1:異世界で焼き鳥を
ダニア歴203年――神帝歴元年
転生前の名前は央利一。
利が多き人生であるようにと両親は願ってつけたようではあるが、正直そんなに利を得てきた人生とは言いがたい。
利口でもなければ、腕利きでもなく、利発でもないし、利益が舞い込む運もない。
告白されるほどではないが、忌避はされない程度のルックス。
2流の私立大学に1浪して入れる程度の学力。
初対面に対して極度ではない程度の緊張をし、女子と話すのは得意ではない程度にこなせ、いい意味でも悪い意味でも目立たない程度の運動能力。
「オーリ」というあだ名で呼ぶ友達はいたが、友達自体は多いわけではない程度の交友関係。
だいたいそれが転生前の央利一、俺だった。
俺が30年以上前に転生したのは弱小国ロッソアのアドレルという村だ。
いまでこそ、そこそこの領土を持つロッソアだが、30年前は弱小どころの騒ぎではなかった。
いま潰れるぞ、すぐ潰れるぞ、ほーら潰れた、みたいな煽りが有効なほどにはヤバかった。
領土も狭いし、なにより中央大陸の北寄りに位置している国なので夏でもやや肌寒い(この世界にも四季はある)。これといった特産も技術もノウハウもないクソみたいな国だ。
そんなクソみたいな国ロッソアはいちおう帝政をしていて、始祖皇帝ダニアの第15王子プディガの12代子孫・リハル4世というやつが皇帝だった。もう偉いのか偉くないのかまったくわからないリハル4世だが、もちろん傑物ではない。
端的に言えば弱かった。元の世界だと体格のいい小学生には敗北する程度の戦闘力しか持たなかった。
クソだクソだと言ったが、ロッソアにもいいところは多少あった。
シュイン族が人口の大半だったことだ。
シュイン族は魔力の素養が比較的高く、あとの能力は並という、ステータス的にはバランスがよくて初心者向きと主人公の初期タイプが選択できるゲームなら言われそうな種族で、こと魔法に関連する戦闘ならそれなりと言えた。
のちに出会うことになる開闢魔術師イルギィスも俺と同じシュイン族だ。
したがって、ロッソアは弱小国ではあったが、魔法に関して言えば平均よりやや上と言え、ロクなものがないので侵略価値は乏しいが、魔法による戦闘力はそれなりにあるという、面倒な国でもあった。
それがロッソアが弱小国ながら生き残っている理由だ。
たいしてうまくない種類の河豚みたいな存在なのである。
そんなロッソアの中でもさらに比較的北に位置し、より栄えていないし、べつに交通要所でもない寂れた村がアドレルだ。
そして、俺はアドレルのシュイン族の夫婦のあいだに生まれた。
さて。これ以降俺の幼少時代は割愛する。
いや、割愛したい。
割愛してもいいはずだ。
割愛させてくれ。……いや、させてくれとまで懇願するほどしゃべりたくないわけではないが、俺にとって幼少時代は愉快なものではなかった。
まずふつうに、極めて常識的に考えてみて欲しい。
異世界転生だ。
当たり前のようにチート能力はある。
0歳児なのに、はっきりと知覚できるし、意志も伝えられる。戦闘力は飛び抜けている。
それなのになぜそんな結果になったのか。
……まあ、原因はあきらかで、俺の飛び抜けている戦闘力である。
いまにして思えば、他の方法があった。
生まれてから数年は、セオリーに則って魔力量を増やしたり、異世界のことわりを理解することに時間をあてるべきだったのだ。
結果的にそういったたぐいのことはしたのだが、目立っていいことはひとつもなかったと言っていい。
チート転生したあとの幼少期数年は、目立たず、騒がず、目的に向けて静かに歩みを進めるべき時期だ。これは断言できる。
この幼いころの寂しい記憶が、結果的に秘密の俺の夢の大きな障害となったのだから、もし異世界転生したときには小さいころはこっそりと行動するを強く推奨する。
ただまあ、そんなリクツはチート転生を味わったことがないから言えるのだということも申し添えておきたい。
俺にだって言い分はあるのだ。
だって、突然とんでもない力が宿るんだぞ?
しかも人生やり直しだぞ?
死んだと思ってたのに(俺はちょっとなんで死んだのか覚えがなかったけれど)、とんでもないハイスペックでやり直しだ。
だからつまり、開幕全力以外の選択肢が俺には見えなかったね。
俺はこの世界で生まれて2日後に、魔法を放った。
被害は家の天井の一部と、上空を高く舞い、ひとには飼い馴らせないことで有名なアドレル名物の野鳥コスマウル1羽。
被害はそれほど甚大というものでもなかったが(なにしろ俺は初めて魔法を使ったわけだから)、それを生後2日でやってしまうと危機レベル――そう、生命として、生物として感じる危機のレベルが、大幅に上がる。
俺という存在が他人から見るととてつもなく危険に見えるのだ。
これはなにかちがうものだ、と。
赤ん坊用にしつらえた簡便なつくりのベッドの周りにぱらぱらと焼け焦げた木材の破片と、こんがり焼けて落下してきたコスマウル。
唖然としている母親。
彼女としてはなにかの事故だと思いたいが、どう見ても自分の生後2日の息子が魔法を使ったのは明確だった。
ことばはないが、これはなにかちがうものであるとそのときすぐに悟っただろう。
農作業中に爆音を聞いて駆けつけた父親がどれだけ驚いたかも想像に難くない。
両親はふたり揃ってこの瞬間に育児をできることなら放棄したかったのだろうと思う。
そして、その呆然とした顔を見れば、いくら高揚しているとはいえ、ことばをしゃべってはいけないことは理解できた。
たぶん俺はしゃべれる、と思いながら生後2日の俺はただ無邪気に笑っていること選択した。
じつのところ、高揚感しか覚えていないので、その「生後2日で魔法事件」の仔細を俺はよく覚えていない。
天窓から遠くに鳥が見えたので射落としてみたような気もするし、たまたま全開放したくなったときにコスマウルが飛んでいただけのような気もする。あるいはのちのち大きな伏線となる出来事を俺は忘れているかもしれない。
……まあ、ないだろうけど。
とにかく、俺がそのとき何を考えたかとかはどうでもよくて、結果として、俺の生家の天井は砕け、コスマウルが1羽、マズい焼き鳥になった。
そして、村人からの俺の呼び名が「アドレルの鬼」になった。
どうせわからないだろうからと言って、0歳児に「鬼」と名付けるその村人たちの感性はなかなか刹那的ではあると思う。というかそれ、完全に悪口じゃねーか。
その風潮は家の中にも若干浸透していたことが、転生後の俺の不幸と言えば不幸だ。
たしかに俺がよく考えずに興奮して行動した結果と言うことはできるが、0歳なんだしもうちょっと環境もチートでよかったんじゃないか、とは思う。
俺はこの世界の両親を責める気はないのだが、多少泣き言くらいは言いたい。
「ねえ、ルーナ」と父は母によく言った。「オーリは将来すごいやつになるんじゃないか?」
「ミークス、私もそう思うわ。でも、私それはわかるんだけれど――」
「いや、止そう、ルーナ」
「でも、ミークス」
「ダメだ。そんなことは考えちゃいけない。ぼくらは彼の親なんだ。どれだけ異様な力を持っていても、オーリはまだ歩けないし、しゃべれない。将来すごい子になるかもしれないけど、ぼくらがいまするべきことはオーリを守ることだ」
「ええ、わかってる。でも、ときどきどうしようもなくなるの」
「その気持ちはわかるよ」
俺がそのとき思っていたことは、こいつらはよく相手の名前を呼び合う、だった。
つまるところ、俺は生後2日目から異世界ライフを大きくミスっていたわけである。