1:なにごとにも先達はあらまほしき
神帝歴45年――オーリ10年
終の月
シーマの話はとてつもなく長い。
因果をはっきりさせてくれと懇願してようやくややそのあたりが考慮される。
考慮してくれなければ延々ととりとめない話が続く。
しかし、嫁と話すときにその覚悟がない者はそもそも嫁と話し合うなどということばを使ってはいけない。
「どうせまたわからない、因果ガー因果ガーってつぶやくんでしょ?」
「いや、そんなことはないよ」と俺は答えた。
それ以外にどう答えるべきかわからないため、この質問はもはや鬼の所業である。
しかし、相手はこの世界でもっとも魔力と忍耐力の強い俺である。
鬼よりも神帝が怖いことを思い知らせてやろうと思う。
「正直ね、どこから話したらいいのかよくわからない部分もあるのよ」
「よくわからないことはないんじゃないか?」
「じゃあ、もっとはっきり言うと……そうね、どれがいつのことだが、正確にはわからなくなってるのよ」とシーマは言った。
「いや、待って。それじゃ遡行する意味がない」
「だいたい起こったり起こらなかったりするイベントは体感的にわかってきたから意味はある」
「体感的に?」
なるほどとてつもなく恐ろしいことばである。
「何回目なわけ、これ?」と俺は恐る恐る問いかけを続ける。
「5回目とも言えるし、何回やったかも覚えてないと言えるわね」
「どういうことだってばよ、それ」
「これ、意外と誤算だったんだけど、遡行しても正直、何年間もの記憶なんて正確に覚えてられないわけ。あなたは1回よね。それでももうだいぶ1回目のことあいまいになってない?」
「まあ、10年以上遡ったしな」
「それを何回か繰り返すともうわりとわけわからなくなるのよ。3回目であやしくて、思うようにいかなくて、4回目だともうほとんど混乱しか産まなかった。どれがどこの回で起こったのかなんて、私自身がほとんど覚えてないわ。壇ノ浦の戦いから承久の乱くらいまでのつまんない年号全部覚えるのとおんなじ。だから、カラダで覚えることにした」
さすがにここで妻がカラダで覚えるなどと言っていますとは言えない。
俺にだってそのくらいの常識はある。
「妻がカラダで覚えるって言ってるんだけど、みたいな顔し――」
「いや、思ってないけど」
「早すぎる否定は肯定だっていい加減学んだほうがいいわよ」
「とかく」
「逃げたわね」
「逃げさせてくれよ……」
「まあ、今回は多めに見ましょう」
このペースなら日が暮れるどころの騒ぎではないと思ったから話を進めたかったのであって、決して俺のダメな会話レーダーがいけないわけではないという主張が通ったことには喜びを覚えざるをえない。
「あとでまとめて請求するわ」
ひどい話だった。
「あなたにはない記憶で、私にだけあるものは結構あるのよ。だいたい100回くらい」
「ん?」
「なによ」
「いや、それ、シャレになってなくない? 何年かかるんだよ。むしろどんだけ対価いるんだよ」
「質問はひとつずつしてくれる? 言ったけど、私もいまロクな状態じゃないのよ。ステータスはマックスだけどSAN値ピンチを地で行ってるから」
「ああ、うん。じゃあ、どれだけ対価出したの、から」
「……あなたが思ってるほどじゃないわ。詳しくは対価だから教えられないけど、思ってるよりはずっとすくない対価しか払ってない」
「どういうカラクリ?」
「ちょっとは考えなさいよ」
「なら、このままいくとジビルガフには勝てるの?」
「いい質問じゃない。私の知ってるかぎりでは勝てるわ」
「勝ってたけど、やり直したから対価は低く済んだって話?」
「3割くらい正解。さすがに勝ってるってだけじゃ、キルシュリーゲンは納得しないでしょ?」
「……困難の分割?」
「ああ、響きだけ近いわ。コンサル臭くてイラッとするけど。私は5回目のループを分割した」
「分割」
「必ずループするようにしたのよ。100回分ね」
「でもそれ、101回目しか意味がなくない?」
「ノーね。100回の平均を5回目のループにしたわけ。ジャンケンの5回勝負みたいなもんよ。5-0だろうが4-1だろうが3-2だろうが勝ってれば勝ちよ」
「いや、よくわからない。だいたいそれってループって言うの?」
「ループはループよ。1回1回にさして意味がないだけで」
「なんでそんな選択になるのか俺にはさっぱりわからない」と俺は率直な意見を述べた。
もちろん、これはシーマの機嫌を損ねかねないような発言であることは理解しているが、さりとて俺は正直でありたい。
「言わば安全策よ。4回目のループはとてつもない大失敗だったわけ。さっきも言ったけど、もう3回目か2回目か4回目か、なにがなんだかわからなくなるわけ。先なんて読めるようで読めない。あまりに結果がランダムすぎるのよ」
「そういうもんだろ、この世界の時間遡行って」
「だから、賭けたわけ。多少ブレても平均でカラダが覚えていられるように」
なるほどどうしてそうなるのかわからなかった。
いや、正確に言えばその選択肢はいずれ生まれたような気もする。
その結果がうまくいかなかったら、だれがやるか、という話だけだ。
シーマは5回の遡行をうまくいかなかったから行っただけだ。シーマでなければ俺だったかもしれないし、イルやトゥーリやヴォーディだってやったかもしれない。
つまり、最初のペンギンは偉大だ。
「……効果はあったのか?」
「あったような気もするし、なかったような気もするわね。もうじき終わるけど、そのあとどうなったかは私にはだいたいしかわからない」
「待て。待って。それって大損じゃない?」
「そうでもない。比較的マシになったと思うわ。すくなくともあなたは死神にはならないし、ジビルガフも復活しない」
「それでも失敗もあったわけだろ」
「人生に失敗なんてつきものじゃない」
チートにかまけてうしろのほうで寝ていたペンギンになにか言えるようなことじゃないのは、俺だってわかっている。
俺たち、夫婦じゃないか、なんてクソみたいなことを言うつもりはさらさらないが、でも、なにかしらの、と思ってはしまう。
「……いま、たぶんジビルガフの勝ちがなくなったはずよ。90回くらいは勝ってるから、これは揺るがないと思う」とシーマは言った。
「どういうこと?」
「あなたがあれとここで会わなかったから、私が世界元首になることがなくなった」
「え? シーマが?」
「そう。私が」
「マジでか。俺どうなんの?」
「あなたは引きこもったり、死神になったり、ジビルガフと相殺されたりいろいろよ」
「相殺!?」
「ああ、まあ、なんかあれよ。引き分けみたいなやつよ。寿命勝負。とってもつまんないらしいわよ。寿命の関係で私は最後までは付き合いきれなかったからわからないけど」
「えー……」
「さすがにキルシュリーゲンが止めたもの。ダルすぎるから、って」
「いや、そんなのありかよ」
「あのカミサマ、結構恣意的じゃない? 気づいてなかった?」
「いや、まあ、気づいてはいたけど」
「ギリギリの勝負が続いてたら、なんとか飽きずに耐えてくれるけど、だいたい100年くらいで飽きるのよ、あれ。子供たちが赤ん坊のときに、ミルクを飲む集中力が保てない、みたいな時期あったでしょ。あ、あなたはそんなにいなかったからわからないかもしれないけど。あったのよ」
「まあ、なんと言っていいのか」
「だいじょうぶよ、もうすでにこのループは飽きてるからどうでもいいみたい。些細な会話まではマークしてないわ。さっさとループの外に出んかおんしら、って」
「ああ、うん」
そっちか、と俺はちょっと安堵する。
子育てについて完全にイニシアティブを握られている絶対神帝、俺です。
「さすが絶対神よね」
「で、いつ終わるのこれ」
「もう終わるわよ。正確に言えば私が巻き戻したところまで、あとひとつのイベントで終わりよ」
「なにがあるわけ、このさき」
「まあ、その前にいろいろ話すことがあるわけよ。ここでもあなたに真実を話したって履歴は残しておきたいの。やり始めたのが途中からだから、どれだけあなたの記憶が引き継がれるかわからないけど」
「100回の平均だから?」
「そうね、そのとおり。これまでの20年くらいは平均値で確定するはずよ」
「それ、齟齬起きないの?」
「起きるわけないわ。ループの元凶は絶対神よ? カミサマ舐めたら怒られるわ」
なんだかもうシーマの言っていることが俺にはほとんどわからず、いや、わかりはするが、イッサイガッサイすべてわからないフリをしたいとそう思う。
Ignorance is bliss.
ことわざだってたまにはいいことを言う。
「俺はもうなにかを言うたびに的外れになる気がするよ」
「まあ、言ってみればこの世界はあなた中心のはずなのよ。厳密にはあなたとジビルガフ中心ね。わあ、気持ち悪い」
「いや、さらっとディスらないで」
「でも、その世界の中心であるはずのあなたは、なぜかいま世界の中心から外れてるわけ。ジビルガフに至ってはほとんどカヤの外だし」
「それももうじき終わる?」
「それはね。そのあと抜けた世界でなにが起こるかわかったもんじゃないけど。こんどはトゥーリ中心の世界になるかもしれないわね」
我が名は神帝オーリ。
この世界でもっとも優れていながら、現状なぜかこの世界の中心ではない。
とかなんとか言っておけばそれっぽくシメられるような気もしている。
だってまあ、俺が知らなくても知っていても、ループは終わるわけだし。
と言えるほどに俺は無責任ではないので、
「とりあえず、俺はなにを知ったらいい?」
「意外と素直ね、このループだと」とシーマは悪そうな笑みで言った。
「地雷原歩いてる気分だよ」
「いつものことじゃない」
たしかに。
「まあ、いいわ。これ以上いじめても時間のムダね。さいしょにルールだけはっきりさせておいてあげるわ。100回ループしてあなたは1回も気づかなかったけど、さいごだから特別に教えてあげる」
「え、99回は言ってないわけ?」
「それはそうでしょ。言ったら私の優位が揺らぐじゃない」
「ひどい話だ!」
「優位に立ってなにがしたいのかしら? いつだったかしらね。俺はハーレムだ! ハーレムが作りたいんだ! とか言って5年くらい放浪したのは。あれで私は気づいたのよ。ああ、あなたにチート持たせてたらロクなことにならない、って確信したのは」
「待って。それ、俺じゃない」
「あなたよ。いつだったかは覚えてないけど」
「いや、待って。今回の俺じゃない」
「ああ、それは正確ね。でも、あなたよ」
不条理すぎた。
ループなんてするもんじゃないと、懸命なる諸兄に伝えおきたいと思う。
「まあ、それもまとめてあとで精算ね」
「いや、待って。それはおかしい」
「そもそも時間遡行なんてのがおかしいのよ。いや、異世界転生からおかしいけど」
「それを言ったらオシマイだ」
「あなたはただ私に精算されてればいいの。簡単じゃない?」
「簡単じゃない」
「まあ、いいけど。じゃあ、さらっと教えてあげるね」とシーマはさらりと流せないことを無理やり流して閑話休題した。
いや、もう俺だってなにか言いたいが、俺に記憶がなくても俺がやったことなので、それはもうなんというか、あれだ。
「ごめんなさい許してください」
「うるさいわね。話が終わらないでしょ」
「えー……」
「あなたはたぶん、転生者だから自分が不死身だと思ってない?」
「えっ!? ちがうの!?」
「ちがうわ。ジビルガフはもう死ねない。あなたはあと4回死ねる。トゥーリとイルとヴォーディとシューゼンが1回ずつ。私は6回。私が知る限りでは、ね」
「……命以外のものを消費している、ということ?」
「そのとおり」
「いつから知ってたわけ?」
「あなたを最初に殺したときよ」
さらりと衝撃的な発言だった。
不死身じゃないなら、簡単には死ななかったんですけど、みたいな悲しいことばがあたまをかすめる。
なるほど、俺の弱体化の原因がここにあった。