8:うちの長男は天才です
神帝歴41年――オーリ6年
初の月
重苦しい雰囲気というのはどこから来るのだろうか?
誰だって仲良く楽しく暮らしたいのではないかという、なんか元世界でもヒダリっぽいひとたちが言っていた感じになってあれだが、でも、根源的にはそういうことなんじゃないかと俺は思う。
できれば気を抜いて、楽しく、それでいて豊かに暮らしたいと思うことは決しておかしな話ではない。
まあ、そうならない理由はあきらかで、私の楽しいとあなたの楽しいが違うという単純で絶望的な埋まらないキョリによって不幸というものは生まれている。ような気がする。
その日、ロッソア魔術国会議室の空気は非常に重かった。
「では私も今日中にはヤポニアに戻らねばならないので、第6回北伐についてはそろそろ話しましょうか」とトゥーリが言った。
トゥーリは半年後、半の月にはヤポニア技術国の建国を控えている。
頭脳戦はほぼ終わっていて(完勝だったらしいが、傍目には手こずっていたようにも見えた)、残るは少々のバトルだが、それも近々片付きます、と自信ありげに言っていた。
とは言え、建国前は多忙を極める。
「5回北伐については、俺が小規模の軍を率いて行ったがさして効果はなかった」とイルギィスが言った。
「それは織り込み済みです。多少長引いていますので、魔王が動いてどう出るを少し見たかっただけですから。威嚇にならない程度の軍ではそもそもの効果は望めません」
「まだアレはいるんだろうか?」とイル。
「まあ、いるでしょうね。そうそう移動できるわけでもないでしょうから」
「大軍は相変わらずダメだよな?」
「それはこの先もずっと変わりません。北部連合が独立しない限り、軍は極めて小規模のものしか使えません」
「ルーポラ族長やエジン族長の所在はわかってないよな?」と俺は確認する。
「まだですね。これまでの5回の北伐である程度は目星がついていますが、アレが向こうにいるのであればなにが待ち受けているかわかったものじゃありません」
「となると、単独行動をするしかない、か」と俺は言った。
「そう……ですね」とトゥーリ。
空気が4倍くらい重くなる。
「というわけでですね、北伐です」と俺はエーヴィルと遊んでいるシーマに向き直って言った。
「そう、北伐」
「ええ、北伐です」
「北伐。ね」
「はい、北伐です」
「ね、オーリ。見て、エーヴィルを」とシーマは微笑みながらエーヴィルを見せる。
ふたつ並んだ笑顔はじつに微笑ましい。
エーヴィルはもちろんだが、やはり40になってもシーマは可愛らしい。
「暁に咲く花」と言われるだけのことはあるエルフ族特有の愛らしい笑顔だ。
赤ん坊よりも愛らしく見えるというのだから、それはもうさすが俺の嫁と言わざるをえない。
あえてノロけよう。
俺の嫁は全力で可愛らしい。
思い起こせば、30年少々前に彼女に出会ったときの俺は、正ヒロインなんてエルフ以外選択肢ねーから、と猛烈なアプローチをした(現実世界でやったら法律にギリ触れるくらいの)。
というか、初見であんなお色気サービスショットだともうなんか嫁にする以外ないぞみたいな俺ルールがあった。
その後、え、まじで、きみもほんとに転生者!? みたいなそんなんアリか? みたいな展開があり、申し訳ないけれどもこれ以上はR18だね、みたいな展開があり、ケンカがあり、虐待があり、虐殺があり、邪智暴虐な恋人期間があった。
出会ったころの彼女は俺と同じく6歳だったけれど、見た目は15歳だか、16歳だかで、現実世界で言うところのいわゆる1●歳だったが、だいたい300年くらい生きるエルフは30後半になっても40後半になっても、10代のころと見た目はほぼ同じである。
「暁に咲く花」の命は長いのである。80を越えてようやく20歳くらいの見た目になり、その後も極めてゆっくりと老けていくらしい。
大勝利。
それしか見えない。
そう確信できる世界一素敵な笑顔だ。
ただし、嫁よ。その罠を俺はもう30年以上も見ている。
たしかにあなたのその笑顔は破壊力が強い。
でも、なんの嬉しいこともないときにその笑顔を見せるときは、必ずなにか痛烈な真意が俺を襲う。
「見た?」
「ええ。可愛い我が子ですね」
「ほとんどあなたはこの国で山にしか行ってないけどね」とぴしゃりと言った。
ぐうの音も出ない。
でもそんなこと言わなくてもいいじゃないか。
いやまあ、俺が悪いんだけどさ。
「はい……」
「ああ、やーねえ。もうでもそれはいいの。私も納得したし、この子を守るためだって言うならまあ、いいわ。私が母親だっていうことも、あなたが実の父だっていうことも変わらないんだし」
「はい……」
「それで、なんだっけ?」
「え?」と俺はトゥーリを見る。
助けてくれそうな雰囲気はない。
「ほ、北伐です。俺が行こうかと思います」
「またアーカナー族でも拾ってくるのかしら? 今度はちゃんとアーカナー的なもてなしと調略でも受ける気なのかしら?」
俺は泣いた。
エーヴィルは素知らぬ顔で遊んでいるのに、俺の暗い顔を見ると母ゆずりの笑顔を見せた。
なんだこいつ、天使か。主人公か。勇者か……って、あれ、勇者ってそう言えばこの世界で見たことねえな、と俺は思う。
そして、
「エーヴィルー」と子供に泣きつく。
「都合のいいときだけ子供に逃げてもダメよ」とシーマは言った。
エーヴィルはちゃんと俺のところにも来てくれ、よしよしと頭を撫でてくれるが、嫁は冷たい。
つまりいま、ウチの夫婦のムードはハンパないことになっている。
理由は真夏の神田川の水位より浅い。
*****************
昨日のことである。
俺は謁見の間に恭しく座っていた。
どこからどうみても恭しい感じで、まさに神帝オーリここにあり、みたいな顔をして。
「あなた、マントを踏んでいます」とシーマが言った。
シーマはエルフであり、俺の奥さんだ。つまり、エルフでありワイフでもある。みたいなつまらないことを考えながら、俺は長男がやって来るのを待っていたのだ。
「このごろ流行りのファッションだ」
「……それ高いのよ?」
「……怒るなよ」
「つまらないいいわけをするからでしょ。どうして世界を統べたあとにそんなくだらないいいわけするの?」
それは世界を統べるよりもきみが怖かったからだよ、とは言えなかった。
世界のすべてを手にしても言えないことはある。
「だいたいよ、久しぶりにエーヴィルに会えるのに、なんでわざわざ謁見の間なのよ」
「それはこのあいだワイゼンのときもそうしたから」
「あれは部屋を改装してて、ほかに会う場所がなかったからじゃない」
「でも、あれワイゼンもシューゼンも気に入ってたぞ」
「シューゼンはそういうのでしょうが。だいたいワイゼンは3歳よ。ちょっと豪華な場所のほうがいいって言うに決まってるじゃない。光ってりゃいいのよ、あの歳だと」
「でも、豪華なほうがよくない?」
「なるほど。あなたが気に入ったのね?」
「……まあ、ちょっと子供と謁見の間で会うのってなんか神帝っぽいな、って」
「ああ、可哀想。父親のエゴで。エーヴィルが不憫」
「だってしょうがないじゃないくわぁ」
「こっちじゃ誰もエナリなんて知らないわよ」
「はい」
「まあいいわ。それで? 今回はどれくらいいられるの? しばらくはだいじょうぶよね? メカリアからようやく帰って来たんだし」
シーマがそう言うのも無理はない。
なにしろ、シーマが3人目をみごもったと聞いてから、2ヶ月も直接会えなかったのだ。
まだお腹は目立たないが、シーマはたしかにみごもっている。
「……しばらくという概念は各個人によって定義があいま――」
「何日?」
「だからその、あれだよ」
「どれ?」
「北伐がさ、そのー……今回戻ったのもそれなんだけどね……」
「いつ立つわけ?」
「……明後日」
「はあ!?」
「だっていまイルが首都から離れるのは得策じゃないだろ。でも、相手は魔法特化してるエジン族だぞ? ヴォーディやシューゼンがいくら強くても、魔法戦になると苦しすぎるだろ」
「バカじゃないの!? なんでいまさらよ! もう5年も北伐してるのに殲滅し終わらないじゃない。なんでそんなこういうときに限って戦況動くのよ!」
「そういうもんだろ、ゲリラ戦は」
「それにしたって世界最高戦力が6人もいて、たかが100人規模のゲリラに5年かかるとかおかしいじゃない!」
それをいまさら言われても困るし、そもそもあなたも6人の中のひとりであって、対ゲリラの難しさなんて充分承知のことでしょうに、とはもちろん言えなかった。
そんなことはシーマだってわかっている。
まあ、だからただの八つ当たりだ。
ただの八つ当たりというやつは、理不尽であることを除けばただなすがままになればいいのでラクだ。
ラクなはずだった。
「いいや、それはおかしい!」
そんなふうに、言い返したりしなければ比較的すぐ終わったのだ。
それがわかっていながら、なぜ俺は言い返したか。
……ちょっと謁見の間でテンションが上がっていた。
そして当たり前のように最悪の機嫌でエーヴィルと会うことになり、5歳なのにやたらと父母に気を使ってくれるこころやさしいエーヴィルは、なんだか居心地悪そうにしていた。
************************
それから1日立ち、とてつもない反省と後悔がいま俺に押し寄せている。
「どうぞご自由に」と身重のシーマは諦めたように言った。
「シーマ、すみません」とトゥーリが謝った。
「作戦自体が気に入らないんじゃないのよ、作戦遂行者の人格が気に入らないの」とシーマは言い切った。
俺じゃん。
つーか、俺じゃん。
いやまあ、俺の言い方が悪かったんだけどさ……。
重苦しい空気は続き、そろそろ出ねば、とトゥーリが立ち上がったあとも、俺とイルはエーヴィルとシーマが会議室で遊ぶのをただ見ていた。
立てる雰囲気ではない。
ふと、イルギィスとエーヴィルがアイコンタクトしたような気がした。
「ねね、とうさま、みてみてー」とエーヴィルはシーマの元を離れて、とことこと俺のほうへ来た。
開いたてのひらの上に、ちいさく光の玉ができた。
なるほど、魔法である。
エーヴィルの魔法は初めて見る。使えるようになっていたのか。
まだ祝福を受けていないので、出せるのは初級攻撃魔法くらいのものだろうか。
俺がコスマウルを焼いたあれとは大きく違う可愛らしい魔法だ。
そうだ。この子はこの子なりに、俺たちに気を使っているのだ。
それはとても正常とは言えないだろう、と俺は思う。
魔法だった。それはぎこちなく、弱々しい魔法だった。
俺はそれを見て、なんと言ったらいいのかわからなかった。
「この子は天才じゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! エーヴィル、おまえは天才じゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「うるさい。エーヴィルがびっくりするでしょうが」
「いや、こんなに喜んでいるぞエーヴィルは! そうだ、イルギィスを呼ばないと!」
「聞こえてるよ。いるよ、ここに。どんだけ錯乱してんだよ」
「イルー!」とエーヴィルが嬉しそうに駆け寄る。「父さま、褒めてくれたよ!」
ぽんぽんと頭を撫でて、よかったね、王子、とイルは言った。
「どどどどどどうしようイル、こんなに魔法が早いなんて思わなかった。まままままだ英才教育? いや、そうだ。エーヴィルのために学校を作ろう。そうしよう。名前はそうだな、ロッソア国立魔法大学幼稚舎だ。そうしよう」
「幼稚舎は小学校だから」とぼそりとシーマが言った。
「関係ない! 響きが大事!」
「それ自体は悪くないが、おまえら夫婦の基準で考えるなよ。いや、俺らの基準で考えたらまずいよ。エーヴィルは同世代の中じゃ圧倒的だろうからね。環境もいいし、血筋もこの上ない。魔力に恵まれすぎた子供だ。だからこそ、5歳で魔法を使うなんてことができるわけだし。生後2日でコスマウルを焼くようなバケモノを除いたら、すごく早いんだ。ロッソア開闢以来の魔術師と呼ばれたこの俺すら凌駕できる。いや、させてみせる! そうだ、この子は天才じゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
ぱかん。
「イルも黙りなさい」とシーマが見た目だけ笑顔で言った。
はあー、と大きくため息をついて、
「しょうがない。今日はエーヴィルに免じて許してあげよう」とシーマが言った。
「よかったね、父さま、お母さま許してくれるって!」とエーヴィル。
やはり天使だった。
天使かと思ったら、俺のよくできた息子だった。




