灯台の少年
風を編む塔を後にしたカイは、東へと歩き、やがて海に出た。
そこは、断崖の上にぽつりと建つ灯台が目印の小さな漁村だった。
潮の匂いと、打ち寄せる波の音が、空の青とともに村を包み込んでいる。
だが、どこか――少しだけ、色の薄い場所だった。
人の気配はある。漁の音も、子どもたちの笑い声もかすかに聞こえる。
けれどこの村の“真ん中”にあるはずの灯台だけが、静かに沈黙していた。
そしてそこには、一人の少年がいた。
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白い髪、日焼けした肌。
まるで灯そのもののような瞳の少年。名はエル。
灯台の入り口に座り込み、波を見ていた彼は、カイに気づくとすっと立ち上がった。
「……おじさん、旅の人?」
「そうだ。お前は、灯台の番人か?」
「昔はね。今はもう、火は灯さないんだ」
そう言って、エルはどこか無理に笑った。
笑顔の奥にある、消しきれない後悔のようなものに、カイは気づいた。
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夜、村の小さな宿で話を聞いた。
灯台は十年前まで、嵐の日も休まず光を掲げていた。
だがある夜、嵐の中で船が一隻、岩礁にぶつかって沈んだ。
そのとき灯台は――火を失っていた。
灯を見失った船には、村の者の家族が乗っていた。
以来、灯台は「祟られた場所」となり、誰も近づかなくなった。
「あの時、火があれば、助かったかもしれない――」
それが、村中の誰かの胸の奥に、静かに沈んでいる。
そしてその火を消してしまったのが、当時灯台の見習いだった少年――エルだった。
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翌日、カイは灯台を訪れた。
中は埃と塩で朽ちていた。
階段を登ると、最上部のランタン室には割れたガラスと、崩れた火床だけが残っていた。
そこに、エルが現れた。
「……この場所には、誰も来ない。
火を点けたら、また誰かを傷つける気がして」
「火は、お前が消したのか?」
「……わからない。
嵐の日、僕は……怖くて、扉を開けられなかった。
誰かを照らすことが、どんな意味を持つのか、わかってなかった」
カイは懐から、あの“風の布”の風車を取り出して、手渡した。
「これを、つけてみろ」
エルがそれを胸元につけたとたん、塔に風が入り込み、破れた窓から、遠くで誰かの声が響いたように思えた。
「光がなければ、俺たちは帰れなかった。
でも、最後に見えた気がしたんだ。
小さな光が、一瞬だけ」
それは――沈んだ船の誰かが、最後に見た光景だったのかもしれない。
エルの手が震える。
「僕の……火、届いてたの?」
「届いたんだろう。だからこそ、今もお前はここに立ってる。
光を怖れる必要はない。
灯は、誰かを救うと同時に、お前自身をも照らすんだ」
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その夜、十年ぶりに灯台に火が灯った。
小さく、静かに。
だがその光は、海の向こうに向けて、しっかりと放たれていた。
村の者たちは誰も近づこうとしなかったが、家の窓から灯を見ていた。
そして――少しずつ、扉が開き、声が聞こえ始めた。
「……ありがとう」
「まだ、海を見ても涙が出るけど」
「それでも、あの光は見たいと思った」
灯台は再び、村の風景の一部になった。
過去を消すことはできない。
けれど、“火を消したまま”にすることはない。
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旅立ちの朝、エルはカイに言った。
「僕もいつか、旅に出たい。
灯を持って、誰かの夜を照らせるようになりたい」
カイは頷いた。
「お前の灯は、もう始まってる。
それを信じて、進めばいい」
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誰かを照らすということは、自分を赦すことでもある。
光は怖れではなく、記憶と希望の交差点だ。
カイの歩みは、次なる出会いへ。
火をともす者として――
第十三話へ続く。




