痛みの通り路(とおりみち)
ミルザの森の奥へと、カイは少女に導かれて進んだ。
少女の名はリュエル。癒し手の弟子だという。
話しぶりは淡々としていて、年齢にそぐわぬ落ち着きを見せるが、その歩みには、どこか脆さのようなものが滲んでいた。
「リュエル。あんたも“痛み”を通ってきたのか?」
ふと、そんな問いが口をついた。
リュエルは振り返らずに言った。
「うん。……でも私は、まだ通りきれてない」
「そうか」
それ以上、カイは何も聞かなかった。聞けなかった、というのが正しい。
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やがて二人は、大きな湖にたどり着いた。
その湖には不思議なことに、橋も舟もない。代わりに、湖面の上に淡く光る足場が、点々と浮かんでいる。
「ここが、“痛みの通り路”よ。進めるかどうかは、その人の心次第」
リュエルが一歩、光の足場に乗る。湖面が波紋を描いたが、彼女の足は沈まない。
「過去の痛みから目を逸らすと……落ちるの。
私は、二度も溺れた」
「痛み、ね」
カイは自分の胸に手を当てた。
――都での日々。
仲間たちとの訓練、笑い、裏切り。そして――失った命。
「……わかった。行くよ」
彼は一歩、湖面へと踏み出した。
足元がぐらつく。水の冷気が、肌ではなく心に刺さってくる。
次の足場へ――
途端、カイの頭の中に声が響く。
「お前が守ると言ったのに、俺は死んだよな」
「責任も取れずに、逃げたくせに」
仲間の声だ。あの時死なせてしまった青年、ジルの――
足場が揺れる。カイの視界が歪む。
膝が沈みかけるが、カイは歯を食いしばった。
「……そうだ。俺は、あの時逃げた」
叫ぶように吐き出す。
その瞬間、声は消え、足場は安定した。
「目を背けるな……ってことか」
リュエルが小さく頷いた。
「そう。痛みは消えない。でも、認めれば、足元にはなる」
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湖を渡りきると、森は開け、静かな平地に出た。
そこにぽつんと建つ一軒の石造りの家。窓辺には風車草が揺れている。
「ここが、癒し手の家」
「そうか……やっと、着いたんだな」
「でも、癒されるには、まだひとつ残ってるよ」
「なんだ?」
リュエルが小さく微笑む。
「“許す”こと。相手を、そして自分を」
カイは目を閉じた。
その言葉が、今日一番重く感じられた。
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家の扉がゆっくり開いた。
中から出てきたのは、白い髪の老女。背は小さいが、その瞳はまるで澄んだ深淵のようだった。
「ようこそ、旅人。……君には、まだ灯がある」
その声に、カイの胸の奥が、静かに波打った。
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癒し手との対話の中で、カイは新たな道を見出すことになる。
過去の痛み、そして“許し”とは――。
第三話へ続く。