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奇蹟は日常的に起きている

10年前うちにやってきた猫が、今日の朝、逝った。


昨日まで、病気で弱った心臓をなんとか動かし、なんとか呼吸し、弱々しくも生きていた。

自分からはほとんど食べることがなくなり、シリンジという注射器型の器具で、むりやり食べ物を口に流し込んでいたが、その量は元気だった頃の10分の1程だった。


1週間前、病院で治療を受けた。お医者さんは『覚悟しておいてくださいね』と言い、いつもは2週間分くれる薬を1週間分しか出さなかった。その通りになった。さすがだと思った。


3カ月前、手術を受けた。心臓にたまった水を抜く手術。でもこれは、治すためじゃない。水はまたいずれたまるのだ。この手術も3回目だった。でも、手術をすれば、元気を取り戻した。少しの間でも楽にしてあげたかった。



10年前。私が彼(オスなので、彼と呼ぶ)と出会った時、彼は野良だった。私が住むワンルームマンションの入り口に彼はちょこんと座っていた。夜だった。彼は、歩いてきた私に気づくと、とことこと近寄ってきて、ふくらはぎにすりすりし始めた。首輪はしていなかったけど、こんなに人慣れしているのは、きっと飼われていたことがあるのだろうと、思った。捨てられたか、逃げ出したか、迷ってしまったのか、なんらかの事情で野良になってしまったのではと。(後日保健所へ迷い猫を保護したと問い合わせたが、彼を探す飼い主は現れなかった)

彼は、私の足元から離れず、すりすりし続けた。あからさまに媚びを売り、私に好かれようとしていた。今、私を逃したら、それは死を意味する。そんな彼の思いが伝わってくる。生きていくためのシンプルな必死さに、私は胸を突かれた。私は、彼を部屋に連れて帰った。このマンションはペットOKだった。彼なら、本能的にそれを嗅ぎ分けたのかもしれない。

とにかく私は、命を拾った。その瞬間から今日までの10年間、私と彼だけで暮らしてきた。


2年前、彼が心臓に病気をわずらっていることがわかった。それは、治ることのない深刻なものだった。通院し、薬を飲み、ぐったりしてきたら、手術をして元気を取り戻す・・・という繰り返しをするしかなかった。


彼はハンサムな顔立ちをしていた。元々目は大きかったが、年を重ねるごとに、瞳がはっきりとしてきてキラキラが増した。私は得意げに、彼の写真をインスタグラムにアップし、『男前』と称して、たくさんのいいねをもらった。

でも、病気とわかって気が付いた。彼の瞳が大きくなるのは、痩せてきたからだということに。人間で言う、『頬がこける』状態になりつつあったから、物理的に目が大きく見えていただけだったのだ。私は何も知らずに、能天気に、いいねが欲しくて、彼の写真を投稿していた。自分をバカだと思った。私は彼に謝った。すると彼は、


『どうでもええし』


という顔を私に向けた。私はくすっと笑った。彼はいつもこうやって、私の心を救ってくれた。

思い出は尽きないが、彼が旅立った今日に話を戻す。



彼の呼吸が止まり、逝ったとわかった後、私は急いでインターネットでペット霊園を探した。今日はたまたま仕事が休みだったから、今日中になんとかしなければらなかった。でも、もし今日が休みじゃなかったら、途方にくれるしかなかったかもしれない。彼は、自分が死んだ後のことまで、配慮してくれていた。タクシーで20分くらいのところにペット霊園があるとわかり、今日の昼の一時に予約を入れることができた。

私は、彼が好きだったふかふかのラグで彼を包み、キャリーバックに入れた。

彼が入った大きなバックを両腕に抱え、大通りの歩道に立ち、インターネットで頼んだタクシーを待った。でも、タクシーはなかなか来なかった。予約時間から15分遅れてやってきたタクシーは、黒い覆面タイプだった。車体の屋根に行灯が付いていない、一見タクシーとはわからない、まさにお葬式にぴったりの車種。

ネットで依頼した時、行先を『ペット霊園』にしていたので、タクシー会社が気を配ってくれたらしい。思いやりとは、こういうことなんだと思った。


予定よりだいぶん遅れての出発だったのに、予約していた時間ぴったりにペット霊園に到着した。霊園入口で、スタッフの方が待っていてくれ、すぐに仏壇がある部屋に通され、お悔やみを言われ、そして彼を棺桶(にあたる箱)に入れてくれた。花束も置いてくれた。花はネット予約の特典だった。

スタッフの人が部屋を出て行くと、私と彼だけになった。そして、CDのお経が流れる中、私はお焼香をあげた。そして、祭壇の横に置かれた箱の中の、彼に触れた。まだやわらかかった。お腹を見ていると、微かに上下しているように見える。いつもそうやって、生存確認していたから、ついそう見えてしまう。でも、それは希望的錯覚だった。やっぱり彼は死んでいた。

お経が終わると、スタッフの人が火葬の準備のために先に棺桶を持って外へ出た。私は一人、部屋で待つことになった。壁際のパイプ椅子にぼんやりと座り、お焼香の香りを嗅いでいた。少しして霊園の人が来て、火葬の設備がある建物に案内された。中に入ると、台の上に鉄板があり、そこに彼が寝かされていた。棺桶を有料にしなかったので、直に鉄板の上。だけど、彼の周りには、花が飾られていた。ネット予約特典の花束を使って、霊園の人がやってくれたのだ。花に囲まれた彼を見て、あー天国に逝くんだな、よかったな、と思えた。花を飾ってくれた霊園の人に感謝した。

そして私は、最後に彼を撫でた。お焼香の時よりも、硬くなっていた。

「お疲れさまでした。楽しかった。ありがとう。さよなら」

と、心の中で言った。霊園の人がいたので、恥ずかしくて口には出せなかった。


火葬が終わるまで40分ほどかかるというので、お焼香した部屋で待つことになった。また壁際のパイプ椅子に座る。

さっきまでしっかりしていたのに、急に悲しみが押し寄せてきた。彼という肉体には、もう二度と会うことができないのだと実感し、涙が次から次へと零れ落ちた。体中の水分がなくなってしまうのではないかと思うくらいの量だった。止められなかった。どうしようもなかった。声がもれた。一人でよかったと思った。いや、私は一人になったのだ。彼を失い、一人になってしまった。これから、彼がいない世界で生きて行かなければいけない。どうすればいいのか。10年一緒だった命が、私のそばからなくなってしまった。心にあいた大きな穴は大きすぎて、もう一生埋まらないと思った。絶望。


ひとしきり泣いた後、トイレに行きたくなった。こんな時でも生理現象はやってくる。体中の水分は、目から出てしまったと思っていたのに、尿意はくるのだ。私は、お焼香の部屋を出て、外にあるプレハブ建てのトイレに入った。用を足していると、どこからか『にゃあ~にゃあ~』という猫の鳴き声がした。


「嘘やろ・・・」


今ちょうど彼が焼かれているというその時に、猫の鳴き声!? いやいやないない。そんな、ドラマみたいなことがあるわけがない・・・。

私はなんとか冷静さを呼び戻し、気のせい、という結論を出した。そして個室を出て、ゆっくり手を洗っていると、また、『にゃあ~にゃあ~』という鳴き声がはっきり聞こえた。

私は、急いで外に出た。

辺りを見回す。でも、そこには生き物らしき姿はなかった。私は、プレハブトイレの周囲を歩いてみた。すると、裏側の影になった所に、一匹の猫を見つけた。猫は、『にゃあ~にゃあ~』と鳴いた。さっきの声だった。水を入れた器があったので、霊園の人がエサをあげているのだろう。

私はしゃがみ、その子に人差し指を向けると、近寄ってきた。暗い場所から出てきて、その子が陽を浴び、からだが見えた時、私は息を飲んだ。白地に灰色のブチが、頭と背中にある柄・・・。彼とそっくりだった。私は神様の粋な計らいに、また涙が出そうになったが、気づくと微笑んでいた。その子は、私の人差し指に鼻をつけ、くんくんしてくれている。


「ありがとう」


と、私は声に出して言った。その子は私の顔をしばらく見つめ、とことこと立ち去った。その後ろ姿を見つめながら、もしかしたら、これも彼の配慮なのかもしれないと思った。大泣きした私に、『くよくよするな、がんばれ』と、メッセージを送ってくれたのかもしれないな、と。


彼の骨が、鉄板の上できれいに並んでいた。霊園の人がきれいに並べ直してくれたのだ。そして、どこがどの骨かという説明をしてくれ、人間と同じように喉ぼとけも教えてくれた。彼の喉ぼとけは、祖母のよりも、仏らしい形をしていた。

骨一つずつ手で取り、骨壺に入れていく。人間の時と同じように、喉ぼとけは最後に入れた。鉄板に残った粉状の骨は、霊園の人がほうきで集めて、入れてくれた。


そしてそれを持って、霊園の共同墓地に向かった。納骨。

大きな石碑の裏に回り、足元にある小さな扉を開く。思わず息を飲んだ。そこには見渡す限りの骨の山があった。今まで埋葬されてきた動物たちの骨が、深い穴の中に大量にあり、もう扉の近くまで積み重なっていた。


「ここに入れてしまうと、もう区別することはできませんので」


霊園の人に言われ、私は頷いた。霊園の人は、骨壺から喉ぼとけを取り出し私に渡すと、彼の骨を山に注ぎ込んだ。最後に私が、その注いだ所に喉ぼとけを置く。目印になるかと思ったが、彼の骨はもう他の骨と一体化していた。寂しい気持ちに襲われるかと思ったが、違った。たくさんの猫や犬たちに囲まれている彼の姿を、思い浮べた。この10年間、ずっと室内で暮らし、私以外の友達がいなかったから、彼はもう一人じゃない、と思えた。


以上で、終わった。霊園の人にお礼を言い、そこを立ち去った。

帰りのタクシーでは、心がすっきりしていた。悲しみがなくなった、というのではなく、悲しみを悲しみのまま持っていられるという感じだった。

彼を失い、悲しみの海に投げ込まれたけれど、溺れている私に、いろんな人が手を差し伸べてくれた。タクシー会社の人、霊園の人、同じ柄の猫・・・。他にも気が付かないだけで、私は助けられていると確信した。

この先、何度も彼を思い出して、そのたびにつらい涙を流すだろう。だけど、彼のおかげで私は、楽しさを知り、愛情を知り、そして一人になり、悲しみを知り、絶望を知り、そして思いやりを知り、優しさを知り、一人じゃないことを知った。


私は幸せであるということを、知ったのだ。

おわり


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


この物語は、私が体験したことに基づいて書きました。

うちの猫が病気だと発覚する前、猫が普通に元気だった時、私は『自分の人生は暗闇だ』と言っていました。仕事がうまくいっておらず、もんもんとしていたので、そう表現してました。


その後、猫が病気だと判明し、もう治療のしようがないとわかった時、私は愕然としました。

何が『暗闇』やねん、猫が元気に生きているというだけで十分幸せだったじゃないか、と気づいて、愕然としたのです。

そして、猫が亡くなり、本当の『暗闇』が来た時には、タクシー会社や、霊園の人、同じ柄の猫などに、何気ない優しさをたくさんもらっていることに気づき、『暗闇』に光を差してくれている存在に感謝しました。


『暗闇』だと思っていたのは、勝手な被害妄想で、実はずっと幸せなのだと、猫に教えられました。

その気持ちを、この物語に込めました。


とは言え、私もまだまだペットロス乗り越え中です。

ペットロスでつらい思いをしている方に、この物語が届いて、少しでも心が軽くなってもらえたら、嬉しいです。


毎月、4日と18日頃に、短編小説を投稿しています。

過去の投稿も沢山ありますので、ぜひ!

猫が登場する作品は、『猫の記憶』『手放せなかったのは、リボンではなかった』『カンペキな人生』です! 猫好きさんに読んでいただけると、本当に嬉しいです!!


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