第3話 ティアラ・ラズベリーの事情。
第3話。ティアラ・ラズベリーの事情。
「ーー・・んっ....ヨシタカぁ...もっとゆっくり」
「あぁ、わかってる。」
「そ..そう、良い感じ。」
「あっ!」
「っ!...すまん、大丈夫か?」
「う...うん。どこも当たってない」
「なら、続けるぞ」
声だけ聞けば勘違いされそうなやり取りをしている、ヨシタカくんはこの先一生踏み入れられないような東京の一等地にあるペントハウスで、段ボールや家具などを彼女と協力して運んでいた。
「ーー・・いやー、やっぱり男の人がいると早い早い。」
もうすっかり日は沈み時刻は19時を回り、ひとしきりダンボールと家具を部屋ごとに仕分けられた彼らは、リビングのソファーで一休みしていた。
「...ふぅ...日当は出るんだろうな?」
「もっちろんっ!いくら欲しい?」
「.....やっぱいい。」
未だ正確に彼女のことを知らない彼であったが、ここに平気で住める時点で、マジで言い値で支払われそうだったので冗談でもそれ以上の提案はしないでおいた。
「えー!いや、流石に何もなしってのは....」
サービス残業や無銭労働などありえない欧米では、彼のそれは法律的にあり得ないことだった。
「....なら、このミネラルウォーターだけで良い。」
「いやいやいや、ダメよ。」
何か要望を出さないと終わらなそうだったため、適当にソファーテーブル上のミネラルウォーターで手を打とうとするが、もちろん彼女はそれを容認しなかった。
「別に、なんも要らんのだが...」
齢15でありながら、精神的に既に満たされている彼は特に欲しいものはなく、お金も今以上は要らなかった。
「うーん...何か....あ、」
それでも引き下がりそうになかったティアラは、駄々っ広い部屋を見渡しながら何か渡せるモノがないか見渡していると、ヨシタカと目が合い何か閃いたようだった。
「っ....なんだよ?」
高いものしかないこの空間で、どう有耶無耶にしてお返しをやり過ごそうかと思っていたヨシタカはティアラの蒼く澄んだブルーダイアモンドすら霞む瞳に射抜かれ、気恥ずかしい顔をそらしながらそう言った。
「........」
すると、ティアラは何を言うでもなくジリジリとこちらに近づいてきた。
「...な、ちょ...おいっ」
此方の言葉は届かず、彼女の汗と甘い匂いが混ざった頭がクラクラする匂いが鼻に触れそうになり、心の準備もままならぬまま身を捩った。
「......ん?」
どこを触るわけにもいかず目の前を腕で防御したが、一向に彼女は此方に触れることはなく目を開けると、彼女は俺を飛び越えて何かに手を伸ばしていた。
「ん....よし、夕飯ないならピザ奢るね!何食べる?」
それは勘違いのようで、彼女が取ろうとしたのはこっちではなく、俺の後ろに置いていたタブレットだった。
「...あーまぁ、ないには無いな....お、これとかなら色々食えるだろ」
ほっとした反面、どこか...まぁ、そんなのはともかくとして、夕飯を決めてなかった俺は見せられたタブレットからいくつか無難な期間限定のピザをタップした。
「うん!良いわね、これにしましょ」
「あぁ」
「ふふっ...じゃ、私シャワー浴びてくるから、覗いちゃダメよ」
「なっ....」
あっさりと夕飯が決まったあと、彼女は立ち上がってあらぬ事を言ってこちらが何か言う前に行ってしまった。
「っぅ....なんだと思われてんだ....俺は..」
初対面ではないにしても少し大胆すぎるというか、あっさり自宅に入れるのも今の無防備な発言も、欧米の文化からしたらそこまで変ではないのかと、今は無理くり納得させて心臓のバクバクを沈めさせようとした。
「....やっぱり、あのままシュートした方が良かったかしら...いえ、焦りは禁物ね。まずは.....」
一方、ティアラはシャワーのノズルを捻りながら一瞬よぎったアクションを反芻しており、着々とヨシタカの外堀を埋めるのに考えを巡らせていた。
そして、彼はというと頭とか色々冷やすために、ベランダに出て夜風を浴びながら、東京を一望できる贅沢すぎる金持ちの景色を前にして、安直な感想を述べていた。
「・・....たけー」
やはり、彼女が誰なのかはわからんが、ヨシタカは彼女の事情をなんとなく把握はしていた。
おおよそ、海外で活動している有名人か何かで、色々あって日本に来たんだろう。
確か、世界一のユーチューバーも確か日本に移住したらしいし、そういった部類だろうな....それか、この家も親父の持ち物らしいから、ただ単に実家が太いか....と言っても、太すぎるな。うん。
ネオンで輝く東京の夜景を眺めながら、彼は彼女のおおよその事情を推測していた。
(...まぁ、これ以上聞かないわけにもいかないか....)
正直、このまま適切な距離感で、あくまで一知人として、彼女の口から日本に来た理由を聞かず、彼女の個人的な都合には決して踏み入れないで置くことも出来たが、さっきの男に絡まれて無理して対応している顔も、空港で乗り合わせた時の背負い込み過ぎてしまっている顔を見てしまってからでは、どう思われようとも向き合うしかなかった。
『ーー・・あの、義隆っ。ありがとう』
(....んー、したもんか....)
やはり、全てが許されるであろう彼女の笑顔は、彼を離してやまなかった。
ーーーピーンポーンっ
そうこうしていると、ピザの宅配が届いたのかインターホンの音が耳に入った。
「あ...っと、今行きます。』
ティアラはまだシャワー中だったので、急いでモニターの方へ行き応答し、直通エレベーターで一階まで降りに行った。
「....すみません、遅くなりました。」
分厚いセキュリティーを通って、一階に到着すると女子大生くらいの女が玄関口の前で待っていた。
「あの、いえ....カニクォーターのLとハーフアンドハーフのL、サービスのドリンクになります。ではっ!」
「あ、ども。」
ピザと領収書を渡されるとすぐに立ち去っていった。
(...なんだったんだ...)
エレベーターで上がっている最中、先の出来事を思い返していても特に気にはしてないが、変な感じだったなぁーと思っていると、彼女が待つペントハウスに到着した。
「...あ、住居人しか入れんのか...」
ドアの前までは来たものの、此処に来た時、セキュリティー上彼女と一緒じゃないと物理的に入れないのを思い出したが、ダメもとでパネルを押すと丁度彼女が出てくれた。
「...ん、もう来てたのね。ありがと」
まだ乾かし終えていなかったのか、彼女は水滴で少し髪が濡れており頬は少し火照り、彼女のお風呂上がりの匂いが彼の本能的な何かを刺激した。
「っ....あ、あぁ。」
服装もTシャツに部屋着の短パンとちょっと、彼には刺激が強すぎる様態で顔を逸らしながら、相槌を打った。
「?...んー...いい匂いね。リビングで食べましょ」
「あ、うん。」
刺激が強すぎる彼女は相変わらず距離感がバクっており、彼はよそよそしくならざる終えなかった。
「ーー・・うぅーん、日本のピザも美味しいわね!」
「....うん、うまいな。」
テーブルを挟んで距離を確保した彼は落ち着きを取り戻し、ティアラとピザを堪能していた。
「....んぅー、カニのピザってかなり美味しいぃ」
「海外ではないのか?」
ピザなんて海外でありふれていそうだったが、彼女の頬を支えて美味しそうに食べている様子はどこか新鮮だった。
「うーん、私は見たことはないわね。それに、ピザはあまり食べないし」
「へぇ、そうなのか」
海外ではピザはどこでも食べれそうであったが、彼女は特に好んで食べているわけではないようだった。
「いつもは何食べてるんだ?」
「そうね....いつもはお魚か、野菜、果物がメインね。それとお水しか飲まないわ」
「....クリロナかよ。」
有名人?の彼女の体型維持への徹底ぶりはアスリートクラスの食事風景が連想された。
「ふふっ、そういえば、彼とは話が合ったわね。」
「.....なぁ、ティアラ。」
「ん?どうしたの、ヨシタカ」
ほぼ決定的な事を聞いた彼は、半欠けのピザをおいて食事中というのは承知の上で本題に入ることにした。
「ティアラは、何してる人なんだ?」
「っ....え、本当にわからないの?」
思ってなかった質問に、彼女はむしろ質問を返していた。
「わからん。まぁ、何かの有名人?というのは今までの事から察してたが、何かまではわからん。」
「ぁ.....っ、ヨシタカは本当にタイムスリップでもしてきたのかしら.....」
あまり長い付き合いでないにしても、彼はそういった嘘がつける人ではないとは分かっていた。そして、今回直接聞かれたことで、彼が本当に自分のことを知らないというのは何処か腑に落ちた。
「...悪かったな、浦島太郎で」
興味の範囲が限定的な彼は、世間で起きているどうでも良い情報は認識範囲に入らないようになっているため、まさに浦島太郎であった。
「いえ、その....かなり無かった事だったから...むしろ新鮮というか...」
「ん、クラスの奴らも別にお前の事知らんかったろ」
「.....あっ、確かにそうね。」
詳しくは聞いてないが、なんであのティアラ・ラズベリーがこの学校に?とは一言も聞いていなかったため、学校の奴らも彼女を知っている様子はなかった。まぁ、天堂はそっちの人間だったから例外ではあったが...
「.....え、ごほんっ。私はシンガーソングライターのティアラ・ラズベリー。よろしくね、ヨシタカ。」
そして、彼女はちゃんとした自己紹介がまだだったと気づき、デビューのきっかけとなった動画以来の自己紹介をし、改めて握手を差し出した。
「あぁ、よろしくな。ティアラ。」
「ぁ...うん。ふふっ、よろしくお願いします......末長く」
彼女の握手に快く応じたヨシタカに、彼女は嬉しさを滲ませ最後に意味深な言葉を呟くと、彼女の目の奥には熱い何かが滾っていた。
そうして、その後ピザをつまみにお話を楽しんでいると、話題は日本へ移った。
「ーー・・まだ日は浅いが、日本はどうなんだ?」
「はっきりいって、最高よ!」
「お、おぉ...そうか」
彼がそう聞くと彼女はその気持ちを表現するために、彼の顔寸前まで身を乗り出して色々熱弁してくれた。
「お水は綺麗だし、食べ物も安価で美味しい、治安も良くて道も綺麗、街中で声もかけられないし、パパラッチもいない。最高よ!」
ゴールデンレトリバーのような彼女は尻尾をフリフリしながら、その喜びを表現してくれていた。
「それは良かったな。」
しかし、それらはそれが当たり前となっている中からでは、あまり認識できない、それでいて先人たちが死力を尽くして積み上げてきた日本という国の恩恵であった。
「いっそ、このまま永住したいー」
彼女はそう言いながら後ろのソファーにしなだれ込んでいた。
「まぁ、良いんじゃないか、有名人じゃなくとも住むのに、日本よりも良い国はないだろうからな。」
ティアラがさっき言ってた日本のこともそうだったが、何よりも代え難い治安と物価が安定している国はそうそうなく、何よりも四季があって天気が良い国は更に限定されるため、自分が知る限りでは日本以上の国はないように思えた。
「....っ、ならさ....ヨシタカ。」
何か大事なたがが外れてしまったティアラは、彼の方へとにじり寄っていった。
「っ?!な...おいっ...」
変な雰囲気を感じた彼は、距離を取ろうとするが後ろはソファーで気づけば彼女に押し倒される様態になってしまった。
「...はぁ...ぁ...このままさ...一緒に...」
「っぅ....おま...どうした...」
一向に止まりそうにない彼女の甘い吐息が首筋にかかり、変な声が出そうになりながらも机の下に逃げようとした。
ーーードンっ!
「っ!....」
まさかされる日が来るとは思わなかった床ドンで逃げ道を塞がれた彼は、身を縮めながら彼女の妙に据わった蒼い瞳に掴まってしまった。
「ダメ、やっぱり...無理。」
彼女の胸元がはだけており、その真っ白なものが体に触れそうになり、彼女の妖艶な声が近づきながら彼女の我慢していた思いが溢れ今にも彼を食らおうとした。
ーーーピーンポーン。
その瞬間、ピンポンの音が部屋に鳴り響いいた。
「!....ん、ヨシタカ....」
一度はパネルの方が見るが、彼女は構うもんかと組み敷かれた彼へ向かおうとしたが、再びそれは阻まれた。
ーーーーピーンポーン。
『ーーおーい。ごめんね、手続きが長引いいちゃって...お寿司買ってきたよー』
すると、そういう仕様なのか操作せずとも玄関先の訪問者の声が届いた。
「...っ!フジちゃんっ!」
その声はティアラの親しい人のようで、彼女は急いでフジちゃん?に応対しに行った。
「.....た、助かったのか」
「あっ....っと....あわあわ」
彼女の残り香が鼻腔をくすぐる中、体を起こしあわあわしている彼女を一瞥した。
「...おい。知り合いか?」
さっきとは空気が変わったのを確認して、彼女にそう聞いた。
「あ、うん。マネージャーさん!っと...変じゃないわよね?」
さっきまでと打って変わったいつもの彼女は、身なりの確認を求めてきたが主に一部分以外は問題ないように見えた。
「あー...この辺が...」
「あっ....あ、ありがと」
はだけていた胸元をやんわり指摘すると、彼女は耳を赤くしながら直した。
「・・ふぅ....じゃ、お寿司食べてから、荷解きを....って、あら」
そうこうしていると、扉のドアが開きマネージャーさんがお寿司を持って入ってきて、男女が相対しているのに鉢合わせた。
「...え、ぁ...これは...」
「.....」
何とか弁明しようとする彼女と、すでに帰る準備が整った彼はいつ帰ろうか探っていた。
「ご、ごゆっくり.....」
「ちょ、ちょっと、待ってー!」
一瞬で色々察したマネージャーさんだったが、ティアラに引き留められた。
「いや、私がいちゃ、まずいでしょ...」
「いえ、俺はもう帰るので」
「....えっと、君は?」
マネージャーさんは彼女にホールドされながら、触れないわけにはいかない、一切男気がないティアラの家に入れた彼へ話が飛んだ。
「同じクラスメイトの若狭義隆です。」
「.....成程。」
発端はマネージャーが誘った日本旅行からであったが、グロッキー気味だった彼女が沖縄空港で合流した際は、つきもののとれた元気な様子だった事や、入学先の学校候補が一つだけだった事など色々と繋がった事に納得していた。
「?」
「あ、私は彼女のマネージャー。富士 美玲です。よろしくお願いします。」
「はい、こちらこそ。では、俺は帰るので、じゃ」
軽い挨拶を交わした彼は自分から色々説明するのは面倒なので、あとはティアラに任せてこの場を後にしようとしたが、背後から、それでも寂しそうというか残念そうな、レトリバー味のある潤んだ瞳が突き刺さった。
「っ....」
それを感じた彼は、一旦立ち止まって、彼女の方を向いた。
「っ!ど、どうしたの?忘れ物?」
「いや...なんだ....また明日な、ティアラ。」
友達が一切いなかった彼は小っ恥ずかしそうに、ぎこちなく別れの挨拶をした。
「っ...うん!また明日ね。ヨシタカっ!」
なんでもない彼のそれが嬉しかったのか、ティアラは彼に駆け寄ってハグをして見送った。
「っ...ははっ....あぁ。」
風呂上がりの良い匂いと、ピザの匂いが入り混じった彼女の匂いはどこか忘れていた一人の寂しさを癒してくれた。




