凡人だったら楽々と小説家に成れる件について
俺は思うのだが、小説家なんて全然凄い人種じゃないって
俺が知る、社会の上層に居る奴らなんて、そこらの凡夫な小説家よりも遥かに高いステージで生きてるだろ。
もちろん、そいつらは小説家じゃない。
小説家なんて、下らないモノにはなっていない。
まあ下らないとは言ったが、それは相対的な話だから注意しろ。
医者や将軍、紛争地帯を収めるような辣腕の弁護士のような存在だってこと。
俺が確信するに、小説家なんて、救いようが無い愚者共に、人生の慰みを与えているだけだと考える。
別に小説家が娼婦のように言いたいわけじゃない、所詮は教育者に収まる器だって言いたいのだ。
だから別に、小説家になりたい、とか、そういう事を思っている時点で、俺はそいつには小説家の見込み無しだと断ずる。
どう考えても、自分が小説家に成れるなんて、その程度は楽勝、行けるっしょ、って思えないと絶対に無理で、不可能領域だからだ。
俺は小説家を見下したり、軽蔑している訳じゃない、ただ別に俺にとって尊敬に値するような存在じゃないって事が言いたいわけ。
先生とか言われているけど、それも微妙だと思う、医者とかと比較してしまうからだ。
弁護士とかとは、俺はやっぱ格が違うなって思えてしまうのだ。
小説家なんて、ぶっちゃけて言えば、代わりが腐るほど居る。
実務経験も大して必要じゃない、一生をかけて技能を高めていけるほど、直接的で絶対的な社会の繋がりが無い。
だから低廉な作者が溢れる訳だ、
高いレベルの奴らも居るには居るが、いかんせん絶対数が稀少なので最高値のレベルが低くなりがちで、量も期待しにくい。
俺は小説家ってのが、まあよくわからないってのが、まずあるけどな。
世間の一般人の枠に収まるような奴らに、小説家以上の奴が多過ぎるのだ、って話し。
この違和感はやはり多分、社会が小説家ってのを、過大に多分に、幻想的な理想像みたいに定義し認識し、評価してるからだな。
ハッキリ言うが、小説家ってのが得られる、社会的な評価も栄誉も、俺は多過ぎだと思っている。
彼彼女らは、自分が王国を持っているくらいに、王者のように思っているだろうが、それは完全に間違っている認知だ。
俺は言いたいのだが、身の程を知ってくれないだろうか、って思っているし、実際に全小説家に言おう。
所詮は人間だ、人間の枠に収まる範囲内に、居る事を知るべきだ。
小説家というのは、己の作品を、多大な苦労と時間をかけて、一生懸命にして生み出すのだ。
だが実際は、「こんな作品は本業の片手間に書きました」くらいに涼しい顔をしているのだ。
そして、そんな振る舞いをしている内に、自己陶酔的な堕落をする場合が多い。
俺から言わせれば、勝って兜の緒を締めろ、って言いたい。
小説家に成れた事は、まあ百歩譲って評価しよう、評価してやる。
だがそれで、絶対的な謙虚さを失うなって、そういうこと。
人生の一時において、少し勝ったくらいで、少し他人と比べて恵まれたからって、幸福だからって、
怠けるな、謙虚さとは、精神的な節制だと俺は思っている。
小説家ってのは、己の脳内を社会に公開する行為だ。
これは割と重要で、公開された脳内に興味を持ってくれて、芸能人のように己の人生の視聴者を抱えるのだ。
もし大成すれば、付いてきてくれた視聴者も、いくらかの恩恵を受けて、社会だって活気づく。
小説家だって、道楽で生活するピエロのようなモノじゃない、社会を回す歯車である。
小説家は、しっかりとその事実を自覚して、謙虚さと節制と一定の自重を持って、己自身を己で見ていて欲しいモノである。