埋葬と脱走
魔女が応接室らしきところに通されると、にわかに外が騒がしくなった。
おそらく棺が届いたのだろう。
きっと今頃、アーニャは旦那様と最後のお別れをしているはずだ。
棺が届いたということは、部屋でアーニャとお別れの挨拶を済ませた旦那様が、アーニャをそこに移し、埋葬の覚悟を決めたら、いよいよ自分の出番だ。
魔女は自分が呼ばれるタイミングを外の様子から判断しようと集中した。
ここから先は気を抜くことが許されない。
隙を見て魔猫のアーニャを逃がせれば一番いいので、常にそのチャンスを伺い、もし埋められた後なら、周囲の目のないタイミングで掘り起こしてアーニャを外に出さねばならないのだ。
しかし自分が好きを作った時にアーニャが目を覚ましているかどうかは分からないし、その時にうまく逃げだせるかどうかは分からない。
だから不審何度も脱出させるための隙を作る必要があるのだ。
そうして外の騒がしさを感じるようになってから一時間くらいすると、応接室に先ほど自分を案内してくれたばあやがやってきた。
「埋葬いたしますので、どうぞ、最後のお別れを」
「はい」
いよいよ仮死状態のアーニャとの対面だ。
魔女はばあやの声を聞いて立ち上がった。
そして、無言で歩くばあやの後を追う。
しばらく歩いたところで、ばあやは立ち止まった。
「あちらでどうぞご一緒に」
「いいのですか?」
ばあやの示した方向を見ると、そこにはすでに墓石があり、その手前には棺を埋葬するための穴があけられていた。
その穴に身を乗り出すように膝をついて体を倒しているのは旦那様だ。
魔女は自分が近付いていいのかとばあやに視線を送ると、ばあやは静かにうなずいた。
「あの、お別れのご挨拶を」
魔女が旦那様の視界に入る位置に立ちそう言うと、旦那様はようやく顔を上げた。
旦那様はずっと泣き通しだったのか、憔悴しきっている様子だ。
「ああ、申し訳ない。呼びだしておいて対面させないで帰してしまうところでした。私は……」
魔女の姿を認めた彼は、慌ててそう言って立ち上がった。
「それだけアーニャを思ってくださったということではありませんか」
「そう言ってもらえると……。さあ、あなたも……」
「はい」
魔女は旦那様に返事をすると、穴を覗き込んだ。
棺に納められたアーニャは、人間の姿を保ったまま眠っていた。
別れを惜しむようにそれとなく手を取ると、うっすらと反応がある。
そこで魔女はアーニャがすでに眠りから覚めているのだと認識した。
そうなれば後は逃がすタイミングを作るだけだ。
「アーニャ」
魔女は悲しそうにそう言ってアーニャの手を一度強く握ると、できるだけ早く逃げるタイミングを作ると決めて立ち上がった。
魔女が立ち上がると、彼も同じタイミングで立ち上がった。
すると待っていたかのように棺に蓋が乗せられた。
まだ少し棺はずれているので、アーニャの顔が見える状態だ。
「ああ、本当にお別れなのか」
蓋の乗せられた棺に再び近付こうと膝をついた旦那様が、その蓋を撫でるように触れながら涙を流す。
ここには彼の気心の知れた人間と、魔女しかいない。
最初は魔女に気を使っていた彼だったが、もう人目をはばかるようなことはしなかった。
「残念でなりません」
魔女はそれとなくそう声を掛けるが旦那様にはその声は届いていないらしい。
きっとアーニャしか見えていないのだろう。
魔女がそう思って様子を伺っていると、旦那様が顔を上げて魔女を見て、再び頭を下げた。
「彼女が改めて君にお礼を言いたがっていたから来てもらったが、あれが最期になってしまうなんて」
「何と申し上げればよいか」
旦那様が急に先ほどと似たような話をし始めたため、魔女はとりあえず話を合わせる。
「いや、あなたを責めているわけではない。あなたは何も悪くないのだから……」
「旦那様、そろそろ……」
「そうだな。離れがたいが……」
ばあやに促され、穴の中に入れられた棺の蓋を最後に二人で静かに閉めた。
棺を閉めると彼は悲しみのあまり、棺の蓋からすぐに手を離して思わず顔を背けた。
その隙を見逃さなかった魔女は、悲しんでいるフリをしながら棺の端に触れた。
「アーニャ」
見られていないことを確認した魔女が、蓋を持ち上げてそう呼びかけると、真っ暗になったのと同時に猫に戻っていたアーニャが、小さい姿で外に飛び出た。
猫も棺が開いたので、変身を解いて猫の姿で器用に抜け出し近くの茂みに隠れる。
その一瞬の動きを自分の作った隙間から風の動きで察した魔女は、何もなかったかのようにずらした蓋を元に戻した。
「思ったより早く開いて驚いたわ。後で掘り返してくれるって話だったからのんびり構えていたけど、早く出られるに越したことはないわよね」
茂みに逃げ込んでから、ため息混じりに独り言を言ってから、複雑な思いで自分の為に建てられた墓を見た。
そして埋められていく穴と、周囲の者達がそれを見守っている様子が目に映る。
「あの人に悲しい思いをさせたいわけじゃなかったのに、こんなことになるなんて……」
悲しむ彼を見た猫は、初めて人間の姿を失ったことを残念に思ったのだった。