第一話
とある山間の寂れた村の、一番はずれにあるタダ同然の空き家を購入し、私はそこへ移り住んだ。
一人暮らしには広すぎる家だが、これまで住んでいた狭いマンションでは保管しきれなかった本の山を収納するには、ちょうどいい広さといえるかもしれない。
しばらく住む人のなかったというその家は、少々の手入れを必要としたが、私はできる限り、自力でそれを行うつもりでいた。
荒れ果てた庭を手入れをし、花でも植えてみよう。
黄色く甘い実をつけるあの植物は、なんという名前だっただろうか?
慰めに、猫の数匹でも飼ってもいい。ここなら自由におもてを歩かせても、誰の迷惑にもならないだろう。
そういえば、いつだったか父は「大工になるのが夢だった」と語っていたな。
もう70歳を越えた老人だが「今度、家の手入れを少し手伝って欲しい」と声をかければ喜んでくれるのかもしれない。そうすれば、実際その「今度」が永久にやってこなかったとしても、多少の親孝行にはなるだろうか?
ふと、そう考えて私は苦笑を漏らした。
幼いころ、私は工作が好きだった。
夏休みの宿題で毎年賞をもらえるぐらいには、得意だったと言っていいだろう。
そんな小さなエピソードを膨らませて面接を突破し、私はそこそこ大きなものづくり企業に就職した。
そこを就職先に選んだのは、単に交通の便がよかったというだけで、いわゆる「御社の製品」にも「企業理念」とやらにも、これっぽちも関心など無かったのだが。
血は争えないものだ――。
おそらく、自分の城となるだろう古家を見回して、私は小さく嘆息した。
「このたびこちらに越してまいりました、牧本と申します。どうぞよろしくお願いします」
村長宅と、近所といえるのか甚だ疑問な距離にある家々に挨拶周りをし、私は自らの職業を「画家」だと名乗った。
少々人付き合いの悪い変わり者であっても、芸術家という肩書があれば受け入れやすいのではないかと思ったからだ。
実際、子供の頃は絵描きになるのが夢だった。
使い終わったカレンダー、裏が白紙の広告などが、私の最初のキャンバスだった。
やがて「自由帳」を手に入れ、時間があれば常にそこに絵を描くようになった。
描くものは、決まって空想の世界だった。
絵本で読んだ物語のお姫様、オリジナルの怪物……絵を描いているその間、いつも私の心は自由であり、他のすべてを忘れられた。
嘘をつくのが、子供の頃から得意だった。
それは時に、自分自身さえも騙すことができるほどに。
以前、私の性質を見抜き「詐欺師」と呼んだ女がいたが、なるほど確かにと、自分でも納得したものだ。
おそらく両親は私のことを父譲りの堅物だと思っていただろう。しかし一歩家から出た私は社交的なお調子者であり、たくさんの友人を持ち教師からの覚えも良く、休み時間には図書館に引きこもっているような学生であっても、いわゆるスクールカーストでは常に上位に属していた。
その性質は社会に出てからも変わらず、全く関心のない物事にも積極的に取り組み、人脈を広げ、時にはライバルの足元をすくいながらも敵を作ることなく順調に出世していった。
酒を飲むことができないのに、飲み会にもすべて参加した。時折、新しく知り合った人などに「酒を飲めないのに飲み会に参加して楽しいのか?」と問われることもあったが、決まって同僚や上司が「こいつは素面でも酔っぱらいのテンションについていけるから、問題ないんだ」と嬉しげに言う。
そしてその通り私は常に道化を演じ、ぬかりなく彼らの「隙」を観察した。
……。
社会に出てからも友人はたくさんできたが、しかしついに親友と呼べるものはできなかった。
おそらく私には、人として何か欠けたものがあるのだろう。
いや、しかしそんなことはもうどうでもいいのだ。
そういったものを全て捨てて、私は自由になるためここへ来たのだから。
とりいそぎメインで使うであろう場所の掃除を済ませ、生ぬるいペットボトルのコーヒーのふたを開ける。
床に放り投げっぱなしだったスマホの着信履歴を見て、私は深く溜息をついた。
気が進まないまま折り返すと、2コール目を待たずに応答があった。
「母さん?」
「ああ耕ちゃん! あなた大丈夫なの? 何回も電話したのに――」
「ごめんごめん、近所の人に挨拶したり、家の掃除をしたりしてたから、気がつかなかったんだよ」
「そうなの? でもあんた、急に仕事をやめたりして――」
「金の心配ならいらないよ」
「せっかく出世したのに、なんで――」
「ここはすごくいいところだよ。空気も綺麗だし、星がよく見えるんだ。そのうち母さんも泊まりに来てよ。ああそうだ、菜々子のところの子供たちと一緒に来たら? 庭も手入れしておくから、みんなでバーベキューでもしよう。家は広いからさ、みんなできても大丈夫だよ」
「でも――」
「そうそう、父さんに俺が今度リフォームを手伝ってって言ってたって伝えといて。じゃあ、今日は色々やって疲れたからもう切るよ」
「耕――」
他にも元同僚やらからいくつかのメッセージが届いていたが、適当にのどかな村の風景写真を送りつけて、その日は早々に眠りについた。
いずれ、電話の番号を変えるとしよう。