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ロスト・イン・ザ・ダーク

神帝歴45年――オーリ10年

もえの月


 窓が開いていた。

 メカリアはロッソアに比べると温度が高い。

 温度計はないので正確にはわからないが、2、3度違うのではないだろうか。


 ただ魔法がある世界で暑さというのはそれほど深刻な問題にはならない。

 暑ければ魔法を使えばいい。

 水でも風でも土でも好きなものをベースにしてエアコンでも冷蔵庫でも扇風機でも、似たような機能を実現すればいいだけだ。


 もちろん、自然風がないわけではない。

 月も出ているし、太陽だって昇る。

 それらしくあるものはみなそれらしくあるのがこの世界だ。

 45年もいればだいたいそういうことには気づく。


 ロッソアにいることが比較的多い俺にとってはすこしメカリアは暑い。

 だけど、こんな夏の近い日の夜には快適でない温度を愉しむくらいの余裕はある。

 世界はそういうふうにできているので、そういうふうに生きてみることも必要だと言えばちょっとカッコよく聞こえて、声に出してみちゃったりなんかしたときにたまたま美少女がそれを聞いていたりなんかして、あらやだ神帝さまったら、みたいな展開になることもあるかもしれないしないかもしれない。

 そうだ言ってみよう。

 ためしにちょっと言ってみよう。


 と思ったところでたまたま視界に入っていたドアノブが回るのが見えた。

 そして、そっと、極めてそっと。

 まるで卵の黄身を皿に落とすみたいにそっと、ドアが開いた。


「ああ、待ってたよ」と俺は言った。

「いや、すまんな。シーマに見つからないように、ってのが思いのほかな」とヴォーディは言った。

三男(ルーファー)生まれてからはだいたいヤポニアか王子領にいるんだけど、今日に限って首都ディジルド(ここ)にいるんだよなあ」

「カンがいいんだろ。なんかあるんじゃないかと思ったんだろうさ。30年もいっしょにいればそうなる」とヴォーディは言って、服を脱ぐ。「さっそくだが、やろうか」

「ああ、頼む」と俺は言った。


 服を脱いだヴォーディの体には傷が無数にある。鍛えられてはいる肉体だが、衰えはやはり見える。

 昔はもっと質感が若々しかった。

 これが歳をとるということなんだろう。もう60になったんだったか。異世界ではそれなりに高齢になる。

 絶対無敗の剣豪ヴォーディもいずれ歳をとって死ぬ。


「すまんが、灯りが気になる。ずいぶん久しぶりなことでな。すこし明るさを落としてもらっていいか」とヴォーディが言った。

「構わないよ」


 俺はそばにあった燭台の3本の火のうちふたつを風魔法で消した。


「相変わらず、器用に操るもんだ」とヴォーディは言って、集中するために深い呼吸を2、3回した。「悪いが、俺のタイミングでいくぞ」

「ああ。手間かけて悪い」

「まあ、事情が事情だからな。ただ、改めて言っておくが、あんまり得意じゃないぞ。期待もしてないだろうがな。さらに最近はほとんど使ってなくて鈍ってるって悪条件もついてる」とぐるぐると肩を回す。

「わかってるさ。シューゼンでもトゥーリでもダメだったから、そもそも諦めてはいるんだ」

「イルギィスはどうだった? 当たり前だがあいつがいちばん上手いだろ」

「まあ、そりゃな。それこそシーマより付き合いは長いんだから、あいつのことはよくわかってるけど、でもこういうことは頼めない」

「シーマにバレるか?」

「そうだね。あいつ、なんだかんだ俺よりシーマに甘いから」

「理由もわからんのだろ?」

「でも、シーマとやったのが原因なのはほぼ間違いないと思うんだけどな」

「たしかにあれはずいぶん激しかったらしいじゃないか」

「まあ、いつもどおりだよ」

「そうかもな」とヴォーディは言った。「ただ、いくらシーマが気にするとは言っても、打ち明けておいたほうがいいこともあるからな」

「ショックかなあ」

「いまさらそのくらいでショックを受けるかどうかは知らんよ。案外、ああ、そう、くらいで済むかもしれんぞ」とヴォーディは言った。

「初めてのケースではあるんだよな」と俺は言った。「まあ、ヴォーディでも解消されなかったら、シーマに言うよ。イルに頼む前に」

「そのほうがいいだろうな」とヴォーディは言った。


 ヴォーディの額から汗がぽとりと落ちた。


「待たせたな。そろそろいけそうだ」

「まあ、気楽に頼むよ」

「じゃあ、いくぞ」

「ああ――」


 ダン!


「待ちなさい! 健全図書(ノク=ターン)!」


 強烈なストロボ光のようなものが発された。

 俺とヴォーディはドアを見る。

 とんでもない形相のシーマの手元には円形のデカイ写真のようなものがある。

 写った俺とヴォーディの姿。

 

 ソファに寝そべっている俺と、上半身裸のヴォーディ。

 なるほど、世紀末だった。


*************************


 数分後、世にも珍しい光景があった。

 シーマが正座している。

 ヴォーディはすでに服を着ている。


「あのな、シーマ。どうしておまえはそう落ち着かないんだ。もう3人の子供の母だろうに」

「だってヴォーディ、しょうがないじゃないくわぁ」とシーマは言った。


 いや、シーマ、エナリは異世界では使えないとはきみが言ったことじゃないか。


「ルーファーは?」

「侍女に頼んできたわ」

「ならいいが」とヴォーディは言った。「たしかにそりゃな、オーリの日頃の行いというやつは最悪だ。だが、話を聞いてやるのが夫婦ってもんじゃないか? まっとうな理由だってこともある」

「そうだけど……」

「たしかにおまえに内緒にしたのは落ち度かもしれないが、オーリだって心配かけたくなかったんだ」

「でも、わざわざこんな時間に人影がオーリの部屋に入ったら、だれだって浮気だって思うじゃない。で、耳をそばだてるとこともあろうかヴォーディよ。なんでそんなことになったのか、って私だってパニックよ」


 いや、ふつうはヴォーディだから(・・・)安心するというのがセオリーだと思います。

 

「よく言うじゃない。子供を産んだら女じゃない母だ、みたいな。最近はぜんぜんオーリも構ってくれないし、今日だってルーファーにひと月ぶりにあったのに、3分で仕事に戻ったのよ、このひと」

「そこはまあ、オーリが反省しろ」とヴォーディは言った。「でも、理由は聞いてやれ」

「……はい」

「まったく、こんな魔法まで作って」とヴォーディは俺とのどこからどう見ても不適切なシーンが写った紙をつまみあげた。

「これ、どうやって作ったんだ?」と俺は純粋な興味で訊いた。


 たしかに俺もおもしろ魔法的なものを作って実験していた時代があったが、最近はもっぱらこういう珍しいものに関してはシーマの専門職となりつつある。

 ジビルガフの電話っぽい魔法もシーマが分析している。


「火と風と土と水全部使ってるわ。発色の特性も加えて、見たものを色で表すようにしてある」

「4つ全部とは恐れ入るな、相も変わらず」とヴォーディが感心する。

「どうも」となぜか自慢気にシーマは言った。

「これだと魔術構造(レシピ)があってもほとんど誰も使えないんじゃないのか。オーリやイルギィスなら問題ないだろうが」

「まあ、そこはこれから低魔力化(コストダウン)できるようにするつもり」


 いや、話が横に逸れていると俺は思ったが、このあとに控えている話題が話題だけに本筋に戻してヤブヘビはまずいので黙っておいた。

 ここはヴォーディに任せよう。

 きっとオブラートに包んで――


「それでだ、シーマ。なかばの月が明けたら、俺とエーヴィルで北伐に行こうと思う」と直球でヴォーディは勝負した。

「は?」

「オーリの体調がすこぶる悪い。おそらく治療したほうがいいだろう。どうも本人が言うにはイルギィスに魔力で負けている状態らしい」

「あるわけないじゃない! そんなの聞いてないわよ!」


 まあ、言ってないからね。

 シーマは俺を当然睨む。

 まあ、仕方ないね。


「だからそれを聞いてやれと言ってるんだ」

「でもそんな大事なこと聞いてないなんておかしいじゃない! やっぱりあなたたち……」

「いや、いまさっきのは俺が回復魔法をオーリにかけようとしてたんだ。俺の回復魔法なんて何年も使ってないから効くとは思えないんだが、そんなものでも試さないといけない状態なんだと」


 シーマはすこし納得していなさそうな顔をしていたが、いったいそれでも納得していただけない俺の私生活とはいかほどのものなのであろうかと、すこし反省の弁を述べたい所存です。


「いつからよ?」とシーマが俺を見て言った。

「去年ロッソーナでシーマに倒されてから。復活したあと魔力がまったく前みたいにならない。魔力だけじゃなくて、たぶん単純な力も落ちてる」

「私? だっていままでもあったのに、そのときはだいじょうぶだったじゃない」

「うん。そうなんだけど」

「いいわ、私が回復魔法使うわ。確認したほうが早いものね」とシーマは言った。「念のため詠唱でやるわね」


 俺はこくりとうなづいた。


「風の神ホアソンよ、なんじとなんじの寵愛者の名のもとに、あるべくをあるべくへ、ことなるもののことわりを、ここから取り去り給え」


 上級の回復魔法だった。

 風属性である意味はじつはないが、まあ、フレーバー的なものはあってもいい。寵愛者だしね、みたいなオシャレだ。

 一次関数の式を書けとテストで出たら、「+2」を意味もなく付け加えたくなるあれだ。


「どう?」

「なにも感じない。オート回復魔法もかかり続けてるんだから、まあ、当たり前なんだけど、俺はいまノーダメージみたいだ」

「でも、魔力も力も以前とは比べるまでもない」

「そうだね」

「深刻ね」

「そうなんだよ」と俺は言った。

「まあ、なんとかするわ」とシーマはいい笑顔で笑った。「だいじょうぶよ、ここはメカリアだし。神さまだって住んでるんだから。どんな手を使ってでも、しゃべってもらえばきっとなんとかなるわよ」


 やけに自信がありそうだった。

 たしかに彼女の笑顔はとても素敵で、俺は数億回目で惚れなおしたわけだけれど、彼女がいったい、この異世界を統べている(統べていた(・・)と言ったほうが正確かもしれないが)神々に対してどんな質問の仕方をするのか、非常に不安になったので追求しない方針にした。

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