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記憶の旅人  作者: 昼の月
20/30

橋のない川

カイが火守の山小屋を後にして数日。

山道を抜けると、開けた谷にたどり着いた。

そこには、大きな川が流れていた。名はルイン川。


雪解けの水を集めたその川は、深く、速く、冷たい。

けれど奇妙なことに、橋がなかった。


東と西をつなぐはずの幹道にもかかわらず、

その川を越える手段は、見当たらなかった。


対岸には、人の気配があった。

だが声は届かず、船もない。


カイはしばらく岸辺に佇み、川の音に耳を傾けた。



そのとき、背後から声がした。


「渡りたいのか? でも、お前は“まだ早い”かもしれんぞ」


振り返ると、そこには老人が立っていた。

くしゃくしゃの帽子をかぶり、釣竿を肩に背負っている。


名はフオス。

この川辺に長年暮らす、いわば“渡らない人”。


「昔はな、立派な橋があったよ。

でもある日、川が怒った。

それ以来、人は勝手に“この川は越えられない”と思い込むようになった」


「川が……怒った?」


「正確には、“忘れられた”。

名も、意味も、役目も、誰も思い出さなくなって、

この川は“ただ流れるだけの存在”になった」



カイは、火守の山小屋でもらった火打石と魔石を手にした。

そしてそっと川面にかざす。


すると、水面にうっすらと魔力の筋が浮かびあがった。

それは、古い記憶の名残――かつてここに魔法の橋がかかっていた痕跡だった。


「……この川は、“記憶の川”だな」


「察しがいい」


フオスは静かにうなずいた。


「ここは、“忘れたままにされた想い”が流れつく場所。

渡るには、自分が何を忘れ、何を忘れたくないか、

それを、川に投げねばならん」



カイは、ゆっくりと地に膝をつき、鞄から布を取り出した。

アーニャの銀糸の布、風の塔の風車の符、

港町で渡された詩の原稿――

それらをそばに並べて、ひとつずつ、自分に問いかけていった。


「俺が、忘れたくないものは……」


・誰かがくれたことば。

・誰かの傷に触れた手。

・自分がかつて逃げたこと。

・それでも、歩きつづけた道。


そして最後に、カイはひとつの石を拾い、それを川に投げた。


その石には、たったひとつの文字が刻まれていた。


ある



その瞬間、風が吹いた。

魔石がかすかに輝き、川面にひとすじの光の道が浮かび上がった。


水の上に、短く、そして確かに、橋ができていた。


フオスがうなずいた。


「お前は、“思い出して渡った”やつだ。

……そういう人間の足跡は、残らなくても届く」



川を渡った先には、小さな祠があった。

そしてその祠の中には、手のひらほどの石板が安置されていた。


そこには、こう刻まれていた。


「忘れることは、生きるため。

だが、思い出すことは、“誰かのため”」


カイは、深く頭を下げた。



旅の半ばを越え、彼は今、

“忘れられた橋”を、自分の意志で渡った。


それは「自分と過去」とをつなぐ橋であり、

そして、「自分と誰か」をつなぐ橋でもあった。



風が穏やかに吹いている。

遠くで誰かが、声をかけたような気がした。


第二十一話へ続く。

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