仕立ての服と既製服
旦那様は、アーニャの手を引いて躊躇う様子もなく店の中に入っていった。
「いらっしゃいま……せ?」
突然店に身なりの良い貴族が迷い込んできた。
困惑したのは店の方である。
売り場に出ていた男女二人の店員は思わず顔を見合わせる。
男の店員が、最初に入ってきた男性に、お店をお間違いではと確認すべく近付いていった時、旦那様が店を見回して言った。
「ここにあるものはすでにできているものだね」
貴族の服はオーダーメイドが大半だ。
さすがに庶民でも服屋の端くれ、それくらいのことは知っている。
彼の言葉を聞いて、やはり彼らは場違いだと感じた男、もといこの店の店主は、この店がどのような店かを説明しようとすると、連れの女性の声が響いた。
「ええ。でも私はこの形の服が好きだわ。窮屈な思いをしなくてすむもの。重たくて装飾品の多いドレスは着ていると疲れるのよ」
店に飾られた服の一つを指して女性がそう言うと、男性の方はそんな女性に目を細めた。
「女性はああいうものを好むとばかり思っていましたが、アーニャさんは違うのですね」
「そうね。着飾るのが好きな女性もいるかもしれないけど、私は楽な方が好きだわ。魔女さん……、じゃなくて、私が頼りにしている女性もこういう服でいるみたいだし、私はこれがいいと思っているわ。そもそも私は、宝物を見せびらかして歩く趣味はないのよ。歩く宝箱なんて、強奪してくれと言っているようなものだと思うわ」
衣装や貴金属が人間にとって価値の高いものであることは理解した。
けれどそんなに大事なものなら、誰にも知られないよう厳重に管理しておくべきで、わざわざ持っていることを周囲に知らせたり、現物を見せて歩くのはおかしい。
「それは面白い発想だね。そうか。きっとアーニャさんはそのような見栄を必要としない環境でそだったんだろうね」
「不要だと感じているから、きっとそうだと思うわ」
その通りだと言いたいところだが、記憶がないことになっている以上、全面的に肯定することはできない。
だからアーニャは自分の記憶が曖昧だと表現するのに、思うという言葉を最後に付けてごまかしたのだが、この言葉は本当に便利だと感じるようになってきていた。
そんなこととは知らない旦那様は、アーニャに服を選ぶよう促す。
「さて、どれがいい?」
「そうね……」
アーニャが店の中を見て歩いていると、ふと一枚のワンピースが目にとまった。
魔女が最初にくれたワンピースにそっくりだったのだ。
「これがいいわ。ここに来る時に着ていたものに似ているから落ち着くもの」
「服の形がこういうものがいいってことであっていますか?」
服に関しては、すでに思い違いでアーニャに不快な思いをさせている。
だから慎重に正しい情報を得ようと確認を怠らない。
「ええ。中に色々入れて締め付けなくても着られるものがいいわ」
「そういうことか」
アーニャからこの服を選んだ理由を聞かされた旦那様は納得してうなずいた。
そんな話をしていると、ずっと見ているだけだった女性の店員がアーニャに言った。
「お嬢様、試着はいたしますか?簡単なお直しくらいならその場でいたしますが」
「そうだな。私もその服を着ているのを見てみたい。それにその場で直してもらえるなら助かる」
アーニャの代わりに旦那様が答えると、女性は服を持ち、アーニャを着替えの部屋へと連れ出した。
「それではお嬢様、こちらへ」
「わかったわ」
この服を得るために試着というものが必要ならばと、アーニャは言われるがまま女性の後についていった。
そうして二人がいなくなった直後、旦那さまの元に店主が申し訳なさそうにやってきた。
「旦那様、確認になりますが、お直しと申しましても、お貴族様の考えるような縫い直しとは違います」
「そうなのか?」
お直しというからてっきり体に合わせた状態にしてもらえるものと考えていた旦那様が聞き返すと、店主は続ける。
「こちらの既製服は、もともと体型の違う似たような体格の方のどなたが着ても良いように作られております。ですからきつい場合はサイズを上げて、余った分を、リボンなどで調整することになるのです」
「つまり、リボンは別売りをしているのだな」
「はい」
「購入するのは構わないが……」
財布を握っている男性が購入は構わないと色よい返事をしたため、店主は急に饒舌になった。
「リボンはお選びいただけますし、付けたり外したりできます。リボンだけ変えてアレンジに使う方もいらっしゃるくらいです」
「そうか。それは面白いな」
「例えば、先程お嬢様がお持ちになったワンピースに、白も清楚で良いですが、この様に濃い色を重ねますと、違った意味でアクセントになりますし、当店には、このようにリボンに付けて、さらに違いを出すアイテムなどもご用意がございます」
そう言って店主はアーニャの選んだデザインに似た、同色のサイズ違いと、複数のリボンを彼の前に持ってきて、服にリボンを当てながら説明を始めた。
貴族相手ということで入店当初は店を間違えて来たのではないかとヒヤヒヤしたが、どうやらそうではなく、お連れ様の希望らしい。
こうして店に来て試着まで許しているのだから、営業して問題ないだろう。
店主はそう判断したのだ。
旦那様は話を聞きながら、その工夫に感心していた。
貴族というのは常に新しいものを身に着けなければ財力のなさを周囲に見せているようなものと、その矜持を守るために多くの服を作る。
誂え直してデザインを変えることもあるが、そうして完成したものは、見た目からして別物だ。
そして大半が一点ものであるため、下げ渡しの聞くものも限られてしまう。
その点庶民は、ベースの服を飾り立てることで、同じ服のアレンジを楽しむのだという。
そんな話しをしていると、着替えを終えたアーニャが戻ってきた。
「まあ、よくお似合いです!お嬢様!」
「そう?私は着心地が、楽でいいけど」
女性たちが話しているところに旦那様が割り込む。
「どうだい?」
「旦那様、こんな感じです。私は着心地が気に入りました」
アーニャが素直に感想を言うと、女性は迷いながら尋ねた。
「サイズはいかがですか?」
「緩くて楽でいいわ」
アーニャとしては締め付けがない方が楽でいい。
だから見た目にメリハリがなくても問題はない。
けれど店員の女性は、お似合いだと持ち上げたものの、これではせっかくのアーニャの美貌が台無しだと納得がいかない様子だ。
「ですが、せっかくの身体のシルエットがあまりにも隠れてしまいますから、リボンはあったほうがよろしいかと思いますよ」
「リボンを巻くの?苦しくならないかしら?」
「試してみましょう」
女性はそういうと近くに合ったリボンを一つ手に取ると、腰に回して当てて見せた。
「まあ、これくらいなら」
見た目ではなく着心地重視のアーニャがそう言うと、その姿を見た旦那様もそれを薦める。
「アーニャさん、リボンはある方が素敵ですよ」
「それにこのワンピースはお嬢様には少し大きいですから、リボンをした方が、服も乱れませんよ」
「そうなのね。でも……」
同じように店員の女性も加勢するが、アーニャはいまいちピンと来ないのか悩んでいる様子だ。
それならば先に購入してしまおう。
そう判断した旦那様は、店主に言った。
「では店主、これを。先程のリボンも一緒に」
「かしこまりました」
アーニャがいない間に選んでいたリボンを買うと旦那様が言うと、店主はすぐに先ほど用意したたくさんのリボンを旦那様のところに持ってくるのだった。
「アーニャさん、そちらを気に入ったのなら着て帰りますか?」
「いいの?」
リボンがあろうが先ほどの服よりはるかになのは間違いない。
けれどせっかく旦那さまが用意してくれた服を否定しているようで申し訳ない。
アーニャがそう感じて聞き返すと、旦那様はうなずいた。
自分の選んだ服で着飾って窮屈な思いをさせるより、アーニャが楽しく自分と過ごしてくれた方がいいと判断したのだ。
「かまいません。今日のリボンは、これにしましょう。店主、これもいいか?」
「もちろんにございます」
シンプルなデザインなのでそのままでも悪くはないが、これからまだ外を歩くのだから、服にアクセントはあったほうがいいだろう。
そう考えた旦那様は、店主の持ってきていていたリボンの中から、今来ているワンピースに似合いそうなひとつを選ぶと、それをアーニャに渡した。
「じゃあ、これを付けてきてくれるかい?」
「わかったわ」
そう言ってリボンを受け取ったアーニャは、着替えのため再び奥へと消えた。
「それで店主……」
アーニャの姿が近くにないことを確認した旦那様は、アーニャには聞こえないよう店主を手招きすると、耳元で要望を伝えた。
実は先ほどの提案も、店主にこっそりこの話のできる環境を作るためにしたものだったのだ。
すると店主は同じサイズ、同じデザインで色違いのものを用意し、彼に渡す。
ちなみにアーニャに渡したのは一つだが、リボンは先ほど選んだものも含めて複数、服に挟んである。
この時彼は、アーニャが選んだ服と同じ形のものをもう一つ購入して、ひっそりと持ち帰ることにしたのだ。
そしてその後、それと同じ形の服でアーニャに似合うデザインのものをたくさん仕立てるよう、懇意にしている仕立屋を呼んで、彼女がこのような体を締め付けない服を欲しがっていると伝えて、見本としてこっそりと買った服を預けた。
馴染みの仕立屋はアーニャの姿を確認すると、彼女に似合うデザインを考えますと告げて、服を預かり帰っていった。
それから数日後、ドレスにも負けないような華やかなデザインのワンピースがアーニャの元に届くことになるのだった。