火守の山小屋
井戸を後にして、カイは南へと向かった。
木々が再び増え始め、やがて山道となった。
道の両脇には、古びた祠や崩れかけた石垣が点在している。
このあたりは、かつて“火の神”を祀る民が住んでいたという。
だが今はもう、その信仰も祈りも、森に埋もれて久しい。
その中に、ひとつだけ煙を上げる小屋があった。
──火守の山小屋。
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小屋は、意外にも整っていた。
屋根には新しい藁が葺かれ、薪棚は丁寧に積まれている。
カイが近づくと、扉が少しだけ開いた。
現れたのは、壮年の女だった。
肩幅の広い、山のように無口な女性。
だが、その目にはずっと絶やしてこなかった“火”のようなものが灯っていた。
名はヤナ。
この山の最後の「火守」だという。
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「火は、絶やすな」
それが、彼女の口癖だった。
ヤナは多くを語らない。
けれどカイに、火のそばで過ごすことを許した。
夜、囲炉裏に薪がくべられ、火がごうと燃えた。
「この火……何年灯ってる?」
カイの問いに、ヤナはぽつりと答える。
「二十七年。……ひとつの過ちの、始まりから」
「過ち?」
「火を神として扱う者たちは、あるときそれを“力”に変えようとした。
そして、火は暴れた。村を焼いた」
ヤナは、その炎から生き残ったひとりだった。
だから、火に背を向けることも、崇めることもせず、ただ“守る”ことを選んだ。
「火に意味を与えるのは、人間の方だ。
だから私は、意味を与えず、ただ灯す」
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カイは火を見つめながら、自分の中にあった“火の記憶”を思い出していた。
──仲間を守れなかった夜、
──自分の魔法を恐れて逃げた日、
──それでも、火をくれた人々の声。
「俺も、火から逃げた。
けれど今は……火を“使う”のではなく、“託される”と思ってる」
ヤナは、かすかにうなずいた。
「なら、託してみろ。
その火がどんな色をしてるのか、見せてみな」
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カイは手をかざし、指先に小さな火を灯した。
昔のように燃え上がる力ではない。
だがそれは、いくつもの出会いを通ってきた火だった。
穏やかで、けれど芯に熱を持ち、どこか人に似ている。
ヤナはその火を見て、久しぶりに言葉を多く口にした。
「それはもう、“守るべき火”じゃないな。
“渡すべき火”だ。……次の誰かへ、つなげていけ」
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翌朝、カイが小屋を出るとき、ヤナは布包みを渡した。
中には、小さな火打石と、灰色の魔石が入っていた。
「もし、おまえの火が消えかけたら、それで思い出せ。
火は怒りでも後悔でもない。
“誰かに引き継がれた、生きた証”だ」
カイは深く頭を下げ、小屋を後にした。
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火は、燃やすためでなく、受け継ぐためにある。
それは、誰かの意志を運ぶもの。
そして今、カイはその火を灯したまま、次の旅路をゆく。
第二十話へ続く。




