力のある人間
森の魔女も魔猫も自分を運ぶものなど持ち合わせていない。
だから二人は森を歩いて移動することにした。
二人とも元々森に住んでいるので危険なものなどは察知できるし、道もよくわかっている。
魔獣や動物もさほど警戒する必要はないし、彼らの領域に踏み入らなければ問題ない事も知っている。
だから不安な様子もなく歩いていた。
ちなみにアーニャは姿を変える以前から何も持っていなかった。
だから持ち物はないのだが、それは普通のご令嬢ならば考えにくいことである。
なので、もし聞かれたら、本人は何があったか覚えていないけれど、何かから逃げたのかもしれないし、荷物は盗まれたのかもしれない、と曖昧にしておけばいい。
細かい設定は決めないと言いながらも、少しだけ追加をしようと雑談をしながら歩いていると、そこに偶然、先ほど狩りをしていた男達が馬に乗って姿を見せた。
そして彼らも自分たちに気が付いたのか、こちらに向かってくる。
それに気が付いた二人は、彼らに会話を聞かれないよう口を閉ざした。
「あなた方はこんな所で一体何をしているのですか」
若い女性が二人、物騒な森の中を歩いている。
街に住む人間からすれば不自然な行動だ。
そのため二人を見つけた彼は少し距離を取ってそう声をかけた。
馬上の男性に話しかけられた二人は、その場で足を止めて顔を見合わせる。
そしてすぐ、とりあえずここで打ち合わせした設定を使うことにする。
「あ、あの……」
「私は気がついたら森にいて、この方が私を見つけてくれました。それでここは危険だから街まで送ってくれると」
魔女が言い淀んだのに対し、魔猫は堂々とさっきの設定を口にしていた。
ご令嬢としての振る舞いも、まあまあ不自然さはない。
貴族っぽくはないが、市井の元気な女性なら許容範囲だろう。
そしてその大ざっぱな仕草を、あまりある美貌が補っている感じだ。
「そうでしたか。では、そちらの方は……」
一人のご令嬢のことはわかったが、もう一人の女性は何者なのか。
ご令嬢は何かトラブルに巻き込まれて森に連れて来られたのかもしれないが、もう一人はそうではない様子だ。
彼女の言うことが正しいならば、もう一人の女性はこの森の中を一人で歩いていて、このご令嬢を発見したことになる。
一人で女性が森に何をしに来たのか。
その目的が分からない。
そしてその女性の答えも首を傾げるものだった。
「ああ、私は近所に住んでるので、私のことは気にしないでいただければ……」
「……そうですか」
女性は森の中にいながら、この場所を近所だという。
返事に困ったが、彼は一旦聞き流すことにした。
するとその女性が、場所にいる自分にこんな提案をしてきた。
「あ、そうだ!あの、もし街まで行くのでしたら、この子を送ってもらえませんか?」
彼女を街に連れて行くつもりというのは本当のことらしい。
そして心配して声をかけてくれる善良な人と自分を見たのだろう。
男は従者と顔を見合わせて問題ないことを確認してから、女性に尋ねた。
「それは構わないが、君はどうするんだ?」
「私は家まで歩けますから問題ありません」
どうやら女性は、このご令嬢一人を自分たちに預けようとしているらしい。
こちらから声をかけたのは、確かに遠目から見ても目を引く美女がいたからだが、別にこの女性から引き離そうとしていた訳ではない。
とりあえずこの二人はただのご令嬢、警戒する対象ではなさそうだと判断した男と従者は、馬から降りると対応について話し始めた。
「ちょっと!一緒に街まで行って依頼主に確認するんじゃなかったの?」
馬から降りた二人が何かを話し始めたところで、アーニャは魔女を引っ張って行き、彼らと距離を取ったところで小声で尋ねた。
「ああ。解呪方法だけど、あなたが真実の愛を見つければいいだけ。相思相愛になれば戻れるはずよ。だからあなたの気持ち次第」
「何よそれ!」
魔女の言い草に思わず声を荒らげそうになったアーニャは、慌てて自分の口元を手で押さえた。
魔女はそんなアーニャに動じることなく、男達を一瞥してから続ける。
「それに相手は貴族です。彼の側にいた方が彼女に近付けます。依頼主の彼女、あの方に懸想しているようですからね」
「意味が分からないのだけれど?」
アーニャには貴族という爵位の概念がいまいち理解できない。
種族で区別をするのは分かるが、同族での上下関係を力の強弱で決めるのが魔族なのだ。
それに対し、人間はなぜか生まれた時から上下関係が決定していて、それが本人の能力に関係なかったりする場合がある。
能力の高いものが不満に思うことはないのだろうか、なぜそれであのような発展を遂げられているのか、魔族は人間を不思議なものとして見ているのだ。
「とりあえず、あの方はとても力がある人間なので逆らわない方がいいです。悪いようにはされないと思いますし、後日、アーニャと外出するとか何とか理由を付けて、私があの方のところへ伺って、ご令嬢のことはその時に説明しますから」
「本当に?」
面倒事を遠ざけようとしているだけではないのかと、アーニャが魔女に疑いの目を向けると、魔女はため息をついた。
「約束します。とりあえずここで変な行動を起こして罰せられるのは得策ではありません。彼らはこの森の中でさっきまで狩りをしていたのです。武器も持っています。逆らって狩られては困るでしょう?」
魔猫は自分が飛び出してぶつかりかけた相手と彼が同一人物であることには気がついていない様子だ。
馬の前に飛び出した直後、彼ではない第三者から自分が矢を当てられたのだから、それどころではなかったのだろう。
そう考えた魔女は、あえてその事は伝えず、彼らは獣や鳥を狩りに来ている人間で、地位だけではなく力も強い、逆らって武器を向けられたら勝ち目はないと伝えることにした。
見た目がすでに完璧な人間の美人令嬢なので、おそらくその心配はないのだが、魔女があえてそう伝えると、アーニャは素直にうなずいた。
「わかったわ」
もともと魔猫のアーニャは自分が人間であるというより、魔獣である自覚の方が大きい。
だから魔物として狩られるという言葉に条件反射で恐怖を感じたのだ。
元に戻るにしても命がなければ意味がない。
まずはここを乗り切って生き延びることを考えなければ。
魔猫は魔女の話を聞いて、そう決意したのだった。