社畜は聖女と家族になる
「・・・あんた、俺をどうする気だ」
間借りの小屋までとんぼ帰りする道中。
パンを食べ終えた少女は、幾分か落ち着いた様子で水穂の腕の中で鋭い視線を投げかけた。薄汚れた格好に骨だけで出来たような体で、しかし間近で見る蒼い目はより至宝のように力強い力を放っている。幼い年かさであろうに、少女は大分理知的であるらしい。水穂は誤魔化さずに彼女に打ち明ける。
「うーんと・・・良かったら、うちの子にならない?」
「・・・は?」
緊張しながら告げた内容に、唖然とした言葉が返って来る。反応が見たくてそろりと腕の中を見下ろせば、少女は目を大きくしていて随分と驚いているようだ。出会いからこれまでこちらを睨み付けてくる鋭い表情ばかり浮かべていた為、こうして見ると随分とあどけない。
しかし可愛らしい表情もすぐに曇ってしまう。
「・・・同情なんていらねぇよ」
同情かと尋ねられれば否とは言えない。水穂の動機の大半は道徳観に駆られたからだ。しかし幼い彼女にそのまま告げてしまえば、彼女はそれこそ頷かないだろう。美味しいご飯と暖かい布団があれば喜んで飛びつけばいいのに。幼いのに、随分とひねくれてしまっているらしい。彼女の右足につけられた重々しい鎖を見れば、苦い気持ちと共に納得できてしまう。
眉を顰めて、そっぽを向いた彼女を水穂はそっと降ろす。
地面に降ろされた少女の視線が一瞬泳ぐ。すぐに再び顔を背けてしまうが、水穂は内心ほっとした。一瞬、視線が泳いだときに縋るように少女の視線が向けられた、ような気がした。蒼い目はそれまでのつんけんした態度ではなく、自分の言葉に後悔しているような色を浮かべていて、思い違いではないだろう。
それだけで大人の本音を覆い隠す言い訳も平気でつけれる。少女が本当に嫌がっているなら保護とは違う別の方法を探すしかないだろうが、彼女の本音は違う。水穂は幼い彼女に合わせて腰を下ろし視線を合わせると、頑なにこちらを向こうとしないながらも偶にちらりと視線を寄越た彼女に微笑む。
「見ての通りしがないお屋敷のメイドだけど、
家族もいなくてね。天涯孤独で寂しかったの。
だから君さえ良ければ、私と一緒に暮らさない、かな?」
水穂の言葉はまったくの嘘ではない。同情が理由の大部分であっても、寂しいという気持ちもあったのだ。
ようやく少し贅沢できるお金も溜まってきた。けれどこの世界では家族も、友人もいない。館で同じ雑用をこなす仕事仲間もいるが、所詮仕事での延長線上で浅い関係がほとんどだ。今までは生活の基盤を整えるのに必死でそれどころではなかったか落ち着いてきた水穂はふとした時間に故郷を懐かしむ気持ちが何度も湧いてきた。小屋にいては堂々巡りだから甘いものを求めて1年ぶりに街へと降りたが、そこで少女と出会った。後はもう、衝動的にここまで来た。
けれど、ちゃんと理性も手放してはない。お金はまあ、なんとかなるだろう。ようやく溜まってきたばかりだが、今までのように節約を続けていれば幼い子供一人養える。
少女が憮然と呟く。
「・・・犬、猫じゃねぇぞ」
「知ってる知ってる」
笑いながら、水穂は少女の灰銀の髪を撫でる。汚れてはいるものの、触り心地は酷く良く柔らかな植えにサラサラで思わず何度も撫でる。
少女は眉を潜めているが、もう何も言わなかった。
「ね、お名前は?」
「・・・エル」
消え入りそうな声で少女、エルが答える。水穂は微笑んで、エルの細くて小さな手を掴む。今度はエルも嫌がらなかった。
小屋へとつくと、鎖も外してあげたいがまずはエルの衛生面だ。このままではいつ倒れたり病気になってしまってもおかしくない。
エルを連れて備え付けの小さなバスタブに向かう。布きれのような服を脱がせようとしたところでしかし、ここでエルが大層嫌がり、出て行けと言い張った。それまでは大人しかっただけに耳まで赤くする剣幕に押され、しぶしぶと水穂は浴室を出る。思春期なのかもしれない。
水穂は仕方なしに彼女が上がってから、パンと水はあげたものの、まだお腹が減っているかもしれないと簡単なスープを作り始める。なにせ彼女は本当に細いのだ。
簡単なものだからすぐに作り終え、ついでに夕飯も作ってしまおうと用意しかけた所で少女が上がってきた。烏の行水のような速さで、湯に浸かったのかと訝しみ振り返り――水穂は唖然とした。
身なりはボロボロで薄汚れてはいたが、確かに、見れば見る程見目が整っているとは思った。けれど、ここまで化けるとは思わなかった。
蒼い目は海の浅瀬のような透明さと、深海の深さを帯びた瞳で、変わらず美しいままだ。しかし他もまた大層整っている。
腰ほど伸ばされた灰銀色の髪は、土埃で随分と汚い印象を受けたが今では元の輝きを取り戻して艶やかだ。顔を覆い隠していた前髪を避けられ、少女の痩せてはいるものの白い肌は雪のようで、栄養を取り戻せば恐ろしく美少女となるに違いない。幼いながらに通った鼻梁に、紅をささずとも赤く熟れた唇。湯上りでほんのり上気した頬と、出会った当初は幽鬼のような見た目も健康的に見えて、可愛らしさにより輪をかけた。
「・・・んだよ」
ガン見する水穂に、エルが訝しげな視線を投げかける。しかし微動だにしない彼女にエルは徐々に不審人物を見るような目つきをする。
エルの視線も気にもとめず、水穂はすぐにタオルを片手に濡れたままのエルの頭を吹く。そこでエルの意識を逸れたのだが水穂はこの時堅く誓うのだった。
――エルを!この愛らしいまま育ててみせる!!
湯も上がり落ち着いたところで、エルはすぐに視線を部屋中にいい香りを漂わせるスープへと向けた。ごくりと生唾飲む様子に、どうやらまだお腹が減っていたらしい。
逸れない視線にくすりと笑ってから水穂はエルに食べるかと尋ね、勢いよく頷いた彼女に早速スープを寄そうべく受け皿を取り出しに向かった。
振り向いたところで突っ立たままの彼女を椅子に座らせ、目の前にスープを置くと彼女は勢いよく食べ始める。
がつがつとした食べ方は見る分には清々しい食べっぷりであるが、これはマナーから教えなければいけないかもしれない。食器の扱い方は知っているようなので、基本は大丈夫だろう。
微笑ましくがっつく彼女を頬杖をついて眺めていた水穂は、ふと湧いた疑問を彼女に尋ねた。
「エルは幾つなの?」
見た所、6~7歳か栄養不足からそれより少し上ぐらいだろう。
水穂の問いに頬をリスのように膨らませたエルは、ややあってごくりと飲み込むと答えた。
「今年で、15だけど」
なるほど、15歳か。
・・・15歳?
反芻させて水穂は目を丸めた。「うそ・・・」
予想より倍である。なにせ、エルは細いし小さい。・・・それだけ、食べることが出来なかったのだろう。
思わず口に出していた言葉に、エルは少しむっと顔を歪めるが文句を言う様子はない。彼女もまた、体の小ささは理解していたのだろう。咄嗟に水穂は謝罪を口にする。
「ご、ごめんね!その、兎に角食べよう!めいいっぱい食べよう!!ほらこれも!!」
水穂は立ち上がるなり朝食に置いていたパンを出し、代わりに既に食べ終えた受け皿に多めのスープを寄そい、お代わりを渡すのだった。
***
エルと暮らし初めて二週間が経った。
誰も使ってない小屋といっても雇われの身。屋敷にもエルの存在をそろそろ教えた方が良いよなぁ・・・。いつ倒れてもおかしくない程痩せていたエルも、細身ではあるが少しずつ血色もよくなり、四苦八苦の上無理やり壊した鎖の跡も擦りきれていた赤みも引いて、ようやく青アザが残る程度になってきた。水穂はぼんやり思案をしながら薪を抱えて小屋へと戻る。
エルは起きているだろうか?
栄養が行き届いていないエルは頻繁に立ち眩みを起こしていて基本的にこの二週間ベッドで療養させていた。今では大分よくなり、同時に初めは毛を逆立てた猫のようだったが少しずつ水穂にも懐いてくれているようで、食事作りや洗濯などの家事を手伝ってくれている。初めは慣れないことに苦戦していたエルだっだが覚えは早く、今では水穂が仕事を終えると大まかな家事をこなしてくれているのだ。無理して倒れてしまわないか水穂は不安だが、エルも少しずつ溌剌とした表情を浮かばせるようになったので強く止めることはなかった。少女を思い浮かべながら、両手が塞がっている水穂は扉を押してはいる。
すると思いもよらず扉の前に立っていた銀髪の子供に、驚きに身を竦めさせた。「吃驚した!エル起きてたの」
「今の、誰だよ」
艶やかな銀色の髪を後頭部で一括りに纏めた養い子は、二週間前とは違い随分と生き生きとしている。しかしエルのぶすくれた表情に水穂は目を瞬かせた。何か失敗でもしてしまったのだろうか?
始めの頃はさておき、何事もエルは器用にこなすので珍しかった。彼女が言い出しやすいように、水穂は努めていつもの口調で彼女の問いに答える。
「木こりのサニエルさん。薪を分けてもらったの
エルの鎖を壊した斧、あれもサニエルさんに貸してもらったのよ。
そうそう、ほら!
今日はダンさんからとれたての茄子も頂いたの!今の時期は美味しいわよー」
しかし、どうしたことか。エルの表情はどんどん不機嫌になっていった。口をへの字に結んで押し黙ったエルを前に水穂は途方に暮れる。
優しく聞いてあげた方がいいのだろうか?両手に抱えた薪を降ろした水穂は手を伸ばそうとしたがエルはくるりと踵を返してしまう。そしてそのまま、夕飯時まで部屋に籠ってしまうのだった。