愛を語るには、もう既に遅すぎた。
――声が聞こえる。
どこまでも冷たい、貴方の拒絶の声。
私は私を否定されることを望んでいた。だってそれが当たり前だから。私は出来損ないで、ただの道具で、貴方のモノ。貴方がいなければ、私は死んでいたのだから。
私の存在は貴方がいなければ否定される。貴方がいるからもう、否定されない。傷を付けて貰えない。新たな傷が無ければ、古傷がじくじくと疼き、膿んでいくのに。このまま腐っていきたくないから、新たな傷が欲しかった。――治すことなど、して欲しい訳ではなかった。
貴方のモノになった時点で、周りは明確な傷を付けてはくれなくなった。いないものとされるのはいつものことだけど、その程度じゃ傷にもならない。どうせなら、ちゃんと傷付けて欲しいのに。
だから、貴方が私を傷付けてくれることを期待するしかなかった。愛が欲しかった。けれどそれ以上に傷を求めていた。靄の中でぬるま湯に浸かるような、幻想の中の幸福は気持ち悪くて仕方無かった。発狂してしまいたかった。こんなのはただの偶像だって、私にだって分かるのに。この幻想の中から、冷たく寂しい、鋭利で歪んだ現実に戻してくれるのは、貴方だけしかいないと分かっていたから。
会ったことも無い貴方に救いを求め、貴方に会える日に焦がれていた。貴方の拒絶の声を、私への否定の声を求めていた。傷が膿んでいく度に、貴方にその膿を抉って貰えるのを心待にするようになった。――思えば、それは恋慕に近いものであったようにも思う。普通の恋とは、全く違った意味だとは思うけれど。けれど私にとっては、それは確かに恋だった。
実際に貴方と会った時の歓喜は、誰にも解らないでしょう。たとえ貴方が本当に優しい人で傷をくれないとしても、私は貴方を愛していたでしょう――貴方だけが、私を私として見てくれたから。貴方は私の瞳をじっと見つめて、私と会話してくれた。私の言葉を待った。私を知ろうとしてくれた。
貴方が私を疎むのはやはり私が出来損ないだからでしょうけど、傷をくれながらも貴方は優しかった。そしてけして最も触れて欲しくないところは触れずに、慈しんでくれた。それが憐れみでも構わなかった。時折見せる哀しみの顔にどんな感情が隠れているのか分からなかったけれど、私は貴方が好きだった。愛していた。モノクロの私を色付けてくれたのは、貴方だった。
私の愛は重すぎて、貴方を縛って引きずって巻き込んで苦しめてしまいそうだったから、絶対にこの愛を知られないようにした。きっと誰も私の感情など知らないだろう。そして知らなくて良いのだ。それを貴方に押し付ける気は無いのだから。
貴方の声が愛おしい。私を憎み、疎み、嫌悪し、それでいて矛盾した優しさをくれた貴方が。憐れみの末の優しさは、何処かむず痒くて、くすぐったくて、変な心地がした――けれどそれも、どうしようもなく嬉しかった。義務じゃない、本心からの行動だったから、余計に。
クスリと笑えば、私を拘束している騎士が、気持ち悪そうに私を見ていた――いえ、この真白な髪を持つ私を見ていた。今にも殴りかかって来そうな程、睨まれている。けれど私はただ艶然と微笑んだ。
漸く、漸く貴方のお役に立てるのだから。貴方の側にいれないことに胸が有り得ない程軋んでいるけれど、私が貴方の為に出来ることなんて何もない。お飾りの妻としてでも貴方の隣に居続けたかったけど――私が役に立てるなら、生け贄として魔界に行くなど御安いご用だわ。このまま愛を燻らせていたら貴方に飛び火が燃え移って、苦しめてしまうかもしれない。それだけは駄目だわ。貴方には、幸せになって欲しいの。
嗚呼。近付いて来ている。私がこれから生きていく魔界が。何故この私を生け贄に選んだかは分からないけれど、どうでも良かった。貴方の――未来の王に役立てるならそれだけで。
「降りろ」
乱暴な言葉に促され、私は馬車を降りた。勿論手を取ってくれる人はいない。寧ろ私などに触れたくないのだろう。そう思うと、また貴方が恋しくなってしまう。ふと、昨夜噛まれた胸元にある痕を触りたくなった。後ろ手に拘束されているから出来る筈もないけれど。
目の前の暗く鬱蒼と生い茂る森はぐにゃぐにゃに歪んで見えた。そこに森があるのは確かなのに、中に入ったら最後、方向感覚も五感も意味など為しそうにない。まぁ、そんなことどうでも良いのだけれど。貴方の元を離れた時点で、私は死んでいるのと同義だから。
「さっさと行けよ――魔力なしの、出来損ない風情が」
その言葉に、その場にいた男達は皆笑った。私はただ、目の前の森を見据えて歩き出す。この程度の暴言は、低俗過ぎて傷にもならない。汚いものを触ったのと同じようなものだ。
「ほんと、どうやって殿下の婚約者にまで漕ぎ着けたんだかな?」
「こいつ顔は良いじゃねぇか。その顔でたぶらかしたんじゃねぇの?」
「ハハッ、違ぇねぇ!」
「……まあ。貴殿方は、殿下が女ごときに堕ちるとお思いで?」
私が放った言葉に、男達はシンと静まり返った。私が話すとは思ってもいなかったのだろう――事実、捕らわれてからここに来るまで、私は一言も話していなかった。
けれど貴方が女ごときにうつつを抜かす等と思われて欲しくは無かった。貴方は気高くて、孤高で、秀麗で、冷酷。そんな貴方の欲するレッテルを剥がすような話は、されてはならない。
「……あの方は、我が家が後見となることの代わりに私を婚約者にしろと言ったから私を側に置いたに過ぎません。あの方は私を憎んでいるわ。たぶらかされるなど、ある訳が無いでしょう?」
私は顔だけ振り返り、微笑んだ。私は容姿は良いことは十分自覚している――人形のような容姿はこの髪と相まって、気味の悪さが倍増していることだろう。
男達は息を呑んだが、気圧されている感覚に気付いたのだろう。一人が盛大に舌打ちをした。それを期に、男達は忌々しげに私を見始める。
「どうだかな。――身体まで使えば、男を堕とすことも出来るんじゃねぇか?」
一人がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら言う。視線が這うように下に下がった。
「確かになぁ? よくよく見れば、そそる身体だ」
「殿下も男だしな。この身体を使って迫られたら、たまんねぇだろうぜ」
不味い、と思った。この出来損ないの私に欲情する人なんていないと思っていたのに、こいつらが私を見る目は獣のようだ。
私に抵抗する術など無い。魔力なしの私は魔法も使えないし、ただでさえ自衛の術など習ってこなかった私は今縛られているのだ。襲われたらされるがままになるしかないだろう。
「出来損ないの私を、犯したいの? 止めた方が良いわよ」
せめてもの抵抗にと、自虐する。襲う価値も無いものを、襲うことなどしないのだから。
私は足早に森へ入ろうとする。しかし肩を捕まれ、次の瞬間には肩口の黒のドレスの布を裂かれた。
「どうせこれから死にに行くんだろ? だったら何されても良いよなぁ?」
もう、こうなってしまえば抵抗しても無駄でしょう。だったらさっさとヤられて、満足させた方が早い。
私は力を抜いた。その事に気を良くした男達が、笑みを深める。
「そうそう。出来損ないは、誰にも抵抗しちゃいけないもんなぁ」
「黙って大人しくヤられてりゃ良いんだよ!」
その汚ならしい手が、私のドレスに手を掛けた――
何かの物語なら、きっとここで貴方が私を助けてくれるのよね。けれどそんなことは起こらないのを、私は知っている。貴方は今、王位に就くために忙しい。貴方の兄上との継承権争いは熾烈と化していて、とても私を構っている暇など無いのだから。
だから今、私が男達に触れられることなく男達の血を浴びているのは、貴方のお陰ではないことを分かっている。――貴方が来てくれたと淡い期待を寄せてしまっては、後が辛いから。
ドサリ、と重たい物が倒れる音が複数して、私は抱き締められた。
嗚呼。けれどこの低すぎる体温は、この躊躇いを見せる抱き締める強さは、貴方ではないことを雄弁に語っている。
そのことに落胆している自分に、結局は何処かで期待していたのだと気付き、乾いた笑いが溢れた。この方が誰だかは知らないけれど、どうでもいい――貴方じゃなければ、後は誰だって同じだ。
「そのまま、私も殺してしまえば良かったのに……」
ボソリと呟いた言葉は聞こえていたようで、急いで顔を覗き込まれた。私も抱き締められたその方の顔を見る。
日に焼けたとはまた違う浅黒い肌に、赤く禍々しい光を宿す切れ長の瞳。高い鼻梁に薄く形の良い唇。耳は尖り、鋭い牙が唇から伸びている――そして何より、貴方の髪と同じ、いえ、それよりも黒く、暗く、光さえも呑み込みそうな――その黒髪。
「嗚呼。迎えに来ていらっしゃったのですね。どうぞお好きになさって下さい――出来るだけ早急に、殺して頂きたいのですが」
にっこりと笑ってそう言うと、目の前の――魔族でいらっしゃる方が目を見開き、そして悲しげに細められた。
「殺されることを、望んでいるのか?」
その声は貴方より幾分か低く、そして幾分か暖かかった。けれどその口調は貴方に似ていて、また貴方の声が聞きたくなった。
「えぇ、そうですね。殿下のお側に居れないのであれば、後はどうでもいいのです」
苦しそうに眉間に皺を寄せ「……そうか」と小さく呟くと、その方は私から手を離した。と同時に私の身体が淡く光り、こびりついていた血が綺麗に無くなった。これは浄化の魔法だろうが、無詠唱とはやはり魔族は段違いだと改めて再認識する。
「取り敢えず魔界へ行こう――余り人間界には留まりたくない」
いつの間にあったのか、黒く重厚な扉がそこにあった。だがこんな魔法など見たことが無い。思わず、好奇心に負け聞いてしまった。
「これも、魔法の一種ですか?」
「そうだ。これは転移魔法――“空”に属する魔法だ」
「“空”? その属性は聞いたことが――」
「それも、彼方についてから話す。今は兎に角、行くぞ」
少し強引なところも貴方に似ているけれど、そこで貴方は私の手を優しく取りはしなかった。外では私に触れなかったし、部屋の中でも貴方は何処か乱暴だった。それが、良かったのに。
何をしていても、誰と話していても、思い浮かぶのは貴方。だから、私が貴方の側にいれないことを、どうか赦さないで――そしてずっと、私のことを忘れないで。赦したら、そのまま私は忘れ去られてしまう。
貴方の中に私が居るなら、それがどんな形でも構わなかった。貴方に愛を求めるのは愚かだと分かっていたから。貴方は私を憎んでいるから――そのまま、私を憎み続けてくれれば、私はそれで良い。貴方に忘れ去られなければ、それだけで。
私は抱き抱えられたまま、魔界への門に入る。
最後に、貴方の声が聞こえた、気がした。
* * *
寒さに、目を冷ました。
ガバリと勢いよく起き上がり、自分が裸であることに気付く。そして乱れたシーツ。一人で眠るには余りに大きすぎるベッドの上に、己以外の体温は感じられない。
俺が手酷く扱った筈の彼女の面影は、そのシーツに残る残痕のみで。その他には何も――彼女を連想する物は何もかも、何処にも無かった。
分かっていた筈だった。
彼女の存在を認める者は誰もおらず、彼女を知る者は誰もが彼女を忌み、疎み、最早いないものとして扱っていた。
そんな彼女がいなくなれば、彼女の存在を証明するものなど何もなく、彼女は文字通りこの世にいなかった者として――扱われさえしないのだから。
分かっていた、筈だった。
それは条件だった。契約だった。計画だった。
魔族はなぜか彼女を欲した。俺の婚約者である彼女を捧げる代わりに、俺は魔族による人間界への進行を止めさせた。定期的にこの国を蹂躙していく魔族の存在は脅威的で、この国にとって一番の懸念材料だった。その案件を解決したとなれば、異母兄を押し退けて王座に就くことも容易であろう。
俺はそして最後に彼女を穢し、彼女を生け贄として魔族に差し出したのだから。
もう二度と彼女とは会えない。彼女の歪な笑みも、苦し気だが幸せそうな表情も、ひたすら真摯に見つめてくる水晶のような不思議な瞳も、もう二度と俺の手元に戻らない。
彼女に俺が与えたのは、ただの傷痕だった。
それ以外に、俺は何も彼女に与えなかった。
俺は母の望む通りに王座に就き、淡々と政治を行った。
周りはそんな風に思わなかったらしい。知らぬ間に俺は賢王だと持て囃されていた。
ただ俺は魔族の言葉に沿った政策を行っただけだ。魔元の循環が滞れば自然は腐っていくという。だから平民でも魔法を使えるように義務教育として魔法学院を建てたり、より効率的な魔素の循環方法を研究して来たに過ぎない。
そして魔法研究の結果、“白き髪”を持つ者にも魔法が使えることが分かった。
今まで誰も見つけられなかった属性――“空”に適性がある者だけが“白き髪”を持つことが明かされる。
かつて彼女がいないものとして扱われていた原因である“白き髪”は、いまや新たな魔法の開発への期待から羨望のまなざしで見られるようになったのだ。
身勝手な奴等だと思った。けれど一番、俺が愚かだと思った。
この世で最も“白き髪”を持つ者を傷付けてきた俺が、“白き髪”を持つ者への差別を解消するなど、滑稽な話だ。
罪滅ぼしでもしたいのか。
罪滅ぼしをして、彼女から許されたいとでも?
もう既に彼女はいない。もう二度と彼女に会えない。
許しなど乞える筈も無いのに。
魔族は酷く怜悧で、魔法に関しても統治に関しても、余程人間界より秩序は保たれているのだろう。彼女にとっては人間界にいるより、魔界にいた方が幸せなのかもしれない。
そう考えた時、不意に彼女を求めてきた魔族の姿が浮かんだ。一切の光までも飲み込む漆黒の瞳を持つ、絶対的強者でありながら寂しげな彼を。
圧倒的な力の格差に、魔族の言葉を聞かないという態度は出来るものではなかった。頼み、と魔族は言ったが、そんなのは対等な者同士に行われるもの。これを断れば、もしかしたらこの国を襲われるかもしれない。そんな危険性がある中で拒絶など、出来る筈もなかった。
……いや、ただ単に俺は怖かっただけなのだ。あの魔族と敵対することが怖かった。戦になるのが怖かった。無様に死ぬのが怖かった。俺は自分の保身の為に、彼女を売ったのだ。
そして、俺はまた失ってから初めて気付く。
何もかもが遅すぎて――後悔などする資格もない俺は、ただその事実に茫然とする他無かった。
俺は彼女を憎んでいた。憎んでいると思っていた。
余りに彼女は何にも心を動かされなかったから。罵詈雑言の嵐も、有らん限りの暴力も、存在そのものをいなかったものとして否定され続けるのも――己の死さえも。
常に命を狙われる身であった俺は、死を何よりも恐れ、そして死にたくないがゆえに努力していた。むしろそれ以外の理由で努力したことはない。俺が王位に就こうとしたのは権力欲でも、まして母に言われたからでもなくて、単純に、それが一番安全だと思っただけなのだ。兄にこの国を任せれば、己が欲のためだけに動く貴族の言いなりになり、この国は衰退するだろう。そうすれば民は王族を批判し、暴動を起こすかもしれない。そうして恐らく濡れ衣を着せられるのは、異母兄にとって最も邪魔な俺だ。
それは王位に就いて命を狙われるよりも、より危険だった。幾ら俺が当時“出来損ない”と称された彼女を娶ったとしても、彼女の生家は優秀な魔法使いを輩出する爵位は高くないが歴史は古い名門家であり、その後ろ楯を得た俺は、王位に就いたところで兄にとっては目の上のたんこぶであった。どちらにしろ、俺が生き残るには兄を排すしかなかったのだ。
俺は、俺が生きるためなら血の繋がる兄弟だろうと躊躇いなく殺す。その力を蓄えるためならどんなことでもやった。汚いことも、卑劣で卑怯で表には出せないこともやるし、出来るだけの努力をしてきた。
だからこそ、俺は彼女に初めて会った時から、彼女が嫌いだった。
彼女は彼女自身の心を守るためとはいえ、感情という感情を殺し、自身はその水晶の殻に閉じ籠っていた。
その水晶の瞳に映るものは、彼女自身に直接届くことはなく、彼女は他人事のように、水晶という殻越しに映ったものを見ているに過ぎなかった。
己に起こっている事象すら、彼女にとっては彼女の外で起こっている他人事。
ピクリとも動かない表情は、全てが白く作り物めいた彼女の容姿と相まって、人形のようだという印象を色濃くさせた。まるで本当にそうなってしまいたいという願望が、彼女の外面に表れたかのように。
――それは単なる逃げじゃないか。
無性に腹が立った。確かに、何もかも放置して自分の殻に閉じ籠れば、それ以上傷付くことは無いだろう。自分のことさえ他人事なら、何にも心には響かずに、ただ素通りして、彼女はただそこに在るだけでいいのだ。
――それなら、必死に生きようと無様にもがいている俺は、何なんだ?
罪を犯し続けていた。生きるためなら邪魔する者は葬る。この手で、類い稀な魔法で、王族としての権力で。
反吐が出そうなくらい、血に塗れた俺は、罪なのか。
生きることさえ罪だと言うなら、何のために生まれてきたのだ。
何度自問しても分からない。分からないからこそ、俺は生きようとしていた。死ぬことは、この手で刈り取った命さえも、無駄になることだと思ったから。
だから――勝手にこの世の全てに絶望したような体で、この世の全てを拒絶し、否定し、水晶の中に引き籠もった彼女が、許せなかったのだ。自分の手を汚してさえもいない、命の危険を感じることだって、俺の婚約者に決まった時点で無くなった筈の彼女が、何の努力もせずただ逃げていることが、許せなかった。
俺の婚約者となったことで誰も彼女を傷付けることが無くなったというなら、俺が彼女を傷付けよう。
俺の婚約者となったことで彼女は死ねなくなり、だからこそ殻に籠ったというなら、俺がその殻を壊そう。
俺の婚約者となったことで世界の全てに絶望し、世界の全てを否定し、拒絶するというなら、俺がこの手でその考えを捻り潰そう。
彼女のことは許せそうにないから。出来るだけ傷付ける方法で、彼女の全てを、綺麗で穢れのない逃亡の途を、破壊してやろうと思った。
事実、俺は彼女を傷付けてしか来なかったのだ。
けれどそれは何のため?
彼女のことが嫌いだったから? 確かにそれもある。逃げてばかりの彼女は、まるでこの世の不幸を全て一身に受けているという風に見えて、愚かだと思っていたのだ。逃げるしかない弱者の気持ちを、俺は推し量ることなど出来なかった。そのことに気付いてからは、俺は彼女を嫌いだと思うよりは、俺こそが愚かだと思うようになったのだ。こんな体たらくでは、王位に就いても兄と大差ない愚王にしかなり得ないと気付き、愕然とした。
だから、それは要因の一部にはなるけれど、足りない答えだ。
彼女の価値観を壊したかったから? これはしっくり来る答えだ。この世界を、この国を、周囲に在る全てを否定し、拒絶する彼女の価値観をぶっ壊したいとずっと思って、だからこそ彼女の心を守る砦《水晶の殻》を壊したのだ。せめて奥底にいた、傍観するだけの彼女自身を表に出したかった。感情がない人間なんていない。ただの人形になんてなれるわけが無いのだ。そうなったとしたらもはや廃人と言われるもので、そうなれば今度こそ戻っては来れない。けれど彼女自身は確かにそこにいるのだ。そこにいて、それでいて人形のふりをするなんて馬鹿なことをされては堪らなかった。無理矢理にでも抉じ開けて、どれだけ水晶の破片に傷付けられようが、現実に叩きのめされようが、感情の激流に翻弄されようが、彼女自身にこの世界を、国を、周囲を、知って貰わねばならなかった。
けれど、殻を壊した後も彼女を傷付けてきた理由にはなり得ないのだ。殻を壊すまでの理由はこれで納得できる。けれどそれからの理由としては、弱い。
なら、後は――?
そう考えに考えて、俺はまた呆然とするのだ。
簡単な話だった。最初に一目見て、俺は彼女の余りの白さに目を奪われた。華奢な肢体に相まって、恐怖すら感じるほど洗練された、俗世の穢れを何一つ知らない、白。透明な瞳は何もかもを見透かしているような不思議な輝きを反射し、サラサラと音を立てる白き髪は、様々な光を受ける度に美しく染まっていた。
そう。きっと俺は、既にこの時、彼女に恋をしていた。
だからこそ、その瞳が俺を映していないと知ったとき、あれだけ怒りを覚えたのだ。
ただ、それだけのことだった。彼女の“特別”に、なりたいというだけの。
「――だが、今更気付いたところで、何になる……?」
俺は顔を片手で覆い、自嘲気味に嗤った。
全てがもう、遅かった。
【愛を語るには、もう既に遅すぎた。】
読んでくださり、ありがとうございました。




