未練のない別れ方
アーニャの呪いに解け始めの兆候がみられるようになってから、しばらく経ったある日。
魔女が心配して様子を見に来ると、アーニャが魔女に現状を訴えた。
「人間の姿を保つのに膨大な魔力を使っているけれど、そろそろ限界なの。元に戻ってる方が楽、というか、魔力で返信しているだけで、実際は魔猫である時間がほとんどになっているわ」
魔法で姿を変えているため、変わらず美人で元気そうな姿を保っているものの、あまり体調はよくなさそうだ。
見た感じ、おそらく間違いない。
アーニャは、真実の愛に辿り着いてしまったのだ。
けれど姿の維持が不安定で、まだ人間になるのは、おそらく本人が無自覚だからだろう。
自覚の薄い方が、少ない負担で人間の姿を維持できるかもしれない。
だから魔女は結論に至りながらも、それをアーニャに伝えることを避けた。
「魔猫の時の魔力の消費はどうなのですか?」
「ほとんどないわ。今は人間の姿を維持するためにしか魔力を使っていない感じね」
魔猫になる時間が長くなり、魔力を使えるようになったのはいいが、ここで生活をする以上、常に人間の方の姿であり続けなければならない。
それが大変だとアーニャが言うと、魔女はアーニャの予想しなかった事を言った。
「じゃあ、いよいよ森へ帰れるってことですね」
別に魔女も意地悪でこの言葉を言ったわけではない。
先入観のない状態でアーニャの気持ちを確認したかったのだ。
これでアーニャが素直に喜ぶのならそれでいいが、もし違うというのなら、できるだけ未練を残さないように考える必要がある。
円満とはいかないかもしれないが、せめて絶対にアーニャを失う旦那様か、これから長く生きていかなければならないアーニャのどちらか片方だけでも、明確に離れる覚悟を持つべきだろう。
お互いを思うのなら、双方が長く苦しみ続ける必要はないはずだ。
「そうかもしれないけれど、もう森で私を待つ人なんていないわ。だから今更戻っても……。それに、私はここを離れたくないのよ」
「そういうことですか」
すでにアーニャは森での生活よりここでの生活がいいと思ってしまっている。
何より猫の姿に戻れた事をあまり喜んでいない様子だ。
やはりこの二人には、区切りになるイベントが必要だろう。
自分の考えに間違いなかったと魔女が納得していると、アーニャは魔女が伝えなければならないと考えていた事を自ら切り出した。
「でも、もうこの姿を保つのは辛いし、どちらにしても、この姿の私ではいられないと思うの。だからせめて、きちんと別れたいのよ。彼だけでも、未練を残さないでもらいたいわ」
今のアーニャは、身体を維持するのが精一杯で夜会どころではない。
このような状態になることは想定していなかったが、こうなってしまったのだから、夜会に参加すると言い出さなくてよかった。
もし夜会に参加することを表明していたら、体調を崩したりして、旦那様に参加しない以上の迷惑をかけていたに違いない。
アーニャがそんなことを考えていると魔女は自分の考えを口にした。
「じゃあ、死んだことにするしかないですね。その姿のあなたには死んでもらって、生まれ変わったつもりで猫として生きる。行方不明じゃ、永遠に探し続けてしまうかもしれないから、遺体を見せなきゃだめね。できれば埋葬まで立ち会いで……」
「それって、私が遺体役をやるってこと?」
「そう。埋葬された後、私が掘り出してあげるまで、土の中にいる間は頑張ってもらうことになりますね。隙があれば埋められる前に逃がせるかもしれないですが……」
ただ、アーニャの埋葬に魔女が参列したとしても、不自然な動きをするのは避けたい。
だから一度、棺と共に埋まってほしいと魔女が言うとアーニャはうなずいた。
「……埋まるのは平気よ。その間、猫に戻っていれば暗いだけで狭くもないし」
人間より猫の方が大きさは小さい。
だから棺が土に埋まったら、自分は猫の姿に戻って掘り返されるのを待っていれば困ることはないとアーニャが前向きに答えると、魔女がアーニャにそれまでにどうするべきか、説明を始めた。
「じゃあ、いきなり死ぬのも良くないから、病気になりましょう。あなたはこれから不治の病を患った人よ。あと……何日の命がいい?」
「ちょっと、ふざけてるの?」
何日の命がいいかなど、からかっているのかとアーニャが怒りをあらわにすると、魔女はため息をついた。
「ふざけてないですよ。大事なことじゃないですか。あなたが、つまり人間のアーニャが何日生きるのかって。だってその日数が、あなたが未練を断ち切るまでの日数になるんですよ?魔力のあるギリギリまで頑張るのか、今後のことを考えて魔力温存のために早く寿命を迎えるか。それを私が決めていいんですか?」
別れのタイミングくらいアーニャ自信が決めた方がいいのではないか。
彼はアーニャが死んだと判断すればその気持ちを処理する方向に気持ちを動かすことができるけれど、その時アーニャが気持ちを断ち切れていなければ、アーニャは生涯、辛い感情を背負って行くことになってしまうだろう。
「……そういうことね。私は……、できるだけ長く、あの人と一緒にいたいわ」
アーニャは突然の提案だから、この場ですぐ何日にするかは決められないと答え、気持ちを整理しながら、できるだけ長く、この姿で彼の側にいたいと願った。
そして、限界が来たら伝えたいという。
そんなアーニャの願いを魔女は聞くことにした。
「じゃあ、あなたのペースで徐々に体調を悪くしてちょうだい、定期的に様子を見に来るわ」
「ええ。私のペースなら、勝手に悪くなっていくと思うわ。だって魔力の消費がだんだん重たくなっているのだもの」
すでに、体調は思わしくない。
おそらく魔力の使い過ぎだろうが、同時に体力も奪われている感じだ。
体が重いのでそれを補うためにも魔力を消費してしまっている。
だから自然と起きていられる時間は短くなるだろうとアーニャが言うと、魔女はうなずいてから、それでも大事なことだからと付け加える。
「そう……。でも、最期の一日、あなたはきれいな遺体でいなければならない。その魔力は残しておかなければだめですよ。わかりますね」
「わかってるわ」
とりあえずアーニャは自分が完全に魔猫に戻り、人間の姿を維持できなくなる前に、彼から離れる決心を固めた。
そして、魔女の提案が一番未練を残さない方法なら、そうしようと心に決める。
ここには監視の目がある。
長い間コソコソ話していると不審がられてしまうに違いない。
魔女は暫定的なアーニャの決心を確認すると、立ち上がった。
「じゃあ、また来ます。気が変わったとしても、私は最後まで付き合いますから言ってください。魔猫の方が人間より寿命は長いですから、最後といっても、どこまでつきあえるかはわかりませんけど」
「そう言ってもらえると心強いわ」
アーニャは魔女に言われて、自分の置かれた状況を理解すると、寂しそうにそう言ったのだった。