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記憶の旅人  作者: 昼の月
17/30

ライの朝市にて

夜明けの道を下りた先に、ひとつの町が広がっていた。

その町の名はライ。谷と川に挟まれた穏やかな土地で、旅人と商人の交差点だった。


そして今日は、町にとって特別な日。

月に一度開かれる**朝市あさいち**の日だった。


露店が並び、香辛料の匂いが風に乗る。

果物の色、焼きたてのパンの湯気、人々の声――

それらすべてが、“生きている”という気配で町を満たしていた。


カイはその喧騒に、久しぶりに肩を預けた。



朝市の中央には、仮設の舞台が組まれていた。

そこで語られていたのは、物語――


ひとりの語り部が、民話を語っていた。


「昔むかし、心を失った旅人が、

見知らぬ人の小さなやさしさに、言葉を取り戻した。

その言葉は、やがて火になり、風になり――

遠くの誰かを、そっと照らしたという」


カイは足を止めた。

それは、どこか自分の旅と重なるようでいて、

“自分では語れなかった話”でもあった。



語り部の隣に、ひとりの若い男がいた。

筆と小さな板を持ち、物語を“記録”していた。


名をエミルという。


「ぼくは、“言葉を集める旅”をしているんです。

この国のあちこちにある、語られずに消えていく物語を、

ひとつでも多く、残したくて」


「物語を“残す”か……」


「そう。語る人がいなくなっても、

“誰かが生きていた証”として、残したい」


カイは自分の鞄を開き、あの詩人の原稿を取り出した。

――かつて沈黙の港町で受け取った、セオの兄が遺した詩。


「これを、読んでもらえないか」


エミルは受け取り、数行目を通すと、目を見開いた。


「……言葉が、生きてる」


「この詩は、“届かなかったまま”だった。

でも、こうして誰かが読むことで、息をし直せると思った」


エミルは深く頷き、舞台の語り部に渡した。

やがて詩は、朝の市場の空に、音として流れ出した。


「光を見たか 風を知っているか

名を呼ばれなかった声が ここにいたと告げている

あなたが忘れても わたしは覚えている」


市場が静かになり、誰かが涙をぬぐった。

誰も知らない詩人の、誰も届かなかったはずの言葉が、

今、生きていた。



「伝わったんだな……」


カイの言葉に、エミルは静かに笑った。


「言葉は火になる。けれどそれは、“燃やす”ためじゃない。

“温める”ためにあるんだ」


カイは、もう一度だけ詩の一節を思い出した。


「名前を知らなくても、

誰かを照らすことはできる」



朝市が終わる頃、カイは果物をひとつ買った。

名もない、酸味のある赤い実。

それを口に含むと、旅の味がした。


“苦さ”も“甘さ”も、全部飲みこんで、

それでも――残るものが、確かにある。



言葉を渡すということは、誰かの時間に、火を灯すこと。


カイは再び歩き出す。

声を持たぬ誰かのために、

まだ語られていない物語の続きを、探しながら。


第十八話へ続く。

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