風を編む塔
川を離れ、北東へ。
草木の香りが増し、やがてカイは風の強い高地へとたどり着いた。
そこに立っていたのは、ひとつの古い石塔。
年老いた風見鶏がきぃきぃと音を立て、草の波が塔の足元をぐるりと包んでいた。
塔の扉は開いていた。
中に入ると、薄暗い空間に風の音だけが響いていた。だが、塔は生きていた。
壁に吊るされた無数の風車、小さな鐘、糸車。
そのすべてが、風に応じてささやかに動いていた。
そして――塔の最上階に、彼女はいた。
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背の低い、白髪の女性。
腰には糸巻き、膝の上には編みかけの布。
彼女はカイを見て、言った。
「風に導かれて来たのね。……あなた、ずいぶん“重たい風”を背負っている」
「俺の歩いた先に、残っていった風、だろうな」
彼女は笑った。やさしく、古い風の音のように。
「私はミレイユ。この塔で、“風を編む”魔法を織ってる。
風の記憶を、糸にして織り込む。……そうすることで、消えかけた誰かの声を、残すの」
カイは思わず問い返した。
「声を、風から? 過去の?」
「ええ。風は覚えてるのよ。悲鳴も、祈りも、ささやきも。
あとはそれを“聴こう”とする人が、どれだけいるか」
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ミレイユは塔の奥から、一枚の布を取り出した。
それは、白地にかすかに模様の浮かんだ長い布。
耳を澄ますと、そこからほんのかすかな“声”が聞こえてくる。
「ここにいたよ。忘れないで」
「ありがとう。あなたのおかげで、まだ歩ける」
「――ごめんね」
風が刻んだ声。
それはまるで、亡くなった人々が、あるいは道を外れた誰かが、
世界の片隅に残した“余白”のようだった。
カイはそっとその布に手を当てた。
「……これは、俺が出会ってきた誰かたちの声にも、似てる」
ミレイユは言った。
「あなたはきっと、気づかぬうちに“風を集めてる”のね。
だからこそ、重たい風にも包まれる。
だけどそれは、悲しみじゃない。“責任”でもない。
ただ……あなたが、ちゃんと誰かを見てきたという証」
カイは少しだけ目を伏せ、静かに息を吐いた。
「……風は通り過ぎる。でも、残るものがある。
それを“模様”にできたら、きっと、誰かがまた歩き出せる」
⸻
ミレイユはカイの手をとり、彼の肩にひとつの小さな風車をつけた。
魔力の編み込まれた、銀と藍の布製の風車。
「これは“忘れない風”よ。
あなたが進む先で、何かが消えそうになったとき、
風が、あなたに声を届けてくれる」
カイはそれを受け取り、胸元につけた。
「ありがとう。……俺はまだ、“風の途中”だ。
けれど、歩きながらでも誰かを見つけられる気がする」
ミレイユは笑って、最後に言った。
「風の旅人へ。
――歩いて、感じて、編んでゆきなさい。あなた自身の“風の布”を」
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塔を離れると、風が背中を押してくるようだった。
振り返ると、風見鶏が東を指していた。
次の旅路へ。
風と共に、記憶と共に、声の余白を編みながら。
第十二話へ続く。




