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社畜は異世界転移する

佐々木 水穂はしがないOLであった。

いつものように見事な社畜ぶりで10時間を超える労働時間。勿論、残業代は発生しない。水穂の会社の残業は申告制だが、周囲からの暗黙の了解で申請を出す事すら出来ないからだ。

規定では残業代は出すよ、というホワイトさをアピールしつつも、事実上はサービス残業が出来ないならば、うちの会社で働くななグレー寄りのブラック会社である。

ならば訴えればいいという話だが、ブラック故に日々終わらない仕事に気力・体力は削がれ誰もかれもが消耗している。

そんな気力もない。転職したくともやはり体力がない。果てはこの不景気、職につけるだけでもありがたいと思い、結局否を言わずにその日も粛々とサービス残業を終えたのである。


さて、そんな社畜の水穂の癒しはコンビニだった。いやはや今のコンビニは実に多彩でなんといっても時に驚く程スイーツが上手い。

一人暮らしで贅沢もできないが、コスパもそんじょそこらのスーパーや洋菓子屋と比べるとあまり大差なく、むしろ良い。

多少値が張ったところでコンビニである。それぐらいの贅沢ぐらい許されなければなんの為に働いているのか分かりやしない。生活する為といえばその通りだが、何事も潤いは大事だ。

往々にして疲れた人間は甘いものを求める。特に女子。更にOL。水穂も例外ではなかった。

でもって、これが水穂の転機になるとは、彼女も思いもしなかった。


今日は何を買って帰ろうか。気が付けば1年も終わりに近づき、季節の変わり目。新作でもでているだろうか。

ふんふんとお気に入りの曲をイヤホンで聞きながらコンビニの自動扉をくぐる。その時である。前を気にせずコンビニから飛び出てきた人物とぶつかったのだ。

男は中肉中背で、背がやや丸まっていた。黒い革鞄を小脇にして、焦った様子だ。頭から目と口だけ穴をあけたマスクを被り、どう見ても不審者であった。

そんな絵にかいたような不審者は、平和な日本ではドラマか仮装ぐらいでしかみかけない。だからこそ水穂はすっかり気が抜けていて、思いもよらなかった。


「「あ」」 


思わず出た言葉はどちらからだろうか。おそらく向かいの男も唖然としていた。

目を見開き、水穂の腹へと視線を凝視している。

何故そんなに男が見ているのか、むしろこちらが不審者を凝視したいのだが、水穂はつられて視線を腹部へと向ける。

ワイシャツにじわりと赤色が広がっていた。

水穂の腹部には、強盗の男が片手に持っていた包丁が深々と突き刺されていた。

あ、ともう一度唖然とした水穂の声は、今度は言葉にならなかった。

鋭い痛みが思い出したように走る。体の熱が末端から勢いよく引いていく。寒さに体が震え、足元から力が抜けた。頭から倒れた水穂は、倒れ込んだ痛みすら気にならなかった。刺された痛みでそれどころではないのだ。

心臓の音が急激に耳元で鳴っている心地がする。そんな中、遠巻きで回りの人間の劈くような悲鳴が聞こえた。

騒々しくなる周囲と正反対に、水穂の意識が遠くなっていく。

霞み始める意識で、水穂は唐突に思った。

あ、コレ死んだわ。


―――社畜、佐々木 水穂の人生、完。



と、そこで終わるかと思われた水穂の人生は、そうは簡単には問屋が降ろさなかった。社畜の人生はまだまだ続く。

次に目が覚めたとき、水穂は異世界にいた。見知らぬ地、見知らぬ人間。街に出れば行き交う人々は血系どうなってんの?と思うようなカラフルな色の髪や目の人間どころか、うさ耳、猫耳、犬人間と亜人すらいた。

おいおいちょっと待てと当初は動転しまくった彼女だが、曲がりなりにも成人済みである。

何故か傷一つない健康体で、刺された名残で破けたワイシャツはスーツの上着を羽織り誤魔化し、社畜、水穂は生活するためにまずは職を求めた。

勿論、情報収集も欠かさないが、ひとまず生活の基盤を整えなければ今度は野垂れ死にである。当たり前だが刺殺も嫌だが、餓死も嫌である。

なんでも、街の外にはモンスターや野党も出るという。治安が悪すぎるわけではないが、戸籍というものも存在しなく、そこまで法治国家ではないらしい。

しかしそうなると、当然生活保護だなんてものは存在しないのだ。勿論殺人、強盗等といいったものは禁止されているようだが、モンスターなんてものがいるからこそ銃刀法違反なんでものはなく、そうなると結果的に日本ほど平和ではない。だからこそ戸籍もなく、異世界で見慣れない服装をした不審者の水穂は、結果的に職にありつけることが出来たのだが。

見た事のない装いに水穂は見事に異世界で浮いていたが、なんでもやりますと日本人の最大の礼をつくす、某ドラマでも話題になった土下座をこなせばなんとか採用となったのだ。なんでもやる、そう言ってしまったからには、彼女の先は元の世界と似たようなものだった。

職場、お貴族様の屋敷。装い、クラシックでシンプルなメイド服。

お屋敷に勤める使用人として、水穂は死にもの狂いで働く事になる。元の世界でうっすらと考えていた、やめてもなんとかなるんではないか?といったそんな考えすら浮かばない程、必死に仕事を覚えこなしていく。生き死にがかかっているため死にも狂いだ。

こうして、異世界でも水穂は立派な社畜となるのである。



――――新・社畜 佐々木 水穂の人生、開幕。




***




あれ?私、また社畜やってない??

水穂がふと気付いたのは、異世界で1年は経った頃だろう。仕事も覚え、ようやく自分の時間も作れるようになってきた。

節約を重ね、今までは屋敷の端にある古びた物置小屋を間借りしていた水穂。いつ、何が起こるか分からない。無駄遣いを回避し貯金していたお金も、今では辛うじて一息つけるほど溜まってきた。

と、なれば。ちょっと贅沢をしようかな、と水穂は数少ない休日に、街をぶらついてみる事にした。なにせ元の世界で趣味はコンビニ通いである。

異世界にコンビニはないとは分かっているものの、ちょっとした甘いものぐらい売っているだろう。しかし暮らし始めて1年は経つが、節約を徹底していた為、嗜好品の相場は今一つ分からない。

生活するために必要な物資は、今まで屋敷で卸すものの一部を給金と引き換えに手に入れていたのだ。水穂は予想よりもちょっと多めの金貨を小さな革袋に入れて、約一年ぶりに街へと向かうのだった。


水穂がこの町へやってきたのは、異世界に来たばかりの頃だ。

屋敷への就職先が決まってから、基本物資は卸から仕入れていた為来る必要性もなく、間借りした物置小屋やと屋敷を行き交う生活をしていた。理由は他にもある。話す言葉は分かるが、文字は分からないのだ。今では文字も識別できるようになったが、当時は異世界の文字を全く理解できなかった。加えて、治安もさほどよくない見慣れない土地。余裕もない水穂は、街へ降りる気持ちは微塵も起きなかった。

しかし、余裕が出来れば別だ。好奇心はむくむくと湧き、こうして1年ぶりに水穂は街にやって来たのだ。

ハインメルンは、王都から2つ程離れた街だ。王都は大層にぎわっているようだが、この街も中々人通りが多い。なんでも、貿易が盛んなのだという。

昼間ということもあり、行き交う人々も多い。その中には屋敷に出入りする業者で多少見慣れたものの、亜人もいた。

犬人間なのか、大きな体躯の亜人がそばを通る。後ろから子供なのだろう、小さな双子の子犬が、やはり二足歩行で追いかけていた。


「待ってー置いていかないでよー!」

「早くしないと、置いていくよ。余計なものは買わないからね。」

「「えー!!」」


目的が逸れて、思わず水穂は凝視してしまう。

なんともモフモフで可愛らしいワンコの双子はユニゾンで文句を零す。耳がピンと立っているが、しっぽがショックから垂れ下がっている。異世界人として見るなというのが無理であった。

他にも、うさ耳の可愛い亜人やトカゲ男もいて、水穂はついつい目的が抜けていった。

異世界では人間もまた、多種多様な髪や目をしていて観察が止まらない。あそこの路地にいる子供なんて、少し汚れてはいるが恐らく銀色の髪をしているのだろう。

長い髪で覆い隠されているが瞳の色は透ける海のようなエメラルドグリーンで、宝石よりも美しい。

ん?目があってる??


「・・・んだよ。見せもんじゃねーぞ」


水穂は思わず、足を止めた。路地に蹲るように座る少女の蒼い目が不愉快げに諫められる。子供は見れば見る程、可愛らしい顔立ちをしていた。恐らく、女の子だろう。

しかしその線は驚く程細い。小さな体は薄い布きれのような衣服を纏い、覗かせる手足は骨が浮き彫りで、辛うじて皮をまとっているだけだ。

よく見れば整った顔立ちをしている少女は、年頃は6~7歳程に見える。しかし彼女の痩せようから、本当はもっと上なのかもしれない。

立ち去らない水穂に少女は舌打ちする。


「見てんなら、金寄越せ、金。」


伸ばされた手は細く小さく、叩かれたら折れてしまいそうだ。

治安が、悪いとは知っていたが。行き交う人も多いのに、蹲る少女に誰も足を止める様子はない。よくある光景なのだろう。

薄々感じてはいたが、この世界の貧富の差は大きい。屋敷で勤めている水穂だが、主人はメイス伯爵といい、なかなかに肥え贅沢な暮らしをしている。貴族だから当然なのだろうが、それにしてもメイス伯爵の家族は得に仕事らしい仕事はしていない。

常に娯楽に耽り、統治するハインメルンの視察は常に部下任せ。書類は部下が持ってきた判子を押すだけだ。それも数時間もせずに飽きたと言って夫人を呼びに行かせ、昼から酒を飲み始める。ようするにアル中である。

その息子はまだ幼いが中々に我儘で、使用人である水穂たちは常に四苦八苦している。

そうした暮らしを送っていても、彼らは呼べば豪勢な食事にありつき、もっさもさな毛皮や煌びやかな宝石も身に纏う。

水穂は元の世界の服と、メイド服を数着持っているだけだが、目の前の少女は薄汚れた布のような服一枚。

胃に苦いものが込み上げる。目の前で釣っ立ったままの水穂に、少女が訝しげな視線を向けてきた。

その時、地面を擦る金属音がした。視線を向ければ、薄い布の衣服に隠されるようにし回れていた少女の右足首に鉄の鎖がついている。

・・・貿易って、そいういう事?

水穂の視線を受けて、鎖が見えたことに少女は咄嗟に鎖を隠そうとする。

慌てて引っ込められた手を、水穂は掴む。

少女の蒼い目が驚いたように向けられた。青の目には怯えも含んでいて、その目をみてしまったらもう後には引けなかった。

折れないように、手だけでなく少女の体を抱える。

今度こそ、零れんばかりに驚きに目を見開いた少女を横抱きに抱え、延びた鎖は少女の腹辺りで衣服の影で隠す。

勢い付けて抱えたものの想像していたよりも少女は軽い。まさか鎖だけの重さではあるまいな。


「な、なんだよ!!」


ぎゃあぎゃあと少女が騒ぐが、水穂は無視した。

まずは、と素早く屋台で軽い食料と水を購入し、騒ぐ少女の口に出来たてのパンを突っ込む。


「っむぐ」


少女はそこで、ようやく大人しくなった。背に腹は代えられない。相当腹を空かせていたのだろう。少女は夢中で口にあるパンを咀嚼している。しかし驚いてはいるようで、目はしきりに右往左往させていた。

水穂は少女が食べ終わるより先に、出店で売られていた数枚の衣服を買う。あれだけ節約を心がけていたというのに、値段は気にしなかった。少しお金が溜まった。その余裕が水穂の気を大きくさせたのかもしれない。

兎に角も、目を白黒される少女を連れて水穂は一目散に間借りしている小屋へと向かう。

溜まったお金で甘いものを買って、ちょっとだけ贅沢をするつもりだった。決して子供を養うつもりはなかったのだ。

しかし現状を前に、水穂は大人として道徳観に駆られ無視する事はできなかった。

こうして、水穂は攫うように一人の少女を養い育てることになるのだった。


表だった言葉遣いは丁寧になったが、ふとした拍子で粗暴さは出でしまうものの、少女はすくすくと育つ。

通った人々が見惚れる程、美しく成長した少女は後に聖女だと判明し、右に左に大騒ぎとなるのだが、それはまた別の話である。

やがて聖女を迎えに驚く程美青年の騎士、儚げな魔法使い、豪胆な傭兵、やんちゃな魔獣使いにインテリな神官がやってきて、聖女と共に魔王を打ち倒す旅に出る。

帰還するなり、祝言をあげるかと思われた聖女と騎士が水穂に求婚してくるのも、また別の話だった。




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