黒落の終幕
ゆう兄ちゃんが鈴の音を連れて行って、僕達は兄ちゃんの言う通り誰かに助けて貰うために一気に山を降りた。村に着いて、ホッとしたのに。それなのにまた鈴の音が聞こえてきて、慌てて逃げたから二人とはぐれちゃって。音から逃げるのと二人を探すのとで村中を走り回った。
兄ちゃんが早く捕まっちゃったのか、鈴の音が一つじゃなかったのかは分からないけどとりあえず怖かった。走って走って、疲れたら隠れて休んで、そうやって村中見て回ったと思う。
でもおかしいんだ。
いつもの帰り道だけじゃなく色んなところを走り回ったのに人が一人もいない。夕日もいつまでも落ちない。少ない夜の黒とたくさんの夕焼けの緋が混ざってて空を怖い色に染め続けている。
村がいつもと違って変なんだ。
首をかしげながら走っていたらいつも地蔵盆をする時にくるお地蔵様の近くに着いた。でもその時鈴の音が近付いてきて、怖くなって足が竦んで動けなくなって。
誰も人が居ないから。もしかしたら誰も助けてくれないかもしれないって思っちゃって、だから、
怖くって、嫌になって、しゃがみこんでしまいそうになって。だけどそうしたら、温かいなにかに腕を引っ張られた。聞こえてくる鈴の音はまだちょっと遠い。何も見えないけど、腕を引っ張るなにかは優しいお日様の匂いがしたから、怖いと思わなかった。
優しいなにかに引かれてお地蔵様の前に行って。でもどうしたらいいか分かんなくって、困ってたら鈴の音が近付いてきて、慌ててお地蔵様に助けてって両手を合わせてお願いした。
助けてください、って。
「……ん、あ…れ……?」
目を開けたら僕は真っ白な天井の下で寝っ転がっていて、手を合わせてなかった。なんでだろ?
さんざん走って疲れてたからか体はだるいし喉はガラガラ。
のど、乾いたな。
とりあえず水かなにか欲しくて起き上がろうとした時に腕から伸びる一本のチューブに気づいた。
さっきから、何かがおかしいんだ。
お願いする為に目を閉じてたのだから寝てなんかいない筈なのに、僕はいつの間にか寝てて。両手をピッタリ合わせてた筈なのに、手は体の横に下ろしてて。注射の痛さとか、そんなの何も無かった筈なのに点滴してて。
考えても仕方ないから、それより早く誰か呼ばなきゃと頭の中を切り替えて起き上がった。そしたら目の前には沢山人がいてびっくりした。だってさっきまで村に人がいなかったのに。みんなここに居たから外に誰もいなかったのかな?
バタバタ走っていく小児科医の七日咲先生と秀本先生の背中を呆然と眺めてたらウサギみたいに目を真っ赤にしたひな姉ちゃんのお母さんと目が合った。
「かいくん……還ってきたの……」
ホッとしたら顔をした小母さんはゆっくりこっちに来てくれた。
帰ってきた?うん、暗くなる前に山からちゃんと帰ってこれたよ。でも今はそうじゃないんだ。
「あのね、ゆう兄ちゃんが危ないんだよ! ゆいちゃんとこうくんともさっきはぐれちゃったし、探してあげなきゃ!!」
慌ててたから思ったより大きな声が出たけど気にしない。小母さんが驚いた顔をした後にどういう事?って訊いてきたから山で鈴の音が聞こえて、猫さんがいるんだと思って音の方へ行ったれんくんか消えた所から全部話した。
「早くしないと僕達を逃がしてくれたゆう兄ちゃんが消されちゃう!! それにゆいちゃんとこうくんも危ないんだ。村でも鈴の音が聞こえたんだよ。鈴の音、一つじゃないかもしれないから、早く助けてあげないと皆消されちゃうよ!!」
「ね、こ……」
精一杯伝えようとする僕の肩を小母さんは軽く二回叩いて。ちょっとぼんやりしたまま小さく周り、と呟いた。
よく分からなかったけど、とりあえず言われるがままに周りを見渡す。
「あ、れ……? ゆう兄ちゃんとゆいちゃんとこうくん? れんくん、ひな姉、だいくん、はや兄、りつ姉、たか兄、みぃちゃん、えりちゃん、はるくんも。みんな、大丈夫だったの……? え、じゃあさっきまでのって、夢?」
消されちゃった皆も、はぐれたゆいちゃんとこうくんも、囮になってくれたゆう兄ちゃんも、みんなみんな、ベッドの上で眠ってて。そしてみんな、点滴してた。よく、わからないよ。
「かいくん、よぉく聞いてね? 実はね……」
小母さんがそんな僕になにか言おうとしたその時、ピーという無機質な機械音が部屋に響いた。
えっ? と思って音の方を見たらゆう兄ちゃんが寝ていたベッドに縋り付いて小父さんと小母さんが泣き叫んでいる。
「あぁ、勇哉くんも逝っちゃったの」
悲しい顔をした小母さんがポツリと呟いたのが聞こえた。行っちゃったって、どこに?ゆう兄ちゃんそこにいるのに?そんな事、聞けないくらい重い空気が病室の中を満たしている。
ふと顔を逸らした先に合った窓に釘付けになった。
走り回っている時と変わらない、夕陽はまだ沈まない。
重い沈黙が辛くて、ゆっくりベッドから降りてカラカラと点滴を連れながらこうくんのベッドの方へと歩く。こうくんの点滴と、僕の点滴を並べて置いて、じっとこうくんが起きるのを待つ。
そういえば、帰ってきたとか行っちゃったって何だったんだろう。さっき僕が小母さんにおはよう、じゃなくてかえってきたの、と言われたのは、夢からってことなのかな。あれ、僕ってどうやっ夢から帰ってきたんだっけ?
何もよく分からなかったけど、とりあえずこうくんを待ってみる。こうくんが起きないとは思えなかった。あの時はぐれてしまったけど、しっかりしたこうくんのことだからきっとどうにかしてゆいちゃんと一緒にあの夢から帰ってくるだろうと思ったんだ。
確証も何も無い、ただの希望だけど、信じたものが叶うのなら、きっと大丈夫でしょ?
暫くじっとこうくんを待っていたら、急にこうくんが荒い息をしだした。苦しそうだったから慌てて名前を呼んで起こそうとする。
「ぁ…………」
「こうくん!? 起き、た?」
小さく声を上げたから、目が覚めたのかなって思って声を掛けた。良かった、ちゃんと起きたと胸をなで下ろそうとしたその時。
「…ぅああああぁぁあああああぁぁぁぁぁあああ!!!」
大きな声を上げたこうくんにびっくりして肩が跳ねる。どこかぼやけたような黒い目が、ゆらゆらと揺れていて少し怖い。短く荒く息を吐くこうくんは、飛び起きて目を見開いたまま固まってる。もしかしたらさっきまで鈴の音に追い掛けられてたのかもしれない。だから、突然病室にいて驚いたのかな?
「こうくん、おはよう。良かった、逃げられたんだね。ここ、多分鈴の音いないよ。小父さんとか小母さんとかいるし、兄ちゃんや姉ちゃん達もいるんだ。夢みたいなのだったみたいだから、大丈夫だよ」
「……かい?」
こうくんは僕の声に反応して顔をこっちに向けたけど、目と目が合わない。ハイライトの無い、ぼやけた視線で僕の方を見ているだけだ。
怖い。でも周りの大人達は何も反応しないから、僕が動かなくちゃ。そんな変な使命感から、無理矢理動こうとする。じわじわと侵食する恐怖から目を逸らしたくて、感じる違和感を気のせいだと思いたくて、とりあえず声が枯れてたこうくんに水を差し出した。
「こうくん、お水。喉ガラガラになってるよ」
でもこうくんは、僕の方をぼんやり見たまま動かない。何度も瞬きをして、その目を隠すけど、次に現れた時も目にハイライトが抜けたまま。そのまま手をぎゅっと握りしめて小さな声で問いかけてきた。
「なぁ、かい。ここ、どこ?」
「え? 病室だよ。大部屋の。ねぇ、それよりお水は?ってこうくん!! 針危ないよ!!」
見ればわかるようなことを聞くこうくんを変に思いながらも素直に答え、再度水を差し出す。今度は点滴してる腕がゆっくり持ち上がったけど、直ぐに重力に従ってベッドに逆戻りした。その衝撃が点滴のチューブに伝わってゆらゆらと揺れている。
「病室って事は、白いん、だよな……」
少し血が逆流してしまったらしく、針から近いチューブに少しだけ赤が溜まっていることに気付いて誰かに声を掛けようと周りを見たその時、こうくんが変なことを呟いて小さく笑った。いつもの元気な声じゃなくて、重くて沈んだ様な。そんな声と乾いた笑いに驚いてこうくんを見たら……。
「かい、オレ…目ぇ見えてない、みたい。全部真っ黒で、ここがどこか、とか、どこに誰が居るか、とか、音とか声とかないとわかんないんだ」
口角が上がって笑顔の形を作ってるけど、目からはいつの間にか溜まった涙が絶えず零れていて、未だにぼんやりした黒目がゆらゆら揺れていた。辛いって、怖いって、そういう気持ちが声と顔からヒシヒシと伝わってくる。
でも、分かったのは気持ちだけだ。目が見えないって。そう言われてもすぐにはその言葉がのみ込めず、目を大きく開いて固まってしまった。頭の中でさっき言われた言葉がぐるぐる回る。自分が無事に帰ってこられたから、こうくんも同じだと信じて疑わなかったのに、実際は、これは。
なんて声をかければいいのか分からなくて、口を開けても音が出てこなくて、ぎゅっと手を握り締めるしか出来なかった。
「なんかさ、かいとはぐれた後しばらくはゆいと一緒に走り回ってたんだけど、途中でゆいが多分疲れて走れなくなったんだよ。でもオレ焦っててさ。神社の近くに行くまでゆいがいない事に気づけなかった。周り見てもゆいいなくて、ヤバイって思ったら鈴の音が聞こえたんだ」
何も言わない僕を気にせず、こうくんは話し出す。あの夢の、僕の知らない続きを。まるで、何でこうなったか、確認するみたいに、ゆっくりと。
神社という単語に、どこか引っ掛かりを覚えたけれど何が違和感なのか分からなかった。
「ビックリして頭ん中真っ白になってな。とりあえず逃げなきゃって走った先が神社だったんだよ。鳥居、真っ黒だったのに…それ無視してつい飛び込んで。そしたら……そしたら、血が……っ、血がいっぱいで、変にあったかくて、それで、叫び声とか聞こえて、見たらバラバラでぐちゃぐちゃで……」
もう見たくないって思ったら、声が聞こえて、そしたら、何も見えなくなってたんだ。
口元に手を当てながら、ゆっくりと吐き出すようにこうくんは言った。吐き気を抑えるためなのか、嗚咽を押し殺すためなのか。それは分からなかったけどその姿がひどく脆いもののように感じて、思わずその体を抱きしめた。ちょっとだけ無理に動かした腕に刺さっていた点滴の針が変に当たって痛かったけど、そんなの気にならない。だってカタカタと震えるこうくんは、瞬きもせずにただただ泣いていたから。
きっと言葉に出来ないくらい怖いものを見たんだ。途切れて繋がらない言葉からはリアルな想像は出来ないけれど、それでも。きっと他人には分からない、いつかの悪い夢みたいなものを見て、聞いて来たんだ。
僕にもそれがどんなものだったかは分からない。だけど、これくらいは出来るよ。あの時怖くなって泣き続けた僕にお母さんがやってくれたみたいに優しくぎゅってして背中を撫でる。大丈夫だよ、ここはもう怖いものが来ないところだからって言って。
どのくらい、そうやって時間が過ぎたんだろう。こうくんはちょっと落ち着いて、さっき改めて渡した水をゆっくり飲んでいる。僕は何を言ったらいいのか分からなくて静かにしてるけど、周りの大人達も何も言わないし、こうくんも何も言わない。
重たい沈黙に耐えられなくなって、こうくんから目線を逸らしたらゆいちゃんが飛び起きるのが目に入った。
「あ、ゆいちゃん……!」
「……え?」
起きた上がったゆいちゃんはこうくんと違って目はしっかりと布団の方を見ている。口をぽかんと開けて喉に片手を当てているのはちょっと変だけど。
「ゆいちゃん起きたから、ちょっと行ってくる。って言ってもすぐ隣なんだけどね。こうくんもゆいちゃんの事気になるでしょ?」
「え……あ、うん」
少しだけ早口になりながらこうくんに告げて、真っ白なベッドから降りてそのまま真っ直ぐ三歩。未だ静止しているゆいちゃんの目の前でひらひらと手を振ってみる。
ビクってして慌てたみたいにこっちを向いたゆいちゃんはパクパクと水中で息をする金魚みたいに口を開け閉めして、やっぱり首に手を当てている。泣きそうな顔をして眉尻を下げたゆいちゃんは、ベッドについて首を傾げていた僕の手を少しだけ引っ張った。
“こえでない”
されるがままに上に向けられた手のひらに書かれた文字はたったの五文字。
「……え?」
読み取れなかった訳じゃないけど、どこか呆けた声が出たからか、ゆいちゃんが同じ文字をもう一度、ゆっくりと書き直す。
声が出ない。ゆいちゃんは僕にそう伝えている。
どこか冷静な部分がそれで喉を抑えていたのかと納得していた。これであの夢から鈴に捕まらないで村まで逃げられた三人が揃って目を覚ましたことになる。
でも二人はあの夢の中にそれぞれ忘れ物をしてきてしまった。
きっと取りには戻れないし、戻っちゃいけない場所だと思う。実質無くしてきたんだ。視力と、声を。
無事に帰ってこられたのは、僕だけだ。
ゾッとした。寒くなった。奥歯がカチカチ音を立ててる。きっと、これは、考えちゃダメなこと。
ぐっと歯を食いしばって、グイって口角を上げて、普通の顔の形を作る。今ここで僕が不安な顔をしたらゆいちゃんはもっと不安になるだろうから。
「大丈夫だよゆいちゃん。大丈夫」
無責任だとは思った。何も大丈夫なんかじゃないのに、ちゃんとした解決策がある訳じゃないのに。
「はい、これがあればお話できるから……っ!」
ベッドの横にあるサイドテーブルの引き出しから紙とペンを取り出して、そんなことを言いながらゆいちゃんに渡す。
何がこれがあればだ。違う、これが無ければ正しく意味が伝わらないかも知れない状態で会話しなければいけないだけだ。紙とペンが無ければ、会話ができないだけだ。
“うん、ありがと”
驚いた顔をした後、そう書いたゆいちゃんに心の中でたくさん謝る。きっと悲しませた、辛い思いさせた、嫌な思いさせた。でも、こんなことしか思いつかなかった。僕はこれ以上のことをしてあげられない。
「ね、こっちでこうくん起きてるからさ、こうくんのベッドではなそ?」
首を斜めに倒した後縦に一度動かしたゆいちゃんの手を引いてそのままさっきと反対に三歩進んだ先の白に乗る。カラカラと引いた点滴を邪魔にならないところに置いてこうくんに声をかけた。
「ね、こうくん。ゆいちゃんもちゃんと起きたよ」
「そっ、か……。良かった……何ともないのか?」
「……ううん、声、出ないんだって……」
「っ!! なんで……!」
息を飲んだ後に吐き出された怒鳴り声は、怒っているというより悲しんで、苦しんでるみたい。少しだけ細められた目の中で、やっぱり黒目だけがどこにも定まらずゆらゆら揺れている。
そんなこうくんを見たゆいちゃんは大きく目を見開いて口をぽかんと開けていた。ぎゅっと唇を噛み締めているこうくんとは正反対だ。
“こうくん、目、見えてないの?”
ぐにゃぐにゃに曲がった字で書かれた疑問に僕は、目を合わせないまま頷く。そろりと上げた視線の先でゆいちゃんの口が‘うそ’と形どったのが分かった。僕は、もう一度目を逸らした。
僕があの時二人とはぐれなかったら、こうくんもゆいちゃんも、もしかしたら……
たらればで夢を見るけど現実は変わらなくて。果てしない遣る瀬無さで唇をぎゅっと噛み締めた。
ふいに袖を引っ張られて顔を上げる。青い顔をしたゆいちゃんが、必死に紙を指してはくはくと口を動かしていた。
“かいくんはなにもないの”
「あ……うん。僕は、大丈夫。何ともないよ。全部、昨日と変わらないから。変なところとか無いし」
ちょっとだけ笑顔で答えられた。ゆいちゃんが心配してくれたのが嬉しかったのかな。そしたらゆいちゃんはほっと息をついて安心したような顔をした。顔色も、まだちょっと青いけどさっきよりもずっといい。
こうくんが僕の声に気づいて、はっとしたような顔でゆいちゃんと同じことを聞いてきた。だから大丈夫だってと笑いながら返したら苦笑いしてた。そんなこうくんに、僕とゆいちゃんは顔を見あわせて笑う。ちょっとだけむっとしたこうくんもつられて笑った。
多分ゆいちゃんは自分が声が出なくなって、こうくんも目が見えなくなって、だから僕も何かあるんじゃないかって不安になったんだと思う。こうくんはついさっきまで混乱してたし、なんとなく平気そうにしてる僕に気付いてて確認しなかったんだろう。
ちょっとだけ、落ち込んでいた気持ちが楽になった。
こんな状況でも笑えるんだ。泣いたり驚いたり、茫然としたり怒ったり、辛くて苦しいだけかと思ったのに。なんだ、こんな簡単なことで笑えるじゃないか。なら、僕らはまだ大丈夫だ。
ずっとモヤモヤと胸の中にあった何かが晴れていった気がする。
ひとしきり笑って落ち着いて、ふとなんで僕だけが何もなく帰ってこられたのか気になった。僕はお地蔵様に手を合わせて、こうくんは慌てて神社に逃げ込んだ。じゃあ、ゆいちゃんは?
「ねぇ、ゆいちゃん。ゆいちゃんはどうやって戻ってきたの?」
突然声を掛けたからか、え?と言うかのように首を傾げてから考える素振りを見せた。暫くして書き出された文字曰く、どうやら僕と同じ様にお地蔵様に手を合わせたみたい。でも、僕と違っていつもの所じゃない場所にあったお地蔵様に。
“たすけてくださいっておねがいしたら目の前がまっくらになって、ひくいこえがきこえたの
『よそものがずうずうしくもくもつもなしにたすけをもとめるのか』って。でもよくわからなくて、こわかったからたすけてってもういっかい言ったの”
“そしたら『やかましくするな』っておこったこえで言われて、のどがピリッってしたらこえでなくなってた。
『ちょうどいいからこれをくもつとしてもらっていってやる。だからさっさといね』って言われて目がさめたの”
一瞬、時間が止まったかと思った。なんでお地蔵様が助けてって言っただけで声を取るなんて酷いことをするのかと。そして、そこで。
「いい、つたえ……」
ふと、お母さん達とか、村の人達が何回も言って聞かせてきた言い伝えを思い出した。
『鈴の音が聞こえたら逃げなくちゃいけない。捕まったらダメ。
山から下りて、いつものお地蔵様にてをあわせないといけない。
いつもの違うところにいるお地蔵様に助けてって言っちゃダメ。神社に逃げ込むのもダメ。
その理由は……』
「違う神様と、違う入り口……」
僕の言葉に首を傾げてたこうくんが呆然と呟いた。
そうだ、それが、ゆいちゃんとこうくんが‘忘れ物’をした理由。なら、僕が何も無かったのはいつもの神様に助けてって言えたから……?
さっき笑って楽になった気持ちがまた重くなってきた。心做しか空気がピリピリしてる気がする。
“いいつたえって、どういうこと?”
「……皆が何回も言ってた鈴の音から逃げなさいってやつだよ。多分、鈴の音に捕まったらダメで、赤いはずなのに黒くなってた鳥居に入ってもダメで、いつもと違う場所にあるお地蔵様もダメで。でも皆捕まっちゃったから消されちゃって、こうくんとゆいちゃんも、ダメなところに行っちゃったから……だから目と声消されちゃったんだと思う」
「いや、多分取られたんだ。俺の視力とゆいの声は」
え?と顔をこうくんの方に向けると、瞼を閉じたこうくんが片腕をさすっていた。どういうことかと訊けば、帰ってきた答えにすぐに理解できた。
「言っただろ? 俺、声が聞こえてその後見えなくなったんだって。なんて言ったかはよく分からなかったけど……。それにゆいも『貰っていってやる』って言わてたんなら、多分そうだ」
「……帰り方間違えたからってこと?」
「そう、だと思う。帰らせてもらう代わりに、って事じゃないか?」
そんなと思わず口を抑える。確かに理解はできるんだ。そう考えれば辻褄が合うし、違和感がない。でも納得できるかっていうと、それはまた違う問題だ。
あんな、消されるかもしれないというギリギリの状態では呑気に言い伝えを思い出して現状と比較するなんて出来ない。大人だってきっと無理だ。それなのに一つ間違えただけでこんな仕打ちを受けるなんて酷いじゃないか。あぁ、でも、なんでただの夢でこんなことに……
「なぁ、あれってほんとにただの夢だったのか……?」
こうくんがポツリと零した疑問に、何も返すことが出来なかった。みんなで同じ夢を見るというのはまぁたまたまかもしれないから別にいい。‘夢渡り’なんてものがあるらしいから、誰かの夢に無意識にみんなで入り込んでしまったのかもしれないし。
でも、それだけじゃないから。
あの夢で言い伝えでダメだと言われていることを守れないと悪いことが起こるのはなんで?
鈴の音に捕まると消されちゃって、そのまま起きないのはなんで?
お地蔵様の前にいたはずなのにベッドの上にいたのは?
神社の鳥居が黒かったのは?
いつもとは違う場所にもお地蔵様があるのは?
みんな点滴されてるのは?
小母さんが言ったゆう兄ちゃんが行っちゃったって、なに?
どこに行ったっていうの?
分からないことだらけで、ほんとにあれがただの夢だったとは思えないところが確かにあって。だから、きっとやたぶんを付けても、ただの夢だったなんて言えないんだ。
ぎゅっと奥歯を噛み締めて耐える。押し潰されそうなくらい重たい空気が纏わりついて、すごく苦しい。
ただ悪い夢だったで終わらせるには、失くしたものが重過ぎた。
暫く何も書かなかったゆいちゃんがサラサラと何かを書く音がする。
何かあったのだろうかと顔を上げた。
“まるでにんぎょひめみたいじゃない? わたし”
『人魚姫は海底世界から陸上世界へと行く為に足を得てその代わりに声を失くしました』
そう思わない?とゆいちゃんが無理矢理で歪な笑顔を見せる。暗い空気が嫌で明るくしようとしたんだろうか。それともあんな話をしたせいで不安になった?でもね、冗談でも、本気でも、そんな文字見たくなかったよ。
“ならわたしもさいごはあわになってきえちゃうのかな”
皆が無事に戻れたらって願ってたから
『人魚姫は一つの願いを胸に陸の世界へと行きましたが、終に願いは叶わず足を得た代価に泡となって消えてしまいました』
「そんな……っ!!」
そんなこと、言わないで。書かないで。やめてほしかった、見せないでほしかった。思わないでほしかった。
こうくんがどうしたって訊いてくれてるけど、ごめん、答えられそうにないや。言いたく、ない。
ううん、とだけ呟いて黙る。そんな僕を不思議に思ったのかこうくんはゆいちゃんを呼んだ。ゆいちゃんは少しだけきょろきょろしてからこうくんの方へ行って手のひらに指を立てた。しばらくしてこうくんがそんなことないって、そんなこと嘘でも言うなって大きな声で言ったから、多分さっきのをそのまま伝えたんだと思う。
こうくんの大声に肩を揺らしたゆいちゃんは、小さくごめんと書いてそのまま大人しくなった。
あの‘夢’で怖い思いをしたからそんなこと考えちゃったのかな。それともやっぱりさっきの話のせい?
でもきっと、大丈夫だから。無責任だから口には出せないけど、そう信じていようよ。そんな悲しいこと、考えないで。
「……ごめんって」
「……うん」
そのまま僕達も大人しくなる。今は、何も言わない方がいいんだ。きっと、多分。だから、今は何も考えないで、静かに 大人しくしていよう。
さっき晴れたはずのもやもやが、見えづらい端っこの方で濃くなったのが見えた気がした。
‘まだ、気付けていないことがあるのにね’
ふとそんな声が聞こえた気がして顔を上げた。そしたらさっきまでしょんぼりしてたゆいちゃんがいつの間にか眉間に皺を寄せている。口元に手を当てて首を傾げたと思ったら驚いた顔をして固まってしまった。
何度か瞬きをして、首を振って呆然として。小さく口を動かしている姿は異常で、どうしたのと声を掛けようとしたらゆいちゃんと目が合った。
“なんでねこだっておもったのかな”
慌てて書かれた歪んだ文字に思わず息を呑んだ。そうだ、だって。
「なんかあったのか?」
「ぁ……っ、なんで、ねこだって思ったのかなって……」
「ん? どういう事だ……?」
「だってこうくん、ここらへんにいるねこさんは紐くらいしか着けてないよ? 鈴は、付けるわけがないんだ」
こうくんも息を呑んだ。そう、ここら辺の村や町には猫に鈴をつける人はいない。鈴は来客を教えるための合図として飾り紐で玄関とかの出入口で風が勝手に吹き込まない場所に付けられるもの。目に見えるお客さんだけじゃなくて、目に見えないお客様が来ると信じられているからこその風習だと教えられた。
それを動き回る猫になんか付けたら音が混ざって判らなくなる。
僕らはそれを知っていた。それなのに、なぜかあの鈴音を猫のものだと思った。
おかしい。 おかしいんだ。
陽が沈まなかったのはなんで?
外にいた筈の僕らがなんでベッドにねていたの?
山で消されちゃったみんながなんでここにいるの?
ゆう兄ちゃんがねてたベッドから聞こえた音ってなんの音?
いっちゃったって、ドコに? かえってきたって、ドコから……?
そう思った途端、どっと冷や汗が出てガタガタと震えた。
どこからか“本当に夢だった?”って声が聞こえてくる。
慌てて声を搔き消すように首を振った。何がかは分からないけど違うと思いたくて。
でもその視線の先に映るみんなは、大人達に囲まれて白い布をお面みたいに着けられている。白い着物が、それぞれのベッドに一着ずつ置いてかれる。
一番近くにいたりつ姉は、左前の袷で、経帷子を着ていて。
「しに、しょうぞく……」
ガチガチと奥歯が音を立てる。何年か前に遠凪のお爺さんが死んじゃった時にお母さんが言ってた格好だ。
死んじゃった人は、ご挨拶する時以外顔を隠して、白い着物を着るらしい。白い着物に書かれてる文字は難しくてよく分からなかったけど、たしか死んじゃった人が死んだ後の世界で苦しい思いとか、辛い思いをしないようにって意味だって言ってた筈だ。
それをみんなが着せられてるって事は……
どんどん呼吸が苦しくなる。自分の心臓の音と呼吸の音で他の音が上手く聞き取れない。苦しくて、辛くて寂しくて悲しくて視界が滲んで歪んだ。
「なぁ」
“ねぇ”
「“手を、握って?”」
二人の冷たい手が僕の手をすがるようにのびてくる。ひやりとした温度が触れて、僕の体温を奪っていく。
きっと二人も気付いたんだ。まだ良く分からないけど、分かりたくないことに気づいてしまった。だから取り敢えず寂しいのだけでもどうにかしようと、相手を求めてる。
おずおずと差し出された手と、頼りなくふらふらしてる手をとってぎゅっと握った。僕よりも鈴の音から逃げるのが遅かった二人は、逃げた先で怖いものを見た二人は、やっぱり僕よりずっと手が冷たくて。
だから少しでも僕の体温で温まればいいなっておもったのに、二人の手が温まってこない。
ずっと熱を奪われ続けて引いていく血の気と共に意識が遠のいていった。
真っ黒に染まっていく視界の端で、窓が赤紫色に染まったのが見えた。やっと、夕日が沈んだようだ。
やっと、ぜんぶ、おしまいだ。
カミサマはイジワルだ。タクサンダイジなモノをうばってく
ボクヒトリにダケすべてをノコシテ、ナニがしたかった?
ザイアクカンとカナシイのとクルシイのとがグルグルしてる
こんなにツライのなら、ボクもスズのオトにキエテシマイタカッタ
とある山奥の小さな社の前に木々の開けた場所がありました。そこには大人が一人と着物を着た子供が十人。媼の布作面を着け、狩衣を着た大人を囲むように着物を着た子供達が身体を丸めて眠っています。
子供達の周りには白菊と彼岸花がお行儀よく植わっていました。其の中に少しだけ有るキンセンカやミヤコワスレ、遠い昔に迷い込んだ外ツ国の子供が褒めたシダレヤナギがそよそよと風に踊っています。
『小さな可愛いいい子達、もう苦しまずにお休みなさい』
真ん中の大人が発したであろう優しくて何処か甘やかな其の声は、麓の家々から届けられた鈴の音で掻き消されました。
強い風が、少し古くなって色のぼけた飾り紐をたなびかせています
嗚呼、でも未だ足りない。だけどあの子達や貴方なら月明かりがなくても来れるでしょう




