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朝。意識が覚醒してからベッドの上でしばらくまどろむ。
直ぐに体を起こすのは、襲われた時だけで充分。
体を起こしてベッドから下りれば、次に向かうのは洗面所。
顔を洗い、歯を磨き、髪のセット。
俺の髪質に合わせたワックスを手に取り、なじませ、やる時は一気に。
前髪をかき上げるようにして指を通す。
これで終わり。
髪のセットに時間はかけない。
視界が開ければそれで充分。
多少のズレがあったとしても気にしない。
開けた視界で、洗面所の鑑を見る。
十代後半。細身で筋肉質な体付きの黒髪黒目に、三白眼にギザギザの歯――俺の顔が鏡に映っている。
ニッと笑みを浮かべる。
見事な悪人顔に満足。
ついでにトイレを済ませば、次は着替え。
白シャツに黒のフード付きレジャージャケット。黒の革ズボンを履き、そこらのモノとは金額からして違う上等なベルトをとめる。
黒の革ブーツは片方だけしっかり履き、もう片方はゆるゆるに履いて、紐は最後まで結ばずにだらりと垂らす。
しっかりと履くのは、俺が本気を出す時だけ。
最後に革の小さな鞘付きウェストバッグを下げ、鞘には50cmほどの長い金属製の棒を仕舞う。
準備完了。これが俺の朝の始め方。
寝室を出て、一階に向かう。
ここは、俺が常宿として利用している宿屋「ファミリア」の支店の一つ。
ファミリアは全国展開していて、宿屋暮らしの俺としては大変助かる値段で利用することが出来る宿屋だ。
といっても、ファミリアは王族も利用する宿と言われていて、高級な部屋もあるが、俺が利用しているのは最低ランク。一番安いヤツだ。
高いのは、それこそ一泊するだけでいくら飛んでいくのやら。
考えたくもない。
この建物は五階建てだが、俺が利用している安部屋があるのは二階。
直ぐ下りられるのは利点の一つだ。
一階に下り、向かうのは食堂。
広い食堂に用意されている朝食はバイキング形式なので、好きなモノを選んでいく。
んー、パン二枚にベーコン、卵焼きとサラダ、スープ。
トレイに乗せ、適当に座る。
パンの上に、サラダ、ベーコン、卵焼きと順番に乗せていき、もう一枚のパンを上に乗せて完成。
即席サンドイッチを口に含んだところで、声がかけられた。
「そろそろ朝食の時間は終わりますから、早く食べて下さいね」
「……んあ?」
サンドイッチを口に含んだまま視線を向けた先に居たのは、爽快な印象を与える水色の髪がとてもよく似合う、可愛らしい顔立ちの少女。
ファミリアの従業員であることを示す給仕服を着ている。
かじった一口分を飲み込んでから返答。
「それは酷くない? アナちゃん。今食べ始めたばかりだよ? 俺」
「そうはいっても、周りを見て下さい」
「周り? ……そういえば、あんまり人が居ないような」
「その通りです! もう他の冒険者さんたちは依頼を受けに行ってしまいましたよ!」
なんだ。そんなことか。
「チッチッチッ。わかってないな、アナちゃん。俺ぐらいになると、残っている依頼でも充分なの。朝から依頼の取り合いなんてしなくても大丈夫なの。だからこうして遅い朝食を取っても問題ないってわけ」
「駄目な大人が言い訳しているようにしか聞こえませんね」
俺を見るアナちゃんの目の冷たいことよ。
「アナちゃんって今いくつだっけ?」
「十四ですけど。それが?」
「十代前半の子がしちゃいけない目を俺に向けていたよ? しかも、年を聞いたら更にきつくなったし」
「そういう趣向の人かと思いましたので」
「はっはっはっ。……笑える」
表情は一切笑っていないだろうけど。
「いくらなんでもそういう扱いは酷いんじゃない? 俺、まだ十九だよ?」
「たとえそういう風に見えなくても、他の候補もありますよ?」
「他って?」
「さぁ? だって、その顔ならなんだってアリかと?」
「いやいや、確かに悪人顔だけど、アレだよ? 俺の顔じゃあ、大それたことをするようなヤツには見えないから。せいぜい無銭飲食とか宿代踏み倒すくらいのモノでしょ?」
アナちゃんがニッコリと笑みを浮かべる。
「ウチの宿でそれをやったら、地の果てまでも取り立てに行きますので。もちろん、利子とかかった費用の三倍を込みで払って頂きます」
「もちろん、そんな気はないさ。でも、怖いこと言うね。この宿屋の従業員教育はどうなってんの」
「宿屋に害を与えるモノはなんでも徹底排除しろ、と最初に教えられます」
徹底していることで。
だからこそ、安全な宿屋として利用する者が多いんだろうけど。
「ん? あれ? なんの話だっけ?」
少なくとも、この宿屋の従業員教育についての話ではなかったはず。
だって俺、そんなのに興味ないし。
すると、アナちゃんが呆れた目を俺に向けてくる。
「……はぁ。駄目な大人かどうかって話でしたよ」
溜息は必要なくない?
目だけで充分だよね?
「アナちゃん。その態度はよくないと思うな。ろくな大人にならないよ?」
「大丈夫です。他のお客様の前ではきちんとしていますので」
「え? アナちゃんの接客態度って、それが標準じゃないの?」
「違いますよ。これは駄目な大人用です」
「いやいや、待ってよ。アナちゃんは、何をもって俺を駄目な大人だと認定しているわけ?」
「それでは尋ねますが、冒険者としてのランクは?」
「『E』だけど?」
「ランクを上から言うと?」
上から?
指折り数えていく。
「S、A、B、C、D、E、F」
「つまり、下から二番目ってことですよね?」
「そうなるね。初心者を脱したランクって言われているランクだね」
「もっと若くて、BとかCになっている人も居ますけど?」
「んー、それはアレでしょ? 冒険者になれる十五歳から今まで頑張っている奴らのことでしょ? でもほら、俺は二か月くらい前になったばっかりだから。なんて言うの? 新米みたいな? それに実力なら俺の方が上だから」
「……ハッ」
アナちゃんは何も言わず、半笑いだけ浮かべて仕事に戻って行った。
……あれは信じてないな。間違いない。
納得したところで、サンドイッチを口に含む。
今日のベーコン。美味いな。
どれどれ。スープは……野菜を煮込んだヤツか。
塩胡椒もしっかり効いているし、今日は本当に当たりの日だな。
そのまま食べていると、同テーブル上の対面にガシャンとトレイが置かれる。
トレイに並べられているのは、トースト、厚切りベーコン、生卵、サラダ、スープ。
「おかわり?」
尋ねながら視線を上に向ける。
トレイを置いて対面に座ったのは、長い金髪をうしろで一つに纏めた、所謂ポニーテールにしている、確か十五の少女。
顔立ちは……まあ可愛い気があるタイプ?
世の中的にはかなり可愛い方らしいけど。
起伏の少ないスレンダーな体型に、白を基調にした軽装のスカートを履いている。
戦いにおいて、スカートよりもズボンの方が良いと思うのだが、本人曰く、オシャレも大事! らしい。
まあ、俺とは関係ないのでどうでもいい。
食事時だからメイン武器の携行はしていないようだが、ナイフくらいはどこかに隠しているだろう。
それぐらいのことはやっている……はずだ。
「違います」
その少女が俺に向けて否定の言葉を告げてくる。
「じゃあ何? それは俺のじゃなくて自分のってこと?」
「その通りですけど。そんなのは当たり前じゃないですか」
「じゃあ、それはいいから、俺のおかわりを持ってきてよ」
「本当に必要なら、自分で取りに行ってください」
いやまあ、必要かどうかって問われたら、別に要らないんだけどね。
今ある分で充分。
でも、持ってきてもらったモノなら別。
「というか、なんか怒っている? そういう表情だけど?」
「そりゃ怒りますよ。今、私たちは一緒に行動していますよね?」
「まあ、そうだね。俺は別行動でもいいんだけど」
「放っておくと何をするかわかりませんので放置できません。それに更生を……そうじゃなくて、行動を共にしているんですから、食事に行くなら一声かけてくれてもいいんじゃないですか?」
ええー。
「めんどい」
「めんどいってなんですか! めんどいって! 少しは仲間意識を持ってください!」
「わかった。なら、仲間意識を持とう」
「本当ですか!」
目の前の少女が嬉しそうな笑みを浮かべる。
「仲間なら、ここの宿代出してくれるよね?」
目の前の少女の笑顔が凍り付き、次第に怒り顔に変化していく。
その様子をおかずにして、俺はスープをズズッと飲む。
わなわなと震えていた目の前の少女が、俺を指差して言う。
「やっぱり『アクニン』さんには更生が必要です!」
「人を指差すのは失礼だと思わないの? 『セイギ』ちゃん」
そう言ってから、残ったスープを一気に飲み干した。
今日の朝食は本当に当たりだ。
シェフでも呼んでみるか?
まあ、呼んで出てくるのは、筋肉ムキムキのおっさんだけど。
昨日会ったし。
「その呼び方はやめてくださいって何度も」
「まあまあ、セイギちゃん。それとは別に、仲間として俺は言っておかないといけないことがあるんだよ」
「……なんですか?」
「アナちゃんが、そろそろ朝食の時間は終わりって言っていたよ」
ニッコリ笑顔で教えてあげる。
俺の朝食はもう腹の中。
一方、セイギちゃんのは手付かず。
「そういう事は早く言ってください!」
「ほらほら。そんな事を言う前に早く食べた方がいいよ」
今日の朝食は当たりだから、味わった方がいいと思うけどね。