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聖女、虎視眈々とする



「あんたを助けたのは、金になると思ったからだよ」


しんしんと、雪の降る日だった。

降り積もる雪の中、震える手で伸ばしたは乾いた音を立てて振り払われる。赤くなった手の甲よりも、鋭利な刃物で抉られたように心が痛かった。信頼していたはずの背は、決して振り向かない。


父が死に、母が死んだ。

優しい箱庭のような世界は唐突に崩れ落ち、気がつけば唯一の後継者であった幼子の味方は彼一人しかいなくなっていた。

今思えば、両親の死も仕組まれたものだったのだろう。

日々毒を盛られ、幼子の体は弱くなっていく。あからさまな異変にしかし周りは気付いても、止めることはなかった。

初めは指摘した者が、突然、謂われない罪で首を跳ねられた。それ以来、続くことを恐れ誰も止めようと口に出すことはない。

日々弱まっていく幼子に向けられるのは、憐憫の眼差しか邪魔物を見るような眼差しばかりで、どれだけを血を吐こうとも差し伸べられる手もなく、幼いながらに子供は死期を悟った。もがき苦しみ、これで両親に会えると安堵すら抱き始めた死の縁の幼子を連れ出して逃げたのは、一人の従者だった。


彼は両親に昔から仕えた忠臣でもあった。幼子が生まれた時から側にいて、いるのが当たり前のような存在である。

両親と同様に、幼子は彼を信頼しきっていた。

けれど彼もまた、逃げ延びた先で幼子を裏切る。

唯一の後継者である幼子を狙い、懲りることなく日々追われる生活に、幼子と従者はなんとか生き長らえていた。

けれど食べるものもなく、健康的であった従者の体が痩せ細り始め一月程経った頃だ。

彼は幼子を売ったのだ。


「助ければ、出世できると思ったのに。一月経とうが、誰もあんたを助けやしないじゃないか。

もう限界だ!!」


優しい眼差しだと感じていた目は、嫌悪の眼差しで幼子を見下ろしていた。

幼子の世界が、がらりと音を立てて壊れていく。

笑い会う両親に、いつでも見守ってくれていた従者。箱庭のような世界はとうに壊れたと、知っていたはずなのに。心の奥底で、まだみっともなくすがり付いていたのだろう。

従者だった彼は、幼子から両親の形見である指輪を容赦なく奪い取る。


「金になるのは、これだけか」

「待って!返して!!」

「うるせぇ!!」


咄嗟に取り替えそうと伸ばした幼子を、男は殴る。

優しい面影は何処にもない。降り積もり始めた大地に倒れこんだ幼子を、男は一瞥すらせず踵を返してしまう。



冷たい大地に這いつくばったまま、幼子は不思議と涙は流れなかった。ただ降り続ける軽やかな雪が肌の上で溶け、滑り落ちていく。

積雪に男の足跡が続き、やがて姿が見えなくなる。投げ出された幼子の右足に、容赦なく人買いは鈍く光る鎖を嵌めた。


従者の残した足跡すら雪は覆い隠していく。

幼子はその日、すべてを失くした。




どれだけ信頼していようが、生きるためなら、人はなんだってする。人を信じたところで無駄なだけ。

信じられるのは、自分ただ一人。

幼子はそう察してからは、誰にも心を開くことはなかった。人買いに売られてからは毒こそは盛られはしなかったが、文字通り泥水さえすすって生きてきた。売られた先で逃げ出しても、誰も信じることはない。


昔は厳しく取り締まわれていた人の売買も、ここ数年は顕著で今ではよくある事だった。路地で子供一人蹲っていても誰も気にもかけない。

そのはず、だった。

人の行き交う道のど真ん中で、黒髪の変なメイドが現れるまでは。



人拐いのように子供を連れ去った女は、装い通りこの町の伯爵家のメイドだった。

初めは抵抗したが、すぐにパンを買い与えてきたりするものだから、子供は取り敢えず暴れずに様子を見ることにした。女のまさかの横抱きには非常に腹正しさを覚えるが、大人しくしていれば食料も与えてくるし、酷い目には合わされなさそうだ。

案の定女は人買いではなくーーーあろうことか、自分と家族にならないかと宣った。

子供は誰も信じない。

信じたところで誰もが裏切ると身に染みて知っている。

信じられのは己だけ。

けれど、この女ならば酷い扱いはしてこないだろう。女は天涯孤独で家族がいないという。つまり、自分に家族代わりを要求してきているのだ。

女が望むように、無垢な子供を装えばいい。加護欲に訴え懐に入ってしまえばこちらのものだ。もし仮に女の言葉が偽りで女に変な趣味があったとしても、人買いに連れ戻されるよりも何倍も増しだ。飢える心配はないのだから。


尾首にも出さず、子供は人買いに売られた少しひねた無垢な子供を演じる。

実際は少しどころか根っこからひねくれ曲がっているが、女は気づく様子はない。

女の住む小屋についてからは、自然に、少しずつ女に懐いていく素振りを見せる。

女は本当に、子供に家族代わりを要求していたようだ。

なら、恋人でも作ればいいだろうに。変なやつ。子供の彼女への認識は当初はそんなものだった。

変わったのは、女と生活し始めて二週間程経った頃だ。


子供の考えは面白いほど上手くいった。

女は年の割によく働く。普通ならば交代して休みをとるところを、朝から夜まで働いた。日中小屋にいることもなく、だから懐いた素振りをして女がいない間に家の事をしてやれば、女はいたく感動した。掌で転がる様は子供を上機嫌にさせた。

このまま懐柔も上手くいけば女は子供の加護を強くして、生きるための衣食住に困らない。鬱陶しかった見目も手伝っているようで、使えるならば利用して、飽きて手放す気すら起こさないようにすればいい。

まさに目論み通りだった矢先、子供は外から女の話し声を聞いた。仕事から帰ってきたのだろう。

出迎える素振りをして、更に女を懐柔してやろう。

天使のような無垢な外見でその実真っ黒い考えを持った子供が早速扉の前に立ったところで、女と話す相手の声がする。

メイドである彼女は、当たり前だが女の同僚しかいない。てっきり同じメイド仲間かと思っていたが、声は男のものだった。

当たり前だ。屋敷にはメイドの他にも雇っている従者がいるだろう。すぐに思い直したが、子供は胸がざわりと蠢いた。

靄に包まれていくような感覚は、初めは気のせいだと思い直した。けれど、何故かどんどん強くなっていく。


女が笑い、親しそうに話しかける。


胃にむかむかとした気持ちはどんどん強くなっていく。

枯れ果てた感情は、あの雪の日以来動くことをやめた。生きることだけを考えて、盗みもどんなことでもした。

矜持だけではなにもできないし、感情だけでは食べていけない。人の感情は変わると、子供は知っている。だから、捨てたのだ。

沸き上がる不快感は、何なのだろうか。作り出したものではない感情に、子供は大いに戸惑った。


「吃驚した!エル起きてたの」


そうこうしている内に、女が扉を開けて帰ってきた。小屋に戻った女は、驚いた表情を浮かべていた。

けれど、小屋に戻るまで。

今しがた話していた名残で、子供に気づくまでの女の表情は柔らかかった。


あの男と話して、女は笑顔を浮かべていたのだ。


気づいた時には、無意識に口を開いていた。

こんなはずではない。女を懐柔しなければならないのだ。なのに、無視できない不可解な感情に顔が歪む。


押さえられなくて、子供は咄嗟に部屋に籠る。このままではいけない。何時ものように、気に入られるように取り繕わなければ。治まらない感情は、女と家族になろうと装い過ぎたからかもしれない。きっと自身の気持ちのように錯覚させてしまったのだろう。あの女が見知らぬ男と話していようが、関係ない。

よくよく考えてみれば、あの時は親を取られたような反応するのが一番だった。それを無意識の内に演じたのだろう。なんとか平静を取り戻し子供は夕飯の時にはいつものように顔を出すことができた。

女と話す内に、子供は落ち着いていくのを感じた。やはりあの時の感情は、役に入りすぎていたからだ。そう思い直した子供は、しかしすぐに考えを改めざるを得なくなる。

翌日、女が数日屋敷を離れ、王都まで買い出しに向かうことが決まったのだ。



掌で転がっていくのは、どちらか。子供、エルは間もなく気づくことになる。

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