川辺にて、火をともす
赤い砂漠を抜けた先に、小さな川が流れていた。
それは「ノルの川」と呼ばれ、東の山々から続く長い水脈の一部だった。
水面は澄み、浅瀬には石が散らばり、川辺には野の花がそっと揺れている。
カイは荷を降ろし、久々に焚き火を起こした。
陽は落ち、星がにじみ始めている。
この川のほとりに、今夜だけは留まってもいい――
そんな気がした。
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火がぱちぱちと音を立てる頃、
一人の旅人が向こう岸から姿を現した。
黒髪に浅い傷のある青年。
鋭い眼差しだが、どこか疲れたような雰囲気をまとう。
「……火を分けてくれるか」
「構わないさ」
青年は火のそばに座ると、無言で両手をかざした。
やがて彼はポツリと言った。
「……火ってのは、こええな」
「どうして?」
「燃える。壊す。焼き尽くす。
だけど……どこか、惹かれる。
忘れられねえ光なんだ」
その言葉に、カイはかすかに頷いた。
「俺は、火に助けられたことがあるよ。
けれど同時に――火を恐れて、使えなくなったこともある」
青年はちらりとカイを見た。
「お前、魔法使いだな。見りゃわかる」
「そう見えるか」
「“燃やすことを怖がってる”目だ。
それは、火を知ってる奴の目だ」
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青年はランと名乗った。
元は傭兵で、かつて一つの街を守るために戦ったという。
「でも……守りきれなかった」
火を灯しながら彼は言った。
「敵の攻撃が迫っててな。
街の防衛線の奥には、民間の避難路があった。
あの時俺は、“逃げた方が生き残る”って判断した。
結果、数十人の命は守れた。……けど、“見捨てた”って言われた」
「見捨てたのか?」
「……逃げた、とは思ってる。でも、“守った”とも言いたい。
だから、ずっと……この火を見るたびに、自分に問い続けてるんだ」
カイは静かに、ポケットからあの銀糸の布を取り出した。
「人は、過去を消せない。
でも――その綻びを“模様”に変えることはできる」
「模様?」
「誰かに見せてもいいって思えたとき、傷は少しずつ意味になる」
ランは黙って火を見つめた。
やがて、ふっと笑った。
「……じゃあ、俺の傷は“逃げ”の模様だ。
だがまあ……それでもいいって思えたのは、お前が初めてだ」
カイは薪をくべながら、静かに言った。
「火は、燃やすだけじゃない。照らすこともできる。
誰かの中にある“暗い場所”を――そっと、照らすためにもある」
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夜が深まった。
二人は多くを語らなかったが、沈黙が寂しさを伴わなかった。
火が、すでに言葉のかわりに温度を分け合っていたからだ。
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翌朝、ランは川を渡る前に言った。
「いつか、また会おう。……今度は、“模様”を見せに来いよ」
「お互いにな」
笑い合い、別れたあと、カイは川辺に残ってひとつの石を拾った。
それは焦げ跡のついた、小さな黒い石だった。
“燃えたあとに残るもの”――それは、失った証じゃない。
そこに何があったかを、思い出すための“灯”だ。
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カイはそれを懐に入れ、再び歩き出す。
今、彼の中にはひとつの火がある。
誰かの過去を、誰かの孤独を、
そっと照らすための、小さく静かな火が。
第十一話へ続く。




