父は悲しい
神帝歴47年――オーリ12年
暮の月
「あー、エーヴィル。父さんは悲しい。とても悲しい」と俺は倒れているエーヴィルに向かって言った。
返事はない。
ただの失意の少年のようだ。
「あーあ、まさか本気で裏切るんだもんな……。俺や母さんやジビルガフがお互いを殺せないのは、ジビルガフが言ったって言ってたけど、本当は母さんから聞いたんじゃないのか?」
ぴくり、とエーヴィルが動いた。
「そうだよな。ジビルガフがエーヴィルに言うわけない。そんなことはあいつには許されてないから」と俺は続ける。
続けはしたが、もうなにを言っていいのかわからない。
正直に言って、シーマがこのくらいで俺を殺せると思っていたとは思わない。
「しかし、ジビルガフすら囮に使うとか相当エグいよなあ……。どこでジビルガフの動きがわかったんだろ。あ、さっきの侍女は心配いらないよ。手当はすんでる。エーヴィルが寝ているあいだにね」
それでも。
それでもやり口がちょっと尋常じゃない。
いや、いつも尋常じゃないけど、いつもなら精神の根底を流れる愛情(と呼べるのかもさだかではないささやかな流れ)くらいはつねにある。
「まあ、ジビルガフは嫌がらせのひとつとして納得もするけどさあ……」
そうだ。
それはよくないけど、まだいい。
やっぱり返事はない。
「あ、まだ回復魔法使えないのか」と俺はいつまでもうめいているエーヴィルに回復魔法をかけてやった。「ごめんごめん」
回復魔法をかけてやると、ぶすりとした表情でエーヴィルはあぐらをかいた。
「いちおう正座」と俺はシーマみたいに言ってみる。
「やだ」
「……ならいい」
まったくもってどうしていいものやら。
「なあ、エーヴィル、なんでこんなことをする?」
「母さんは、あんたが神帝なんて呼ばれて、いい気になってるあいだ、すごく悲しんだし苦しんできた」とエーヴィルは言った。
「うん。それは俺が悪い。でもね、エーヴィル。それでもそれは母さんが俺に言うべきことで、おまえを使ってこんなことをするべきじゃないんだよ」
「そういう母さんに対する信頼がまったくないところだよ、俺が嫌なのは」とエーヴィルは言った。「俺がやりたいからやったんだ。あんたのことなんて大嫌いだったから。母さんはこの計画を知らない」
息子からこんな暴言。
なかなかのつらさあるな。
「それならおまえだってここまでしなくても、言ってくれればよくないか?」と俺は至極まっとうな指摘をする。
「大事なこと言う機会なんてないじゃん」と息子も至極まっとうな指摘をする。
もうこのことについてはしゃべりたくもないというふうにエーヴィルは口を真一文字に結んだ。
俺はひとつため息をつく。
「順を追って、説明してくれるか?」
「やだ」
くそう。
「……たぶん、おまえが盗み見たのはあの無茶苦茶な図だな?」
「無茶苦茶!?」とエーヴィルが愕然としていた。「ひどい、騙したのか!?」
「いや、身内がひっかかるほうがおかしいんだよ、エーヴィル。母さんは教えてくれなかったの?」
「母さんはこのことを知らないって言っただろ。俺の意志だよ。そういう無意味な思い込みするなよ」
「じゃあ、魔法道具は?」
「……ジビルガフが作った」
「……あー、ほんとにそっちなのかよ……」
たしかに魔力障壁は攻撃魔法ではないので、ジビルガフの制限の外ではある。
「あんたは母さんを疑うけど、母さんはあんたの弱点なんて言ったりしないし、あんたを殺すための魔法道具なんて作ってくれない。あんたとジビルガフのあいだになにがあるのかは教えてもらってないけど、ジビルガフは、俺がジビルガフを利用するなら問題ない、って言ってた」
またそれはギリギリの解釈だが、実際にできているのだから、世界の扉はセーフだと判断したのだろう。
まったくのクソ野郎だ。
「……どこまで?」とエーヴィルは言った。
「うん?」
「どこまでウソなの? ジビルガフが見せたあの図もウソ?」
「ううん。あれは本当だよ。もし俺の体表の魔力障壁の内側に――」
俺は長々と説明してやった。
「いや、まあ、なんか、完全に魔王を倒すための奇跡の一瞬みたいになってるよな」
「じゃあなんで?」
「そりゃ、ひとつ意図的に情報を落としてるからだよ。魔力障壁も魔力高圧化もオートの間隔も全部本当。ひとつだけウソというか、書いてない――いや、書いてあるけど意図的に落としてる部分がある。見たんだからもうわかるでしょ?」
「……回復魔法」
「そう。俺の体内で魔力高圧化した魔力は、俺にかかる回復魔法がすべてチャラにする。とても強力な回復魔法が俺にかかって魔力高圧化は解消されるわけ。さっきみたいにね」
「じゃあ、やっぱりあの図はウソだ」
「ウソというか、間違ってるのをそのままにしてあるだけ。イルギィスはあのままだとOKしなかったんじゃないかな。自信ありげに『おまえが思うよりこのプランには穴がない』とか言って指摘してくれたよ」
「……いまのイルの声真似?」
「……あ、ああ」
「似てない」
いやべつに似てなくてもいいんだけど、なんだろうこの地味に削ってくる感じ。
長年味わってるような気がするけど、気のせいだろうか。
「体内が魔力高圧化で魔力障壁がかかってない状態は、あの図だと8秒あるように見えるけど、実際は魔力障壁が切れたあと最初の鼓動で回復魔法が発動して、魔力高圧化は解消される」と俺は聞かなかったことにして言い直す。
「それはもうわかったよ。魔力障壁が消えてるだけで、とっくに魔力高圧化は解消されてるんだろ。あんたが魔力高圧化で魔力障壁なしの状態でいるのは心拍1回未満」
「正解。たしかに魔力障壁は消えた状態になるけど、俺に向かって放たれた攻撃魔法の威力は魔力高圧化でかさ増しされたりしない。おまえの撃った中級攻撃魔法は中級攻撃魔法の威力しかない」
「じゃあ、最初から無理じゃんそんなの」
「うん、まあ、可能性がゼロじゃないだけで無理だよね」
「あんた倒せないじゃん」
「正攻法で倒すことは無理じゃないかな。だからあんな弱点の明記みたいな資料をあえて残してあるわけだし」
「……心音より早く魔法を繰り出す……」とぶつぶつエーヴィルは言っている。
いや、まだ諦めてないのか。
「ねえ、エーヴィル。だから思ったよりも穴がないんだよ、この自動回復と自動魔力障壁は。まあ、圧倒的な魔力があるからできることなんだけど」
「……力が落ちてるってのもウソなのか?」
「ううん。それも本当だよ。力が落ちてるから回復魔法も魔力障壁も前ほど強力じゃないよ。シーマが出て来てたら負けただろうね。ただ、シーマじゃ俺は殺せないから」
「イルなら?」
「たとえイルギィスの上級攻撃魔法だって、オート回復魔法がある以上、死ぬまでには至らないと思う。だから、たとえイルだとしても魔力障壁が切れたあとの最初の鼓動より早く俺に攻撃魔法を叩き込むことは必須条件かな」
エーヴィルはとても残念そうな顔をした。
いや、そんな顔をされたって、父さんのほうがよっぽど悲しいんだけど。
「でも、本当に悲しいよ、父さんは。なんでこうなったんだろうって思うね」
「……オルドラのなにがダメだったんだよ」
「……まあ、やっぱりそれだよね」と俺は言った。「父さんだって家族で暮らしたいんだぞ」
「ウソだ。母さんはきっとおまえがハーレム作ってるっていつも泣いてた」
「……それは俺を買いかぶりすぎだ」
「ルーファーはまだ小さいからわからないけど、ワイゼンはおまえに影響されてロクでもないことばかりしている」
なんて兄弟思いなんだ! と1時間前の俺なら国をあげて宴を開く勢いだが、いまはちょっとそんな気分じゃない。
そこまで恨まれるくらいなら、俺だってべつにチートハーレムなんかしたくない。
いや、したくないと言えばウソになるけど、まあ、その我慢できる。たぶん、きっと。
いやでもこういうところがエーヴィルに勘違いさせたんだろうし、というか、まあ、願望がある以上勘違いではないのではあるが、でもでもやっぱり本気で殺しにくることもないんじゃないのかとは思う。
だいたい47年間(結果的に)浮気ゼロだぞ、俺は。
「あー、まあ、そうな。そうかもな。……もしエーヴィルが気に入らないなら、俺はしばらく可能な限りこの国に関わらないことにするよ」と俺は言った。
「はあ? また俺たちを捨てて逃げるのか?」
「なあ、エーヴィル。父さん、一度だって捨てた覚えがないんだけどなあ」
「……だって、俺……父さんに魔法教えてもらったことない」
ああ、もうなんだかなあ……。
どうしたらいいんだよ、こんなの。
たしかにジビルガフの悪意はあったんだろうけれど、これはそういう問題じゃない。
「……今度教える」と俺は言って、イルギィスを呼んだ。