本当に大切と思うのなら
旦那様からアーニャの訃報を受けた魔女は、すぐに支度を済ませてその家へと向かった。
わざわざ連絡をしてきたのは、自分にも弔いの兄立ち会ってほしいということだと理解したからだ。
「急にお呼び立てして申し訳ありません。医者には診せていたのですが、このようなことになってしまいました」
魔女が家に着くと、旦那様が玄関先まで出てきて、挨拶もそこそこに、いきなりそう言って頭を下げた。
魔女は驚いたものの、大きく一呼吸すると、できるだけ穏やかに慰めの言葉をかけた。
「旦那様は何も悪いことをしていないではありませんか。それに私に謝る必要はありませんよ。保護者とかではないのですから。むしろ見ず知らずのアーニャに、ここまで目をかけてくださったのですから、私のところにいるよりもアーニャは幸せだったと思います」
自分では贅沢な暮しも、貴族社会に触れさせることも難しかった。
何よりアーニャは旦那様との交流のおかげで真実の愛を知って、元に戻ることができるようになったのだ。
人間社会の貴重な経験に加えて呪いを解いてくれた彼に感謝はあれど、恨みなど微塵もないのは間違いない。
しかしそんなこととは知らない彼からすると、そうではなかった。
「そうでしょうか?本当なら、綺麗な服よりも、出かけるよりも、まずは彼女の親族を探すべきだった。もしかしたらそこから彼女の記憶を戻すことができたかもしれない。ですが私は、自分のエゴでそれをしなかったのです。とても後悔しています。あなたの嫌いな人間そのものでしょう?」
旦那様は魔女が人間を嫌っているのを知っていた。
もちろん、その理由もだ。
しかもそんな彼女をここに呼んだのも、そして彼女に謝罪したのも、アーニャにできなかったことを彼女に対して行うことで罪悪感から逃れたかったからだ。
それで自分の罪を少しでも軽くしようなんて、本当に浅はかだと思いながらも、そうしなければ耐えられないほど彼は疲弊していた。
一方の魔女も旦那様をここまで疲弊させてしまったことに少し罪悪感を抱いていた。
しかし本当の事を伝えることはできないので、彼の抱えた罪悪感を軽くできるよう慰めるしかない。
「そんなことはないですよ。失くした記憶が必ずしも良いものとは限りませんし、ここにいて、それがアーニャにとって幸せだったのなら、私は記憶が戻らなくても、よかったんじゃないかと思います。少なくともあなたは、アーニャを大切にしてくれていたのですから」
いくら一目ぼれで愛した女性とはいえ、普通はここまでしないだろう。
彼は十分どころか、背負う必要のない責任まで果たしてくれた。
何よりアーニャは本当に幸せだった。
呪いにかかってしまったことで起きた偶然の出会いだったけれど、その呪いが解かれるくらい幸せに暮らせていたのだ。
それにしてもその幸せを運ぶのも奪うのも同じ呪いなのだから、この呪いの恐ろしさと皮肉さを痛感させられる。
魔女はそう考えて複雑な表情を浮かべた。
「本当に大切にするということは、一体どういうことなのかと考えてしまいますね。今さらと思われるかもしれませんが、恥ずかしながら私はアーニャさんと仲の良いあなたに嫉妬していたんです。ですが、そんなあなたにそう言ってもらえて、少し心が軽くなりました」
彼からすれば、本当にアーニャのために動いていたのは魔女の方だ。
だからアーニャは魔女を信頼していた。
実際は真実を知る同士といった感じなのだが、彼からはそう見えていたのだ。
そしてそんな魔女に嫉妬心を抱いてしまった結果、冷静な判断力を削がれて自分の行動を誤った。
しかし魔女は、アーニャを一番よく理解している彼女は、自分といてアーニャは幸せだったと言ってくれた。
その言葉が彼の救いだ。
「それでアーニャは……」
魔女が尋ねると、彼はうつむきながら言った。
「棺を手配しておりますので、そこに移して埋葬するつもりです。最後のお別れにはどうか立ち会ってください。ここに来てからも、アーニャさんはあなたのことを気にされていましたから」
そのために魔女を呼んだ。
それがアーニャに対してできる、最後の事ことと思ったからだ。
そして魔女はそうなることを想定してアーニャに薬を渡している。
「こちらこそ、知らせてくださってありがとうございました。最後に会ったアーニャは本当に具合が悪そうでしたし……」
魔女が言うと、彼は二人がが最後に面会した日の事を考えた。
あれは確か、アーニャができるだけ早く魔女に会いたいと懇願したので、使いを出したのだと思い出す。
立ちあったわけではないが、すでにあのタイミングならアーニャは相当疲弊していたはずだ。
「ああ、数日前にお越しいただいたのが最期になってしまったのですね」
「そうですね。残念ながら……」
魔女はさも残念そうに言うが、タイミングはアーニャに任せていたとはいえ、こうなることは分かっていた。
むしろこうならなければ計画が順調とは言えない。
どうなるか分からない仮死の薬を一人で自ら呷るのは、どんなに恐ろしいことか。
助かると分かっていても自分が決行するとなれば相当の勇気が必要だ。
魔女はアーニャの勇気を無駄にしないよう、言葉を選ばなければと気を引き締めた。
「もしかしたらアーニャさんにはなにか思うところがあったのかもしれません。最後になるかもと……。それより私はアーニャさんを一人で旅立たせてしまいました。朝起きてこないので様子を見に行った者が見つけたのですが、見つけた時にはもう……」
彼の言葉を受けて、魔女は自分の表情を見せないよう少しうつむいて言った。
「アーニャさんは眠るように亡くなったのですね。苦しまなかったのならそれ以上はもう……」
眠るように意識がなくなる、というか、動物に与えるとぱったりと意識がなくなるのでびっくりするけれど、ベッドの上で横になっている状態で発見されたのなら、彼女が発見されたのは仮死状態になった後のはずだ。
飲んだ際、苦しむことはないはずだから、きっと苦悶の表情等は浮かべていなかっただろう。
魔女がそう予測して言うと、彼は悲しそうにうつむいた魔女の言葉に黙ってうなずいた。
そうして生まれた沈黙のタイミングに合わせるように、玄関先に咳払いの音が響いた。
そこで旦那様が我に返って言った。
「はい。あ、申し訳ありません、玄関先で。どうしてもお話がしたくてお客様を立たせたままにしてしまいました。あの、中でお待ちください。準備ができましたら一緒にお別れをしましょう。私は準備がありますので離れますが、ごゆっくり」
「わかりました。お気遣いありがとうございます」
魔女がそう言うと旦那様はフラフラと奥へと入って行った。
「こちらでご案内いたします」
少し離れた場所から二人の会話を見守りながら、先ほど咳払いをしたばあやが、やっと話が終わったと安堵の息をついてそう言うと、魔女を応接室へと案内するのだった。