3:震える夜が来る
神帝歴41年――オーリ6年
半の月
夜の荒野にひたすらに悲鳴が響いている。
――俺の。
懸命な諸氏であればこう思うだろう。
いつものことじゃないか、と。
そう、いつものことだ。
だから、この痛みも、ショートカット可能に決まっている。
シーマは俺をいつものように攻撃しているわけだし、もちろん俺だっていつものように逆さ吊りされているだけなのだから、痛くないし、苦しくないし、つらく――ないわけないだろ!
いいか、いつだって苦痛はショートカットできたりなんてしない。
毎日という共通項で苦痛はくくり出せない。
俺にできることと言えばレイプ目で遠くを見つめることくらいだ。
毎度のことだが完全に俺が悪いので、被害者ぶってみたらなんとなくシーマは早めに許してくれないかなあという打算にまみれた視線である。
突然だが、話は数時間前に遡る。
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シーマがルーファーを産んで10日ほどが経っていた。
これも3回目とあってはいつものことと言えるかもしれないが、嫁の傷に対しての回復や耐性はチートである。出産とて例外ではない。
翌日には公務に戻るという超人っぷりである。
むしろ俺のほうがルーファーと遊んでいる。
半の月だということを忘れるかのように。
半の月。
1年のちょうど真ん中で、通常40日ある1ヶ月が20日しかない特殊な月。
すべての冠婚葬祭が一挙に集中する世界全土が忙しい月だ。
そのコアタイムを、俺は遊んで過ごしてきた。10日ほど。
「とにかく、さっさとメカリアに行きましょう。どうして産んだシーマがメカリアに戻ったのに、あなたが息子と遊んでるんですか」とトゥーリ。
たしかにごもっともだが、俺だって引くわけにはいかない。
メカリアのクムズポートから遠く離れた(と言って、俺なら数時間あれば行けるが)ヤポニアで、俺はまだすることが残っているのだ。
「ルーファーと思いっきり遊べるのはいましかないんだぞ!」
「いつでも遊んであげればいいでしょう。ハーレムだのなんだのと言ってる暇があれば。再来月あたりは時間がとれると何度言えばわかりますか?」
「いまなんだよ、再来月の10日よりも、いまの半日なんだ」
「ということを10日間言い続けているわけですよ、オーリ、あなたは」
「だいたいいま混んでるだろ、神留地は。取り次いでもらうだけで貴重な1日が終わるぞ」
「あなたはフリーパスでしょうが。とにかく建国したので神々の承認がいるんです。国家元首と神帝が行く必要があります」
「来月ではダメか? 今月は金行神が忙しいから怒るんだ。よりによって、受付月に祝福までしてやることはない、とかなんとか」
「ダメです。今月中に終えます。もう限界です。いますぐに神留地に出発します」とトゥーリは急かしてくる。
とは言え、俺にだって事情はあるのだ。
「……シーマと会うことになるだろ?」
「それはそうですが、やむを得ません。私も同時に怒られます」
「やっぱりみんなで行ったほうが……」
「ワイゼンのときにそうしましたが、結果大聖堂を壊したでしょう? 意味がありませんから。それなら私とあなただけでいい」
そう、つまり三男ルーファーをヤポニア技術国王子とするため、最高議長のトゥーリの養子にするという話である。
これこそ、3回目だからと言ってシーマが怒らないわけがないのであった。
「ほんとに行く?」
「どうしてもと言うのであれば、養子をやめても構いませんよ。国を継ぐだけなら血縁がなくともなんとかなるでしょうし、いまはエーヴィルやワイゼンのときほどの危険もありませんから、あなたの実子でもどうにかはなります」
「いや。最善の策をとろう」と俺は言った。
トゥーリはすぐにこうやってマジメに説き伏せてくるからタチが悪い。
かくして俺は気乗りしない中、魔法で高速移動した。
通常であればリゾート地の中では唯一閑散としている神留地にひっきりなしに来訪者がある。
逆にいつもひとでごった返しているビーチや街中にはひとがまばらだった。
神々はいつもならひとと会ったりはしないので神留地はひとの立ち入れない土地なのだが、半の月だけはちがう。
半の月、神は意外と簡単にひとに会う。
長蛇の列を横目に、俺とトゥーリは神留地に入り、入り口でブチ切れている神を発見した。
金行神はブチ切れながら民の対応をしていた。
とてつもなく忙しそうである。
国を作ったときにどの神に祝福をもらうかというのは難しい問題で、メカリアはすべての神を信仰するという観点から祝福を受けていないし、ロッソアは建国のときには職人が多くいたため火行神、ルーポラが国だったころは、木行神の祝福を受けていた。
そして、技術による立国と、議会による運営を掲げているヤポニアは「冷静と向上」の神金行神に祝福を受けるのが似つかわしい。
なので、どれだけサクサが忙しくても仕方ない。
サクサに祝福を与えてもらう必要がある。
「なんなのさ! な・ん・な・の・さ!」とサクサが叫ぶ。「どうしてこのクソ忙しいときに国なんて作るんだよ!」
「むしろロッソアを終の月に建国したことがイレギュラーだ」と俺は言った。
サクサはジタバタと地面を悔しそうに踏む。
金髪で背が低く、まったくと言っていいほど胸はないので、どれだけ体を揺すっても揺れない。
レグラに「胸なかずんば女神にあらず」と形容されるほど胸はないのだ。
もちろん、女性の価値は胸部では決まらないので、とくに俺が言うことではないが、まあ、基本的にサクサは子供だと思えばそれでいい。騒がしい「冷静と向上」の神である。
あとは金行神だからかは知らないが、意外と守銭奴だ。
でも、普段は怠惰なだけの「冷静と向上」の神である。
つまるところ、俺が知る限りではこいつがもっともふたつ名に見合わない。
「いいさ! いいさ! 譲るよ、わたしだってわかってるさ! そういうことだろう! そういうことなんだよ! でもさ! なんでおまえんとこに子供まで生まれるんだよ!」
「それは自然の摂理だ」
「計画的な家族計画しろよ! 無計画すぎるだろ!」
「愛のかたちに計画を持ち込むなんてなんて無粋な神だ」
トゥーリはいいからさっさと祝福を与えよ、国を認めよ、というようなオーラを部屋の隅から出している。
視線が痛い。
たしかに祝福は大事なイベントだが、それよりもこのあといかにしてディジルドにいるシーマをなだめるか、というさらなる大イベントが待っているのだ。
時間はいくらあっても足りない。
ファミマの音が鳴る。
インターフォンだ。
「ああ! また来た! 来すぎなんだよ! どうしてこんなに来るんだよ!」
「そりゃ、おまえらが会ってやるからだろ」
「そんなタマゴかニワトリな話をしてるんじゃないんだよ! あー、もう!」とサクサは叫びながらインターフォンをとる。
「また木行神か! おっぱいか! わたしにおっぱいがないからか!」と2秒後にはインターフォンに叫び散らすサクサがいた。
「取り次ぐ。中で待て」と俺がインターフォンを代わる。
ぶっちゃけて言えば、月の担当の本来の役割は寝ないこと。それだけだ。
訪問者(あるいは信仰者)の対応だとか、人間側への対応はなんとなくついでにやっているだけで、ルールなわけではない。
通常はたいして来訪者もなく、むしろ会ったら喜ぶくらいの神までいるが、サクサだけは例外だ。
こいつの担当月は半の月である。ひっきりなし、20日間のあいだ絶えず来訪者がある。
とかく、半の月は全世界から神留地へ民が足を運ぶ。
ひとり捌いたと思ったら、またファミマ。
「なあ、サクサ。今月だけでもこの音やめたほうがいいんじゃないか?」と俺は言ったが、サクサは哀れみを込めた目で俺を見た。
もちろん、俺はすぐにその憐憫の意味を知る。
隠しきれぬほどの殺気を抱えた我が嫁シーマがそこにいた。
「聞いてくれるか、そういえば今日思い出したんだが、ルーファーが生まれる前にな、キルシュリーゲンさまが現れたんだ! そして、この子は天才だと。すぐにことばを話せる天才だと確約していった!」と俺が嬉しそうに語ったが、シーマはそれほどでもなかった。
「そうなの。よかったわ。早く話せるようになるのね」とシーマは言った。
「不満?」
「いえ。そうじゃないわ。早くお話できるのはいいことよ。その裏でキルシュリーゲンさまがなにを望んでいるのかは知らないけど」
「それもなんか言ってたんだけど、心当たりあるの?」
「心当たりはないわよ。そうだったら嫌だなあ、って不吉な予感はあるけど」
「なに?」
「言わない。言ったら本当にそうなりそうだから、誰にも言わないって決めてる」とシーマは言った。
なんとかごまかせたみたいだ。
言ってみるに限る。
誤魔化せそうもなかったけど、いけるときは案外カンタンに――。
「ところで悪いんだけど、ちょっとこれを被って欲しいの」とシーマは言った。
「なんだろう?」と俺は笑顔で受け取る。
「プレゼント。鏡の前に立って、あ、そうそう。それで手をうしろに回して、目を閉じて」
「手を……うしろに?」
「ええ、そうよ。手をうしろに」
「そ、そう。手をうしろにね」
「早くして、神留地のみなさまにご迷惑でしょう?」とシーマは笑顔で言った。
「で、でも、なんで……」
「あなたを驚かせたいのよ。目を開けたらびっくりするから」
「びっくりしなくても、充分にうれし――」
「早くして?」とシーマは言った。
やむを得ず俺は目を閉じ、うしろに手を回した。
当たり前のように強固な土魔法による手錠がかけられる。
ちょっと破壊に骨が折れそうな、というか破壊しようとすると骨が折れそうな錠だった。
「ね、ねえシーマ。なんだか、すでに驚いてるんだけど、俺」
無言で視界がなくなる。
最近はやりのファッションというやつかもしれない。
後ろ手に手錠、頭から黒頭巾。
どこで流行っているのかはさっぱり俺にはわからないが、俺の嫁が流行っていると言っているのだからそうだと思わざるをえない。
生活は盲目的であったほうがうまくいく。きっとね。
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そしていま、俺はよくわからない荒野で悲鳴を上げている。