Redundant2:さぼってるわけじゃない、見守ってるんだ
神帝歴50年――オーリ15年(シーマ3年)
継の月
なぜこうなってしまったのか、俺には皆目検討もつかない。
波音が遠く聞こえる。
潮騒。
言ってみると存外カッコイイ単語の上位に位置すると言っても過言ではないだろう、潮騒。
つまり、夜の海沿いはなかなかいいものだ。
潮騒の聞こえるバルコニーに酒の入ったグラス。
神留地の酒蔵から持ち出して来た酒は、メカリア産の酒だ。
オレンジジュースとワインと中間ややオレンジジュース寄りくらいの味で、男の飲み物じゃないと揶揄されるくらいのアルコール濃度ではあるが、元の世界でさして酒を飲む機会もなくこっちに転生した俺にはこのくらいで充分だった。
酩酊はステータス異常なので、好き好んで得るようなものじゃない。
でも、ほどよい酒もまた、なかなかいいものだ。
「なあ、俺、もう2年もここにいるんだけど」と俺は風の神に言った。
ひとりごちるにはあまりにつらい現実だったからだ。
この2年、基本的に俺は神留地の入り口で過ごした。
眠たくなったときや今日みたいにひとりになりたいときは、適当にフレアムかホアソンの部屋に行った。
決してハーレムをしようとしたわけではない。
フレアムはともかく、ホアソンはワイゼンと旅をしてくれていたので、この4年くらいは留守がちだったのだ。
まあ、世界を旅しているとは言え、4、5日に1度くらいはなんだかんだと神留地まで高速魔法で戻って来ている(ホアソンはあまり眠らなくてよいので、ワイゼンが寝ているあいだはヒマらしい)ので、実感はまるでなかった。
加えて、受付担当の月はフレアムがホアソンと交代してワイゼンと旅をしていたので、先月はホアソンは毎日神留地にいた。
そして、一昨日、初の月が終わり、ホアソンは40日ぶりに1日半ほど眠った。
その寝起きに俺はホアソンの部屋にお邪魔して潮騒に酒を嗜んでいた。
指一本触れずに。
まあ、なんたるジェントルか。
「2年も耐えず懲りず悪びれずに忍び込み続けて、手を触れないとはもはやなにがしたいのかわかりませんね」とホアソンは言った。
「嫁に言わないでいてくれるなら、いますぐ触れるが?」
「ありえないでしょう」
「ですよね」と俺は言った。「にしても、もう2年か」
「2年過ぎましたからね。ちょうど2年前の我の担当月にあなたは息も絶え絶え落ち延びてきたのですよ」
「ちょっとした夫婦喧嘩です」
「そのわりにはそれから2年も引きこもっていますが」
「しかし、なんでジビルガフ、なんにもしてこないんだろうな。俺がいないんだから、あいつがなんかしてくると思ったんだけど」
「都合が悪くなるとすぐに話題を変えたがるのは褒められるものではありませんが、まあ、あなたにはそもそも褒めるところがありませんからよしとしましょう」とホアソンは冷たく切り捨てた。
「いや、だからジビルガフだって。2年のあいだ、あいつもなにもしてきてないんだぞ?」
「我はキルシュリーゲンさまではないから、そのあたりのことはわかりません」
「それならさー、なんでこんなことになってるんだと思う」
「ああもう!」とホアソンは苛立って言った。「話題がころころころころ。あんたどうせそんなのどうでもいいんでしょ? わたしも寝起きだし、もう帰ってってば。お酒なんて飲んでるんだから、キルシュリーゲンさまは会わなかったんでしょ」
ダメ亭主に文句を言うみたいな辛辣なことばだが、まあ、だいたい図星なので黙っている。
帰れ帰れとこの2年ずっと言っているが、ホアソンがシーマに知らせていないから俺はのんびりバカンスをしていられるのだ。
つまり、ホアソンは結構いいやつだ。
俺は息子に襲われて返り討ちにしたら、嫁にボコボコにされ、命からがら神留地に逃亡した。
そのあと2年ほどここから出ていない。
この世界における立派な引きこもりになったのだと言ってもいいだろう。
「どこに帰れって言うんだよ」と俺は言った。
俺が引きこもり逃亡したあとのシーマを中心にした政権は非常に円滑に回っていると言っていい。
メカリアもロッソアもヤポニアもなんの問題も聞こえてこない。
エーヴィルは俺を襲ったからオルドラで謹慎状態らしいが、その謹慎も近々解けるのではないかと言われている。
もはや俺がいてもいなくても大差ない。
これでまあ、心置きなくハーレム三昧だと、これが俺の望んでいた異世界ライフだ――というふうにうまくいくわけもなく、もはやチートと言えばチート……かもしれないですね、くらいの力しかない俺には、無双して楽しくハーレムなどできない。
そんなウワサが聞こえた瞬間にシーマに捕獲されるに決まっている。
定期的にさっさと帰って来いと連絡をしてくるが、強制帰宅はさせられないので、まあ、なんだか面倒だという空気は嫁も感じているのだろう。
まさか異世界に来てチートしてハーレムできなかった、主に人間関係で、みたいなひどい展開になるとは俺も予想すらしなかった。
「まあ、そう落ち込まなくてもいいじゃない。その気になればここにあんたは住めるんだし、1年だろうと2年だろうと居候すればいいんじゃない? 中途半端であんたらしい。いつまでも決めきれないのに適当にわたしの部屋に来ないで欲しいとは思うけど」とホアソンがフォローのようなものをしてくれる。
励ましているのか焚きつけているのか愚痴っているのか妬いているのかよくわからないことを言ってしまうあたりが、ホアソンである。
これはもしやホアソンからやはりハーレム序章は始まるのではないのかとほのかな期待に胸とその他をやや膨らませたところで、無粋な声がした。
「オーリ、いるか?」と火の神がホアソンの部屋に入ってきた。
夜に女神の部屋を訪れるとは、見下げ果てた勇猛と秩序の神である。
もしホアソンが寝ていたらそれはもはや事件だ。
女神の寝室に入ることは紳士じゃない。
俺はもちろん紳士じゃなくていい。
「まず、勝手に入り込むのはおやめなさい、フレアム」とホアソンはすぐにカミサマぶった声で抗議する。
「我はフレアム。勇猛と秩序の象徴、火の神フレアム」と火の神は言った。
「左様なことは先刻承知。我はそんなことを聞いてはいません」
「この秩序の神・フレアムが神留地において不貞の兆しを感じとり参じたまで」
「誰が不倫ですか!」とホアソン。
「肉体にまでは言及しておらん」
「いいでしょう。どうやらどちらかが神の座を降りる日が来たようです」
「まあ、落ち着いてくれよふたりとも」と俺は言った。
「おまえが元凶だ! 2年も居座ったりするから悪い噂も立つんだ。さっさと出ていけばいいのに!」
「そんなこと言うけど、夜はちゃんと自分の部屋に帰ってるだろ。誰にも手を出してないし」と俺は言った。
「当たり前だ! バカ!」
いや、たしかにこれは完全にダメなおとなに見えるかもしれない。
非常に遺憾ではあるが俺にはそれを否定する術がない。
息子に暗殺されそうになり、嫁にボコられ、仲間からは行方不明扱い。
なんでこんなに悲惨な目に会わなくちゃならないのかよくわからない。
オマケにチート的な力もさして回復せず。
おかしいぞ異世界ライフ。
どこから狂った異世界ライフ。
「なあ、シュイン族の平均寿命ってどれくらいだ?」
「知らんな。ただ長命だと聞いたこともない。5、60年というところであろう」とフレアムは言った。
「オーリ、あなたはもうすこし話の流れを気にしなさい」とホアソンは呆れているが、もちろん俺がその程度の呆れにへこたれるようなら、こんなところにいない。
「なあ、もしかして、俺の肉体的寿命で力が戻らないんじゃないか?」
「ありえません。我の知る限りにおいては、神の資格を手にした者が老衰したことはこれまでいちどもありません」
「さすが600歳」
「いまのあなたは我より数段劣るということをお忘れでは?」
「転生者同士では死なないことをお忘れでは? ここに住んでいるわけでもなし。殺されたところでたいした問題ではありませんな」
「いいでしょう。意味はなくとも腹いせ程度にはなります」とホアソンは手で輪を作った。
迅速な攻撃態勢である。
なるほど。
しかし、腹いせと言うが、俺に頭に来て俺に攻撃するわけで、それはあまり腹いせ要素がなく、むしろただの説教ではないのかと俺は思うが、まあ、黙っておいたほうがいいだろう。
「……ごめんなさい」
「わかればいいのです。たとえ神でも女性に歳のことをあけすけと言うものではありませんし、だいたい600年も生きてません」とホアソンは言った。「……あと、何度も言いますが、あなたの力が戻らないのはキルシュリーゲンさま以外の誰にもわかりません。そして、キルシュリーゲンさまがまだ時ではないとおっしゃる限り、なにも我らには言えません」
「そうだな」とフレアムもいつもどおりになんの役に立たないことを言った。
「それで、あなたはなんの用です、フレアム。この浮気者を引き取りに来たのなら、さっさと持って帰ってください。これがいるせいで我はゆっくりと寝てもいられない」
「そちはそんなにホアソンのところに入り浸っているのか?」とフレアムが俺に訊いた。
「人聞きが悪いぞ。単純にこの部屋のバルコニーが気に入っているだけだ」と俺は述べる。
だいたいひとを見ればすぐに女の子を狙っているみたいな解釈をするのは不名誉極まりない。
異世界に来てから50年近く、不倫も不貞も2時間ご休憩アヴァンチュールすらもない。
そんな俺に悪いウワサが立つこと自体がお門違いだ。
「我の部屋も火行神の部屋もみなつくりは同じだ」とフレアムは言った。
わかってない。
こいつは秩序に脳を侵されているのだ。
まるでわかっていない。
たとえ神留地の神の部屋(というか、まあ部屋というよりは建物だが)がすべて同じつくりであろうとも、ニオイが違うんだよ。
ホアソンの部屋はニオイが違う。
ベスカの部屋のニオイを「夏の夜の思ひ出」とし、アウロリーテの部屋のニオイを「真夏の清涼感」とするならば、ホアソンの部屋は「初夏の鼓動」である。
これはもう同じだなんて誰も言えないはずだ。
「嗅ぐな! このクソ浮気野郎!」ともはやフレアムの前でも素を隠しきれずにホアソンは叫んだ。
「嗅いでないぞ、俺は初夏の鼓動を感じただけだ、自意識過剰エルフ」と俺は理路整然と説明した。
「全力でアウトじゃない! もう最低! もうホントにキモいんだけど! その表現がホントに最低!」
「だいじょうぶだ。俺は満足している」
「……もう帰ってよ! これ以上いるとシーマに言いつけるからね!」
「待てよ、ここで嫁の話は反則だろ」
「わたしはあんたの2号じゃない! 誤解を招く表現をするな!」とホアソンは言った。
「……我は席を外そう」とフレアムが言った。
「待て! 外さないで! わけがわからなくなるから!」
「ホアソンよ、そなたは帰れと言ったり、居ろと言ったり忙しないな」
「タイミングよタイミング! っていうか、だから、そもそも、あんた、なにしに来たのよ」とホアソンは強く区切って言った。
「ああ、そうであったな。オーリの息子の旅が終わったから父やそなたに会いたいと言うので、入り口で待たせておるぞ」とマッチョはこともなげに言った。
こともなげに言ったが、そう言えばこいつはいまホアソンと交代でワイゼンといっしょに世界を旅していたのだったということをふと思い出した。
「早く言いなさいよ!」
「そなたらが痴話喧嘩を始めたからであろう」
「痴話喧嘩じゃないから! そもそも旅を終えるなんて言ってなかったわよ、ワイゼンは」
「……まあ、ちょっと事情があってな」とフレアムは歯切れ悪く言った。
「まあ、とにかく、迎えに行くか」と俺は冷静に言った。「入口のところだろ?」
と俺はホアソンの部屋を出ようとしたとき、
「心配はいらんぞ。連れてきた」と水の神が言った。
うしろにはワイゼンがついてきていた。
「久しぶり、父さん」とワイゼンは言った。
本当にひさしぶりだった。
12歳。
大きくなった。
ひと回り……いや、ふた回りくらい大きくなっている気がする。
俺がここに引きこもってからは年に数度しか会ってないんだから、まあ、そう感じるのはそうだろうと言われればその通りだが。
「ワイゼン」と俺はワイゼンを抱きしめる。
12歳の男児はなかなかの重みがありそうだった。
体がなんだか思ったよりもゴツい。
子供だが、もう幼い子供ではないのだと暗に主張しているようだ。
「しっかり食ってるみたいだな」
「ディジルドの大聖堂にいたときよりは食ってるよ」
「元気そうでよかった。楽しかったか?」
「まあ、そうだね。未亡人にもたくさん会えた」とワイゼンは言った。「ホアソンはすぐ怒るけど」
まったく元気そうだった。
「誰がすぐ怒るの?」とホアソンは言った。
「いやあ、これはホアソンさまもおひさしぶりです」とワイゼンは頭を下げた。
「ああもう、ひと月ぶりに改めて見てみると相変わらず父親に似ていますね、あなたは。我はあなたと旅を始めたころから母のようになれと言ったはずですよ」とホアソン。
「母さんに似てもロクなことにならないと思うけど」とワイゼンは反抗期っぽいことを言った。
まあまあ、と俺はなだめる。
ワイゼンが旅に出た理由はだいたい100コくらいあったらしいけど、俺はエーヴィルが好きではないという100コあったうちのいちばん聞かなくてもよさそうな理由のみを聞いていた。
「それでこのあとはどうする? クムズポートに泊まるか? もしくはオルドラに戻るか?」
「まさか。このままディジルドに戻るよ。魔法を使えば、今日中には戻れる。もうオルドラには2度と行かない」
「まあ、エーヴィルだってな……」
「あのマザコンはもういいよ」とワイゼンは不機嫌そうに言った。「それより父さんには伝えておかなくちゃいけないことがある」
「どうした? おまえの性癖はちょっとまだ父さんは認めてやれないけど――」
「父さん、母さんは不倫しています」とワイゼンはとんでもないことを言った。
「いやいや、バカを言うな」と俺は言った。「言っていいことと悪いことがあるぞ」
というかこういうドラマツルギー的にひどいヒキの前です、みたいな唐突なリークにはなにかウラがある。
フラグのニオイってやつだ。
初夏の鼓動の部屋で無粋にもほどがある。
シーマに限ってあるわけがない。
そんなことは、どれだけ険悪なムードであっても、倦怠期であっても、意見のスレ違いでケンカをしていてもあるはずがない。
なにがあってもそんなことはないと信じているから、俺はシーマとケンカしながら30年以上もいっしょにいるのだ。
だいたい並んで歩いていたとか、部屋に部下といっしょに入ったとか、なんとなくいい感じだったとか、そういうどう考えても誤解ですみたいな取るに足らない些細なことで、興味をひくだけひいて誤解でしたー、みたいなもうスレ違いとかええてー、みたいな展開になるに決まっている。
だが、残念だな、フラグよ。
50年も異世界でサヴァアアアアアイヴしていると、その程度の危機はいくらでもあったのだ。
俺はそんなものヘシ折ってやるね。
「まあ、おまえには心配をさせてしまってすまないとは思っているが、お父さんとお母さんはね、本当はお互いのことをなによりも――いや、なによりもというのはウソっぽいな。こう言い換えてもいい。世界中でとてつもなく上位にお互いのことを想い合っている。おまえたちはまだ幼いからわからないけれど、父さんと母さんは決して本当に仲が悪いわけじゃないんだ」
もっと俺がちゃんと父親をしてやれていれば、ワイゼンだってこんなことを言わなくてもすんだのだ。
その意味で、これは不機嫌な態度をとりつづけるシーマが悪いというより、なにも手を打てない俺が悪いのだ。
全責任は、なにがあっても俺にある。
「ねえ、父さん。女帝シーマは妊娠中だよ」とワイゼンは言い切った。「俺はこの目でお腹の大きなあのひとを見た。だから旅を終えて帰ってきた」




