第4話 ENDLESS RAIN
痴話話と、よくわからないミーティングが繰り広げられるオフィスフロアにて、珍太郎は座っていた。
サボリーマン生活の長い珍太郎は瞑想をしていてもちゃんとしたフォームが取れるところはある意味社畜とも言えるのであった。
そのフォームとは椅子にきちんと座り、マウスとキーボードに手を置くワーキングフォームの事である。
しかし珍太郎の脳裏には浮かんではいけない想い出が浮かんでしまっていた。
もう随分昔、珍太郎は大学生であった。
しがない地方の美大で、シュールアートを描いていた彼は変わっているが真面目な学生として知られていた。
「悪魔と娼婦」「暗黒の叫び」「地獄の道化師」「闇、、メディアコントロールにて」
世の中の矛盾を描くアーティストとして、世界に羽ばたいてやる!
そう夢を見ていたが、本質は甘やかされていたのだ。
メディアコントロール、そして社会のレールから逃れたい、そう考えているのに本当はレールを綺麗に走る事を刷り込まれ、結局はそこに戻ってしまっていることなど、馬鹿学生の珍太郎には気付くことはできなかった。
珍太郎は何気なく就職活動をはじめ、そしてこの会社に入社した。
絵描き、アニメーターを志すものであれば、ある程度憧れの仕事。
珍太郎は天狗になり、そして社会の荒波に揉まれ、失う事で初めてありがたみというものに気づいたのだ。
しかし、移ってきて一年もすると珍太郎はサボリーマンになっていた。
好きでもない仕事と適当に誤魔化せる環境は珍太郎に自堕落を教え、そしてちょうど飲み屋を知りはじめた時期もあって、慢性的な酩酊者になる事に時間はかからなかったのだ。
だが、何かを創ってきた人間にとって、それを失くすことは、声を無くしたカナリアと同じだ。
創ることは吐き出す事、音楽家は音に乗せて、そして画家はペンに乗せて、想いを吐き出す。
そうやってしか生きていけない者の事をアーティストと言う。
そして創るからこそ誇れるんだ。
と珍太郎は信じてやまない。
衣食住足りて礼節を知ると言うが、珍太郎は少しだけ我儘だ。
もう1つだけ、誇りこそ、人が人である理由だと。
だからこそ絵を、いや絵でなくてもいい、自分の想いを表現できる何かを、この大きな矛盾から、社会という悪から、呪われた世界から取り戻さなければ、俺に心の平和は訪れない。
「センスは心の傷だと思う。」
伝説の本「Xの生と死」にて、沢田泰司が言ってた名言だ。
であれば失った俺こそ表現者たるべきなのではないか
一つ確かな黎明に辿り着いた珍太郎。
心には常に止まない雨が降り注ぐ、そして雨は心の傷に酷く染みる。
沢田泰司もきっと傷つきながらその雨を自らの糧にして、伝説のバンドXを成功に導いていったに違いないのだろう。
サボリーマンは僧侶と通ずるところがある。
瞑想は深く深く、あとは導火線に火をつけるのみだ。
ところでレポートについてだが、
珍太郎は結論部分のデータを下請けに振っていた為、何とか目処がついていたようだ。
今夜は良い酒が飲める。
定時を少し過ぎたあと、珍太郎は存在感を消しつつも、
「お先に失礼します。」
最低限のタガを外さない事がサボリーマンのコツと言わんばかりの対応で酒路につくのであった。