。
「……これは……誰の記憶だ?」
フランは言った。
「君自身のもの、かもしれない。あるいは、君がすれ違ってきた誰かの残響かもしれない。
この図書館にある書はすべて、“風が拾った記憶”だ。
読むたびに、他人の痛みを、自分のように思い出す。
……それが、魔法というものだよ」
カイはしばらく言葉を失っていた。
「他人の痛みを“知る”ための魔法……か」
「痛みは刃にもなるし、灯火にもなる。
君はそれを、どう使う?」
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その夜、カイは図書館の片隅で眠った。
夢の中で彼は、名も知らぬ子どもと手を繋いで歩いていた。
子どもはふと立ち止まり、振り返って言った。
「ぼくのこと、覚えていてくれて、ありがとう」
その言葉に、カイは目を覚ました。
朝日が棚の本を照らしていた。
風が吹き、札がひとつ、はらりと落ちた。
拾って見ると、そこには手書きでこう記されていた。
「誰かを知るたびに、自分もひとつ増えていく」
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旅立ちの朝、フランは言った。
「次に行くべき場所は、“忘れられた丘”だ。
そこには、もう誰もいない。だが、かつて誰かが、ずっと誰かを待っていた場所だ」
カイは頷き、また歩き出す。
風の読書家から受け取った記憶とことばを胸に、
彼の旅は、また少し深く、静かに進んでいく。
第六話へ続く。