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記憶の旅人  作者: 昼の月
15/30

ことばの墓標

谷を越えたあと、カイはしばらく北を目指していた。

道はなだらかだったが、空気が薄く、冷えていた。


やがて、木々のない丘陵地に出た。

風が強く、雲が低く、空の色までもが淡く消えていくような場所。

そしてその中心に、無数の木の杭が立っていた。


杭には、ひとつひとつ短いことばが刻まれていた。


「あなたに届かなかったごめん」

「待てなかった、でも忘れてない」

「……ありがとう」


名はない。日付も、送り主も受け手もない。

ただ、誰かが残した、ことばだけがある。


ここは「ことばの墓標ぼひょう」と呼ばれる場所だった。



風が鳴り、ことばたちが揺れている。


カイはその間を歩いた。

墓標の一つひとつに、時間の粒が貼りついていた。


踏みしめる土は柔らかい。

まるで“傷ついた思い出”が、そのまま地面に埋まっているようだった。


やがて、ひとりの男が現れた。

長身で痩せており、淡い青の外套を羽織っていた。

白い指で一本の杭を拭いながら、彼は言った。


「ここにあるのは、**“届けられなかった言葉”**ばかりだ」



名はロエン。

ことばの墓標の守人。元・吟遊詩人。


「昔は言葉を贈ることで人を癒せると思っていた。

だがある時、誰かのために綴った詩が、その人を壊した。

……それ以来、わたしは“語られなかった言葉”を集めるようになった」


「語られなかった言葉、か……」


カイは静かに頷いた。


「俺も、“遅すぎた言葉”をいくつも持ってる。

それを言えば救えたかもしれないのに、言わなかった。……言えなかった」


ロエンは優しく言った。


「だったら、ここに刻めばいい。

届かなかったとしても、“残す”ことには意味がある。

それは、誰かが拾うかもしれないから」



カイは杭を一本選んだ。

胸の奥にあった、まだ形になっていなかった言葉を、短く、静かに刻む。


「お前の痛みに、耳を塞いでいた。すまない」


ジル――

昔、自分が守れなかった仲間。

彼の悲しみに、怒りに、カイは向き合うのが怖かった。

そのくせ、心のどこかで赦されたいと願っていた。


だからこそ、その言葉は、自分のためでもあった。



夜、焚き火のそばで、ロエンが言った。


「言葉は、届かなくてもいい。

ただ、“在った”ことを認めることが、誰かを救うんだよ」


カイは火を見つめながら、静かに答えた。


「俺はもう、“答えをもらえない言葉”でも、伝えたいと思えるようになった。

それだけで――少し、軽くなる」


ロエンは満足そうに笑った。


「旅を終えたら、また来るといい。

“ことばの続きを刻みに”ね」



朝。風が変わった。


カイが丘を下ると、後ろで木の杭がいくつか揺れた。


まるで、誰かが「聞いたよ」と言ってくれたかのように。



言えなかったこと。届かなかったこと。

それでも、“残す”ことで、誰かが歩き出せる。


カイは、自分のことばを持って、また一歩を進める。


第十六話へ続く。

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