カフェと休憩と旦那様の気持ち
公園を散策し、ワンピースを選んだ後も、二人は街歩きを続けた。
しばらく歩き続けた結果、先に疲れが見えたのは旦那さまの方だった。
「アーニャさんは体力があるのですね」
「そうなのかしら?」
アーニャからすればこの程度の移動、大したことではない。
そもそも森を普段から歩きまわって移動していたのだ。
見える先に次々と向かうだけで疲れていては森でなど生活はできない。
しかし普段から短い距離の移動に馬車を使っているような貴族には大変な移動なのだろう。
でもそれを旦那様に伝えるわけにはいかない為、アーニャはよくわからないと言ってごまかす。
「アーニャさんはまだ元気なようですが、少し喉が渇きましたので、あちらで休憩をしながらお茶の時間にしたいと思いますがいかがでしょう?」
そう言って彼が指したのはテラスのついたカフェだった。
そこから見た感じでは、飲み物だけではなく、見た目が可愛らしい食べ物を一緒に食べている人が多い。
きっと女性に人気のお店ということで自分のために選んでくれたのだろう。
「ええ。私もあのお店が気になるから入ってみたいわ」
さすがに察したアーニャが旦那様に合わせてそう言うと、彼は嬉しそうに彼女を店の中へとエスコートするのだった。
休憩のためにと立ち寄ったカフェで注文を終えた旦那様は、こう切り出した。
「実はアーニャさんが先日出かけた際、とても楽しそうにされていたと聞いて、羨ましかったのです。私もそのような時間を共有したかったと。ようやくそれが実現できて嬉しく思います」
「そうなの?」
アーニャと出かけた魔女の場所にいるのがなぜ自分ではないのか。
報告を聞いて、彼はそう思っていた。
けれど彼女と出かけてみて思ったのは、自分が彼女のようにアーニャの要望に答えられていないという事実だった。
一緒に歩いていられるだけで幸せな自分はいいが、まだ距離を感じている自分に連れられているアーニャは気を遣い自分の我儘に付き合わされただけになってしまったかもしれない。
「アーニャさんは私とでは楽しめなかったかもしれませんが……」
不安そうにそう言った旦那様を、アーニャは否定した。
「そんなことはないわ。色々してもらってるのに、その上、服まで買ってもらったから申し訳ない気持ちはあるけれど、楽しくないわけじゃないの。それに初めての場所もたくさん行けたわ。一人じゃ絶対に行かないところばかりだから、そちらにばかり興味を引かれてしまったのが申し訳ないと思ったくらいよ」
「それならよかった」
旦那様が安堵の息を漏らしたので、アーニャも、とりあえず答えは間違ってなかったのだろうと判断した。
ところが、旦那様は真剣な表情でアーニャに向き直ると、じっと彼女を見て言った。
「これからはアーニャさんが何をしたいか伺ってから行動するようにします。具体的な場所はわからなくてもいいので、こういうものが見たいとか、欲しいとか……、ああ、体験したい、食べたい、なんかでもいいんです。今日の服を決めた時のように、大雑把でいい。とにかくあなたのことを教えてほしいと思います。私は自分がいかにあなたを知らないか、今日の外出で思い知りましたから、これからもっと知っていきたい」
愛だの恋だのという言葉は用いていないけれど、こんなに一人の女性に執着したのは初めてで、自分の気持ちを説明するので精一杯になる。
だからまず一つ。
あなたをもっと知りたいと素直に告げた。
これは彼からすれば一世一代の告白だった。
「私も旦那様のことをよく知らないから、お互い様だと思うけれど、私も旦那様の好みを覚えなきゃいけないわね」
一方、そんなこととは知らないアーニャは、それをお世話になっていることに対する義務として捉えた。
旦那様が自分に合わせるのもおかしいし、本当ならばこちらが合わせるべきだろう。
アーニャがそう考えていると、旦那様は笑みを浮かべてその必要はないという。
「私のことは無理に覚えなくても構いませんよ」
「でもそれは何だか違う気がするわ。それに一方的に知られているというのもちょっと……」
旦那様に自分の好みを把握されるのは別に構わないけれど、旦那様の事を教えてもらえないというのは気持ちが悪い。
こちらの情報は漏らさないけれど、自分の情報は全部出せと言われている気がする。
アーニャがそう匂わせると、旦那様はため息をついた。
「確かにそうですね。また焦ってしまいました」
アーニャに気を使わせないようにというつもりが、不信感を持たせる結果になってしまった。
確かによく知らない相手に自分の情報をたくさん持たれているというのは気味が悪いことかもしれない。
それは貴族社会の情報戦では有効だが、アーニャはそういうところには無縁だった可能性があるのだ。
言われてみれば、自分だって、自分の情報を隠している相手に、一方的に情報を教えたいとは思わない。
その情報が個人の趣味や好みの話であったとしても、フェアじゃない気がする。
「旦那様は、しっかりしてるのに、少しあわてんぼうなんですね」
アーニャが意外そうに言うと、彼は軽く笑った。
「そんな風に言われたのは初めてですが、私にもそういう面があるようです。これはアーニャさんが引き出してくれたものですよ」
「そうなのかしら?よくわからないけれど……」
アーニャが旦那さまから何かを引き出した。
そのきっかけを与えたと言われても心当たりがない。
アーニャが思わず首を傾げると、旦那様は再び真面目な顔で言う。
「アーニャさんと話していると、ありのままの自分でいられる気がします」
今までずっと、人間関係構築のために自分を偽り、相手が不快にならないよう努めてきた。
そうして対応した相手の中には、自分の地位や見た目を好ましく思ってか、必要以上に寄り付く者もいる。
けれど、そんな彼らを邪険に扱えば、これまでの我慢が水の泡だ。
だからある程度は相手をする。
そして次第に距離の置き方を身につけた今は、彼らをうまく躱せるようになった。
そうしてうまい具合に距離を置けるようになった結果、自分は硬派な人物として扱われるようになった。
それがどういうわけか、相手に良い印象を与えることになり、寄りつく人間は増えていくばかりだ。
そうした者ばかりを相手にしていることもあり、特に勘違いの多い女性と関わるのはうんざりしていた。
それが今はどうか。
自分がアーニャに寄り付く立場になっている。
アーニャは媚びを売ることもないし、強請ることもしない。
口調にも気取った様子は見られない。
だからこちらも普通に話ができるのだ。
正直、そんな女性が自分の前に現れるとは思っていなかった。
旦那様はありのままの自分をさらけ出せるというけれど、自分は本当の姿を隠している。
だからアーニャは、私もと答えることはできない。
「……気を使わなくていいという意味なら嬉しいわ」
少し迷ってそう言ったアーニャに、旦那様は嬉しそうに微笑みかけた。
「そう言っていただければ光栄です。今日はきちんと自分の気持ちを伝えることができて良かった。そろそろ日も落ちてきます。暗くなる前に帰りましょう。他の場所は後日改めてご案内します」
周囲からはこうして行き先を小出しにすることで、姑息にも一緒に外出する機会を増やそうとしていると言われるかもしれない。
アーニャの話を聞くとさっき言った側から、早速自分の思う方に誘導しようとしているのだから自分でも悪い人間だと思う。
けれどそれは事実なので、そのくらいの事を言われる覚悟はできている。
「わかったわ」
そんな思惑があるとは思っていないアーニャは、安全を考えての事だろうとあっさりと同意した。
何より、外出の機会は多い方が、息が詰まらなくていい。
正直一人だったらもっと自由に動けるのだろうが、今のアーニャは人間の姿なので、とても目立ってしまう。
それなら旦那様という保護者が同伴している方が安全だろう。
こうして双方が同意したため、カフェでお茶を済ませてその日の外出は終了となった。
そうしてアーニャが旦那様と外出して一週間も経たない頃。
アーニャの元には豊富な種類のワンピースがたくさん届けられることになるのだった。