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魔猫の人間設定

「あ、そうだわ。あなたの人間としての設定を考えなきゃ!」


魔女が思い出したように言うと魔猫は首を傾げた。


「そんなものが必要なの?」

「色々聞かれたら困るでしょう?」

「そうだけど……」


魔女以外の人間に会わなければいい、その前に戻れば何も問題ないと魔猫は思っているが、そううまくいく訳がない。

頭では分かっているが、まだ魔猫の中では感情がついていかないのだ。

けれど魔猫が納得するのを待っていたらいつになるか分からない。

そのため魔女は強制的に話を進めることにした。


「まずは名前ね」

「アーニャよ」


魔女が何にしようかと考える前に魔猫は自分の名前を即答した。


「あら、お名前があったのですね。じゃあこれからは魔猫さんではなくて、アーニャさんと呼んだ方がいいですね」

「呼び捨てでいいわよ」


魔猫に名前があることが意外だったのか、魔女が感心したように言うと、魔猫はため息をつきながら言った。

今さら魔女にどう呼ばれようと構わない。

けれど魔獣に理解があり、自分の今の状況を理解してくれている彼女とは、これからも長い付き合いになる可能性がある。

まだ魔女と親しい間柄ではないが、何となく敬称が付くと仰々しい気がするし、今まで軽口を言い合っていたのに、急に距離を置かれたように感じられて複雑な気分になる。


「わかりました。じゃあ、アーニャ、設定ですけど、とりあえず……、あなたは記憶喪失で森の中で倒れていた。だから生まれも育ちもわからない……とか」

「ありきたりね。でも、一番逃げやすい設定だわ」


魔女の提案に思わず魔猫は本音を漏らした。

その言葉に、とりあえず魔猫がこの設定を了承していると判断した魔女は、話を続ける。


「で、私はあなたが森で遭難しているのを偶然見つけて保護した。街にはあなたの記憶の手がかりがないかを探したいから連れてきている。辛うじて分かっているのは、私と出会った時につぶやいた名前だけ」

「じゃあ、あなたがそう言ったから私がアーニャと名乗っているということでいいかしら?街に行くのはあまり気が進まないのだけれど……」


魔女の家にいたところで何も解決しないのは分かっている。

けれど魔獣の一種である魔猫が、長い時間、人間の多い街に滞在したり、人間と接するのは非常に気を使う。

一番は魔女が解決策を持ってきてくれることなのだが、魔女はそれが不可能だと言っていた。

解決に近付くためには仕方がないのだが、気乗りしないものはしない。

何より行かないという選択肢がないのが辛いところだ。

魔猫は思わずため息をつくが、魔女はそれも見て見ぬふりをして話を進める。


「そうです。本当の名前かどうかも分からない、家族の名前かもしれないけど呼ばれたらしっくりくるので、その名前を使っているとかでいいと思います。偽名を使っても良いと思いますが、呼ばれ慣れた名前の方がボロは出にくいかと」


架空の設定なのだから別の名前を使いたいのならそれを考えてもいいが、魔猫がそれを自分だと認識できなければ意味がない。

それなら名前は同じでいいだろう。

そもそも人間は魔猫のアーニャを知らないのだから、その名前を聞いたところでアーニャが魔猫であると判断されることはないだろうし、今は完璧な人間の美女になっている。

魔猫がこっそり出かけていた時とも姿が違うのだから、何も問題はない。


「そうね……。他に決めておくことはあるかしら?」


こうなったら細部まで決めてしまった方がいいかもしれないと魔猫が尋ねると、魔女は少し考えてから言った。


「特にないですかね。基本的に何を聞かれても記憶はないって方向でいいと思います。その方が自由に動けるんじゃないでしょうか」


記憶にないという言葉は、とても都合よく使える設定だ。

分からないことも、答えたくないことも、記憶がないからで通すことができる。


「確かにそうだわ。自分たちで決めた設定に雁字搦めになるのは良くないから、分からないことは記憶がなくて、とか言えば何とかなる方が、私にとっても都合がいいというわけね」

「そうですよ。ご理解が早くて何よりです」



とりあえず大ざっぱな設定は決まった。

そのため魔猫は気になっていた依頼主のことに話を戻す。


「この後はどうすればいいの?とりあえずその相手っていうのを拝みたいんだけど」


自分をこんな目に合わせた元凶を拝みたい。

できれば一矢報いたい。

けれど魔女は依頼主のことを隠そうとするかもしれないと思いながら、強く主張すると、魔女は彼女が言っていたことを思い出しながら、魔猫に伝える。


「そうですね、とりあえず街に行かないことにはどうしようもないです。確かにご依頼の女性は依頼の時にここに来ましたけど、普段だったらこんな森には来ないって言っていましたから、ここで待っていても会えないと思います。こちらから行くしかないですね」


だから依頼主をここに呼ぶのは難しいし、しっかりと説明をした上、念まで押したが、あのご令嬢もこの失敗に気が付いたら自分に詰め寄ってくる可能性がある。

それでは藪蛇だ。

魔女としては彼女との直接的な接触は避けたい。

だから、ご令嬢のところまでは案内するが自分は会わない。

あくまで遠くからあの人ですと教えるだけにするつもりだ。


「じゃあ、行きましょうか」

「今からですか?」

「早い方がいいでしょ?」


じっとしているのは落ち着かない。

少しでもできることがあるのならやっておきたいし、とにかく早く元に戻りたいのだ。


「まぁ、そうですけど、アーニャはたくましいですね」

「たくましい?初めて言われたわ」


魔猫の時も仲間にそのようなことを言われたことはない。

体もそんなに大きくない方だし、素早さならば多少の自信はあるけれど、それだって標準よりやや上くらいだ。

けれど魔女は肉体的な部分ではないと、微笑ましく思いながらそれを伝える。


「自分がこんな目にあっても、落ち込んで何もできないとか言わないじゃないですか。たくましいって、とても前向きだなって意味ですよ」

「そうなの?でもできることがあるのに何もしないって変でしょ?早く元に戻りたいんだから、そのためにできることはしたいし、そんなくだらないことを考えて人に迷惑かける人間の顔くらい見ておきたいわ」


魔猫がとにかく依頼主に執着していることは分かった。

問題はすぐに解決しないのだし、依頼主を見せれば魔猫もとりあえず怒りを収めることができるだろう。

それが良い方向に向かうかもしれない。


「わかりました。もうお昼になりましたし、歩いて森を出ることになりますから、今から出て、街に着いておいた方がいいですね。今日、依頼主のご令嬢対面できるとは限りませんが、日が落ちる前に街を出られるなら、私が送って行けますし」


その後の滞在先は決まっていないが、とりあえず彼女のために数泊分、女性でも安全に過ごせる宿をとって拠点とすればいい。

自分は家に戻るので、アーニャを一人にすることになるが、食事なども付けておけば、人間と同じ食事ができるのなら不自由しなくてすむだろう。

自分は宿に定期的に様子を見に行って、そのご令嬢のことを教えたり、必要に応じて滞在を延長できるように計らってあげれば問題ないはずだ。

それが少しでもアーニャへの贖罪になるのなら宿代を負担するくらい大したことではない。

魔女がそんなことを考えていると、魔猫は目の前に残ったクッキーを頬張り、冷めた紅茶を飲み干すと立ち上がった。


「そうと決まれば行きましょう」


魔女は急に彼女が立ち上がったことに驚いたが、魔猫がやる気になっているうちに進めた方がいいと考え、カバンを持つと一緒に外に出るよう促した。

こうして二人は、魔女の家を出ることにしたのだった。

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