3:魔法の実験と実践をする4歳児、そう俺だ
ダニア歴207年――神帝歴5年
だいたいこの世界における魔法とはそんなものらしいということを把握したあとは、ひたすら試してみて、実用することを繰り返すだけだった。
3歳、4歳の2年間、俺は実践と実験に時間を使った。
だが、実践を繰り返すうちに、魔法が無尽蔵であるのではないかという疑念が湧いてきた。
たしかに魔法をたくさん使うと疲れる。
疲れはするが気合でなんとかなるレベルだし、どれだけ疲れてももう魔法が出ないというようなことはなかった。
「魔法が使えなくなる? そんなことってあるのかしら」とルーナは言った。
「聞いたことがないな。たしかに疲れるが……すまんな、オーリ。父さんではわからない。だいたいそういうことも大学がなあ」
「もう、オーリの前でそんなこと言うのはやめて」
「でもさ、ルーナ。オーリは――」
「ダメよ、ミークス。オーリは賢いんだから」
とまあ、結局はマジックポイント的なものの存在はわからなかった。
を使ったり、特性をたくさんつければ疲れる。疲れるが、疲れをなんとか我慢すれば強い魔法は使えるし、細かく特性もつけられる。
体力はあるが魔法が使えなくなるということはなかった。
おそらくヒットポイントとマジックポイントが共通なのではないかという仮説はたったが、これは確かめるすべがおそらくないので仮説のままだ。
実践を繰り返していくうちに微妙な手加減は可能になってきた。
全力の初級攻撃魔法と手抜きの中級攻撃魔法はどれだけやっても手抜きのマイドのほうが威力が高い、みたいな検証も徐々にしていった。
魔法についての理解は実践を経て順当に深まっていったと言っていいだろう。
相変わらず両親は俺にどこか怯えているようであったし、まったく友達はできなかったが。
まったくできなかったけど理解が深まったので、よしとした。
ぼっちじゃない、自発的な孤独だと思うようにした。
虚しくはない。ただ俺が強すぎるだけさ、みたいなそんな感じだが言えば言うほど悲しくなるのでここらで止す。
さて。理解が深まるということは同時にわからなくもなるのだという哲学的な問いを投げかけてみてもいい。
たとえば俺が生後2日で放った魔法がなんであったのか。
コスマウルが焼け焦げていたのは事実なので、ウィッカーに火の属性がついた焼き焦がす翼かもしくは火のバニラではなかったのだろうかという推察が、一般的には成り立つ。
ただし、これはことわりに則しているようで則していない。
これは両親で典型的な意見が割れかたをしていた。
火の神の祝福を受けていない俺が火属性を使うことはありえないというのがミークスの主張で、この子ならあるいは祝福なんていらないのかもしれないというのがルーナの主張だった。
あれは余のウィッカーだ。
いや、厳密に言えば特性が付いているためにウィッカーではないが、一般的な名前はないのでなんと呼んでもいい。まあ、余の最弱魔法だと言ってみたかっただけだ。
まあ、結論を言えば、あの魔法に火属性がついていることはありえない。
いかな俺でも火の神の祝福なしには火属性の魔法は使えない。俺は神々の祝福を大学に入ったのちに受けたので、誕生直後はもちろん、この当時も俺に火属性の魔法は使えなかった。
祝福を受けていないのに火属性の魔法を使えることはことわりに反する。
だからあれは余のウィッカーだ。
これは両親には言わなかったが、特性として「高温」を付け加えられる。
特性は魔術師の才能次第というのは前に言ったが、特性を魔法につけるのに祝福みたいな特別な契約は必要ない。
ここは解釈の難しいところではあるが、炎そのものは火の神の祝福を必要とするが、高温になるだけならば祝福はいらないということだ。
そもそも火の属性をつければいいだけなのでほとんど必要とは言えない特性だが、可能と言えば可能なのだ。
だからこの件についてはルーナのほうが一般的な誤解で、ミークスのほうが正しい。
魔法は解釈に自由があるようでいて、じつはない。そこが俺は好きだ。
逆に言えば経験があろうと魔力があろうと、ことわりさえ理解していればなんとかなる。
魔法は嘘をつかない。
おかしな結果が得られたときには、間違っているのは100%魔術師のほうだ。
ことわりに反したことは絶対にできないし、ことわりの範囲内のことならば誰がやっても同じ結果が得られる。
魔法に個性があるように見えるのは、それを使う魔術師のことわりへの理解がまばらなだけだ。
ちゃんと理解していれば、ちゃんと応えてくれる。
ただその理解が単純に難しい。誰も答えを教えてくれないからだ。
つまり魔術師として力をつけるためには、教育が不可欠だった。
「オーリ、あなたはそのうち魔術大学に行くほうがいいわ」とルーナは言った。
「母さんには教えてもらえないの?」
「ええ、私やミークスではあなたの才能を伸ばしてあげられない。だってもうあなたのほうが優秀な魔術師なんですから」
「魔術大学にはもっとすごいひとはいる?」
「たぶんいると思うけど、私が昔会った魔術大学の先生よりはたぶんあなたのほうが魔法をうまく使えると思う」
「そう。なら行ってみる」と俺は子供らしく答えておいた。
弱小国ロッソアのさらに辺境の村アドレルでの理解に基づいて俺が認識した魔法論と実情は、まったくちがう可能性があった。
むしろ俺はその線が濃厚だと考えてすらいた。
アドレルでの教育レベルはたかが知れていて、あきらかに俺のチートスペックには似つかわしくはなかった。
それは教育というよりは、迷信や思い込みのたぐいだった。
たとえば村には、魔力は使うほどに上昇していくのではないかとする説があったが、持って生まれた才能がすべてとする説もあった。
たしかに慣れれば慣れるほど疲れにくくはなったし、しばらく意図的に使わないでいると疲れやすくもなった。
かと言って、使わないでいても魔法の威力自体が目に見えて落ちるということはなかった。
なぜ慣れるほど疲れにくくなるのか。
なぜ使わないでいても威力は変わらないのか。
そういったことに対する答えをこの村の大人は持たなかったのだ。
もちろんそれは弱小国ロッソアの管轄の大学に行ったところでたかが知れているとは思ったけれど、比較の問題で多少はマシなのではあるだろう
なにより、ルーナやミークスがそれを望むならそのくらいは彼らの息子として叶えてやりたくもあった。
総じて言えば、この世界において魔法は技能なのである。
わけもわからず使い続ける者もいれば、体系建てて理解してから使おうという者もいる。
使うのがうまい者もいれば、下手な者もいる。
そういうことだ。
とまあ、難しいことを言ってみて、決意新たに魔術大学に行くのだ、と4歳の俺が思っていたかというと、べつにそんなことはない。
もちろん、俺の強大すぎる魔法は両親を相変わらず悩ませ続けていた。
俺だってせっかく転生したのにこのままアドレルでちょっと魔法が使える農夫で終わりたくもなかった。
その一方で、ビッグになりてえくらいで、特定の目的を持たない転生者の俺は魔術大学に行く明確なモチベーションにはやや欠けていた。
そこにいったからどうこうなる話でもなさそうだったからだ。
そう、4歳の俺には目的がなかった(まあ、当たり前のような気もするが)。
したがって、両親は困り果ててなんとかしたいと思っていたが、俺は魔法の実験のあいまに、実践と称して日々コスマウルと山賊を狩り続けた。
単純に言えば遊んでいた。
俺にとってコスマウル狩りは楽しい遊びでしかなかったのである。
山賊はもちろんわかりやすい悪なので、いくら狩ってもよかったが、なかなか辺境の村には山賊も現れないので、それほどはかどったわけではない。
となるともっぱら犠牲になったのは罪なきコスマウルである。
コスマウルは高く飛ぶし、なにより懐かないので罪悪感がまるでなかったのだ。
ちなみに肉は固く、強烈なケモノ臭がするため食料としてはたいして優秀ではなかったので、コスマウルを狩ることは決して推奨されたことではなかった。
ただし。
実験やミークスの上申よりも、この俺の無邪気な狩りが俺の立場を変える直接の原因になった。