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人間の保護者

男性はアーニャを自分の前に横座りの状態で馬の背に座らせると、馬をゆっくり歩かせ始めた。

本当は一刻も早くこの森から出て、このご令嬢を家に連れ帰りたいと思っているが、走らせないのは彼女への配慮からだ。

馬に乗ってから特に怯える様子もなく、大人しく座っているが、もしスピードを上げて怖がらせるようなことになってしまってはよくない。

だから彼は慎重に行動することにしたのだ。

その後を従者と思しき男性が周囲を警戒しながらついてくる。



だが森を良く知るアーニャはなぜ人間がこんなに警戒しているのかよくわからない。

この道は人間が迷いにくく良く使うことを皆が知っているので、あまり獣は出ないはずだ。

そもそも人間の方も問題ないと思っているから使っているのではないのか。

アーニャがぼんやりとそんなことを考えながら黙りこんでいると、同乗している彼に声をかけられた。


「そうだ、まだ名前を聞いていなかったね」

「えっと……、アーニャ」


ここは本当のことを答えて問題ない。

アーニャが魔女とすり合わせた内容を確認してから答えると、男性はその名前の響きをかみしめるようにつぶやいた。


「アーニャか。いい名前だ」


それを聞いたアーニャは少し悩んだ。

名前を褒められたことを喜んでいいものなのだろうか。

確か名前は自分がたまたま魔女に助けられる時つぶやいていて、その呼ばれ方がしっくりくるからって話になっていたはずだ。

元々自分の名前だから、いい名前だと言われたことに感謝したいところだが、それをしたら辻褄が合わなくなるかもしれない。

アーニャは魔女と決めた最低限の設定と比較し、先に記憶がないと伝えておけば、素性についてあまり深く聞かれなくて済むのではないかという考えに思い至った。


「あの、実は私、記憶がなくて……」


さも傷心したように繕ってアーニャが言うと、男性は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにそれを取り繕って、丁寧な口調を維持して聞き返した。


「もしかして、森にいた理由だけじゃなくて、自分のこともわからないのかい?」


人間になってしまった自分について、アーニャは何も分からない。

そして自分が人間のフリをして街に出かけていた時と今とでは、容貌も大きく異なっている。

だからどこにもアーニャの痕跡はないはずだ。

だったら何も分からないと答えた方がいいだろう。

本当に魔女の言う通りだと思いながらアーニャは言った。


「そ、そうですね。何がなんだか……。実は名前もさっきの魔女……、えっと、一緒にいた女性に教えてもらったんです。私がそうつぶやいていたとかで」


アーニャが設定通り彼にそう伝えると、そこから違う言葉を拾った彼は思わずつぶやいた。


「そうでしたか……あれが噂の魔女」

「え?」

「いえ、こちらの話です。それよりもう少しで到着です。お話は着いてからゆっくりとした方がいいでしょう」


自分がつぶやいた内容をごまかすように彼は言うと、その先は無言になった。

彼は自分の考えを整理するために黙りこんだのだが、アーニャは街が近くなり人が増えたため、注意が必要になるからだと解釈して、それ以上何も言うことはせず、馬に揺られながら黙って座っていたのだった。



一目見てアーニャを気に入った彼は、彼女が迷っていなくても声をかけるつもりでいた。

正直アーニャは今まで見た、どのご令嬢よりも美しい。

自分から声をかけようなどと思う女性が現れたことに少し戸惑いもあったが、声をかけてみれば彼女は記憶を失くして、行くあてもないという。

それならばうちで引き取ればいいと言えば、連れの女性は自分に任せると言って自分に預けた。

すぐに言い直していたが、アーニャはさっき、その女性を魔女と言った。

それを聞いて思い出したのが、貴族たちに嫌気がさし、森に住むようになったという有能な魔女がいるという話だ。

頼る予定もなかったため、真偽を確かめることもしていなかったが、魔女は実在していて、先ほどの女性がその魔女ということなのだろう。

だから民家などない森にいながら、近くに住んでいるので問題ないと言ったのだ。



そしてそんな有能な魔女は、自分の素性を知っていた。

知っていてアーニャを託したということになる。

そうなると、魔女は今後、アーニャの様子を心配して様子を見に来るに違いない。

元々自分が気に入った女性なのだから、不躾なことはしないつもりだったが、魔女に守られた美女ならば、なおさら丁重にもてなさなければならない。

アーニャは記憶などは失くしたものの、良い人に保護された運の良い女性ということだ。

自分の前に座るアーニャを見下ろしながら、彼はそれ以上何も言わずに馬を進めた。

そして大きな庭のある家の門をそのまま通り抜けたのだった。



邸宅の前に馬を止め、まず自分が下りると、同乗者に女性がいることに気がついた使用人が、慌てて踏み台を馬に寄せた。

準備が整うと彼はアーニャの手に再び手を差し出し、アーニャはその手を取って用意された踏み台を使って地面に降りた。


「ここがあなたの家なの?随分と大きな家ね」


家から近すぎてここから見上げたり首を振ったりしても、全体を見ることはできないが、馬上から遠巻きに見ていたため、家が大きいことは理解していた。

アーニャの言葉に彼は苦笑いを浮かべながら答える。


「そうかな。ずっとここに住んでるから、あまり気にしたことがなかったよ」

「そうなの……」


アーニャが辺りを見回していると、同行していた男性の一人が彼に話しかけた。


「旦那様。ご令嬢は長い移動でお疲れでしょうから、中へご案内してはいかがでしょう」

「それもそうだな。外で立ち話をする必要はないのだから」


ここで帰ってしまうのなら引き留めたいと思うところだが、アーニャはこの先しばらくここに滞在するのだ。

だったら一度部屋を案内してくつろげるようにした方がいいだろう。


「さあ、中も案内しよう。どうぞ」

「ええ……」


また彼から手を差し出された。

別に子どもではないので転ぶこともないし、力のある人間だと聞いている彼から逃げようとは思っていないのだが、どうしてこう、手を繋ぎたがるのか。

何となく子供扱いをされているような複雑な思いを持ちながらも、とりあえずアーニャは差し出された手に自分の手を重ねるのだった。




「おかえりなさいませ、旦那様」


ドアが開いた途端、一斉に並んだ男女が頭を下げて出迎える。

アーニャはその揃った動作に驚いていたが、彼はそんな彼らに平然と用件を伝える。


「悪いが客人を連れてきた。彼女のために部屋と着替え、それから生活に必要なものの用意を」


そこまで彼が言うと、主に女性たちが同じ方に向かって早足で動き始めた。

そんな彼女たちに構うことなく彼は続ける。


「それからばあや、彼女を丁重にもてなしてくれ」

「かしこまりました、旦那様」


ばあやと呼ばれた、少し年配の女性は前に出てくると、アーニャの前に立ち頭を下げた。


「ではお嬢様、まずはお部屋にご案内いたしましょう。お荷物は……」


ばあやが荷物を男性の使用人に運ばせようと探し始めると、彼が首を横に振った。


「急なことで、荷物はない」


それに対し、ばあやは動じる様子を見せることなく答えた。


「さようでございますか。ではご案内をいたしましょう」


ばあやがついてきてくださいと背を向けたため、アーニャは思わず言った。


「今準備を始めたばかりじゃないの?そんなに早く行ったら邪魔にならないかしら?」


きっと自分のために部屋を整えに行ったのだろう。

さっきの感じだと、自分が来ることを知ったのは彼らが出迎えた時のはずだ。

それならきっとまだ準備をしている最中だろうし、そこに客が着ては彼女たちに気を使わせてしまうだろう。

アーニャはそう考えたが、ばあやは少し冷たい口調で言った。


「当家は常に客人を迎えられるよう、準備を整えてございます。彼女たちは不備がないかを確認に向かっただけでございます。ご心配には及びません」

「彼女たちが大変じゃないのならいいわ」


その言葉に、ばあやは振り返って微笑んだ。

貴族が客間を整えていないと思っているなど何と失礼な者かと思ったが、どうやらそうではなく、単に先に向かった女性たちを気遣っただけの言葉だったと理解したからだ。

確かに不備があり、それを直している間に客人が部屋に着いてしまうようなことがあれば、それは客人に対して失礼にあたる。

アーニャはそこまで配慮した訳ではなかったが、ばあやは主人の連れてきた女性が、使用人たちにまで気遣いのできる有能な人物と判断したのだ。


「ではこちらへ」



今度こそ、ばあやについていこうとしたアーニャだったが、今度は彼に引き留められた。


「ばあやは信頼できる。私とは少し離れるが、安心していい」


彼がそう言うと、アーニャはため息をついた。


「森であなたに声をかけられた時ほどの不安はないわ」

「そうか……」


思わずもれたアーニャの本音に、彼は苦笑いを浮かべた。

確かに森にいた彼女に馬上から急に声をかけた。

相手は女性が二人、結果的に一人は魔女だったようだが、本来であれば若い女性に男性が、しかも狩りをしていたこともあり武器を携えて声をかけてきたのだ。

警戒しない方がおかしい。

だから今の方が怖くないと言われたら当然だ。

彼が落ち込んでいると、ばあやがアーニャの隣に立った。


「坊ちゃま?」


その声に驚いた彼が苦笑いを浮かべて言った。


「坊ちゃまはやめてくれ。それでは後程」

「ええ……」


魔女に強いと言われている彼だが、ばあやには弱いらしい。

ばあやはたった一言で、考え込んだ表情になった彼を現実に引き戻し、退散させた。

彼のそんな一面を見て、アーニャは、ばあやにもあまり意見をしない方がいいだろうと考えた。

そうしてしばらく滞在する彼の家の力関係を把握していかなければと考えながら、アーニャは再び歩き出したばあやの後についていくのだった。

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