1:こっちでは神帝などと呼ばれています
この世界に名前はまだない。というよりも、俺がつけていない。
名前はないが実体はある。
世界には国が3つあり、王が3人いる。
それぞれの国家は魔術と信仰と技術によって成り立っているが、それぞれに強大な国家である。決して仲が良いとは言えないが、それでも3つの国家は各個別に成立していると言える。
どこかの国家がどこかの国家に依存したり、滅ぼされかかっているということはない。小競り合いはするが、国家は国家として独立を保っている。
いわゆる世界の構成要素はまじないと倫理と摂理であり、それらは3つの国家に分担されている。この世界においてはその3つより他に重視すべきことはなにひとつないと言うこともできる。
愛をまじないととるか、倫理ととるか、摂理ととるかはひとそれぞれだが、この世界においてはだいたいその3つのいずれかに分類できる。
もしそれを意図的に分担させた者がいるのであれば、この世界における神と呼んでもいいのかもしれない。
神が分担させた国家はそのままこの世界を統べると言って過言ではない。
そして、分担させたのは俺だ。
世界を統べる3人の王はもうそれなりにいい歳をしているが、王子と呼ばれている。
つまるところ、王子とは所詮肩書であり、そのひと個人を表したものではないということもできる。
魔術国ロッソアのエーヴィル王子。
神聖国メカリアのワイゼン王子。
技術国ヤポニアのルーファー王子。
彼ら3王子が現在のところ、この世界の支配者であると言いうる。
王子なのに?
そうだ。
王の子であるから、王子なのだ。
そして、王が死ねば王子は王になる。
つまり。
王は――俺はまだ死んではいない。
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あ、名前ですか? 本名? 本名というのもなにかヘンですけど、央利一です。こっちでは央利一としてしか生きてないので。
年は22歳です。大学3年ですね。浪人してるので。
向こうでは100年くらい生きてますけど。
転生してから60年くらいはずっと向こうに居続けたので、戻ってきたときは感覚的に80歳くらいですかね。いまはそれから向こうで20年、こっちで2年たっているのでなんだかもうよくわからないですけど。
向こうで60歳のときにこっちに戻る方法見つけたんです。いや、肉体が老いにくい術式をすでに取得していたので、30すぎくらいからはほとんど肉体的年齢は変わらないですけど。
まあ、とは言え、ぼくの感覚だと60年ぶりに死にかけの肉体に戻ることになったんで、リハビリ大変でしたけどね。いまも松葉杖ですし。
それで戻って来られるようになってからは、4往復しています。いまは半月こっちにいたら向こうに5年いるみたいな感じです。
あ、ええ。最初ちょっと3ヶ月くらい滞在してしまって。ですから、事故は5ヶ月くらい前のことですね。こっちの時間では。ただぼくにとってはもう100年前の話なんですけど。
こっちの時間は向こうに行っているときはほぼ止まっています。わりとまちまちな気はしますけど、だいたい向こうに5年いたら3日くらい経ってる感覚ですかね。
向こうは留守にするとだいたい10倍くらい時間が経っています。もし1年こっちにいたら10年経っちゃっている。
あちらでは半月こっちにいると半年弱経ってるんですよね。異世界において、ぼくはいま神に近い存在ですから半年も神が不在っていうのはわりとゆゆしき問題です。
最初はその時間の流れのちがいがよくわからないじゃないですか。3ヶ月ほどリハビリで向こうに戻れなかったせいで世界統一が20年くらい遅れたんですよね。
10年ちかく向こうで不在になってしまって、勢力を取り戻すのに10年以上かかりました。
ようやく向こうを統一できたんで、そろそろこっちでも名乗って行こうかなと。
だから、それからなるべく向こうを主体にしたくなるんです。
ただ向こうでの不老不死だったり、チート能力を維持するには適度にこっちで過ごすことも重要だってわかってきましたんです。そうなるとどっちかに行きっぱなしというのはあまりよくないですね。(『異世界の神としての私』央利一著、架空書房、20**年)
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神帝歴36年――オーリ元年
「は? なんて言った? いま、なんて言った?」とシーマが全力で怒っている。
表情は疲れを隠しながらにこやかであるが、これをシーマの怒りだとわからないやつはバカだ。
だから俺はこっそりと隠れ――
「そこ。動くな」
「……はい」
「どこ行こうとしたわけ?」
「お取り込み中かと思いまして」
「取り込んでるわよ! とんでもなくお取り込み中よ! でも、あなたは当事者なんですけど!」
「……ごもっとも」
「ごもっともじゃないわよ! ふざけてんの?」
もちろんふざけてなどいない。
俺にとってもこの子――エーヴィルは宝だ。
子供を可愛いと思わない親はいない……わけではないというのは残念ながら社会的風潮からあきらかになっているところかと思うが、まあ、一般的には、自分の子供は可愛い。
それは異世界においてもそうだ。
俺にとってはとてつもなく可愛い息子である。なにしろ、転生前の20年と、こっちに来てからの36年。合計56年子供がいない生活をしてきた。
よってエーヴィルが生まれてからの2週間、俺は妻の制止も、家臣の諫言も、神々の忠告すらも聞かずに可愛がり続けた。
まるで一生分をこの2週間に込めるのだと言わんばかりの可愛がりっぷりであったと、いずれこの世界の歴史書には記されるだろう。
でも、だからこそ、父としてときには悲しい選択もせねばならない。
2週間で一生分は甘やかした。まだまだ足りないが、俺にも立場がある以上仕方ない。
「すいません……」
「謝んないで。気分悪いわ」
「ま、まあ、奥様」とイルギィスが言った。
金髪長身で顔かたちは整っているが、絶対的に香る不健康さがイマイチモテない男だ。
魔力は俺やシーマを除けばおそらく圧倒的な存在で、「ロッソア開闢以来の天才魔術師」と呼ばれるだけのことはある戦闘力を有しているとても優秀な男だ。
そして、俺と30年間親友をやってくれている。
地元じゃ友達知らずだった俺とロッソア中央政府付属の魔術大学で知り合って以来付き合ってくれているのだから、なかなかいいやつだ。
俺の性格が悪いとかそういうわけではなく。
「ねえ、イル。あなた、このひとがなにを言ったか聞いたかしら?」
「え、あ、はい」
「そう。聞いたのね。ならもうひとつ質問。いつから聞いてたのかしら?」
「5年ほど前に……」
「ハァ!? 5年!? 5年ですかそうですか。なんなの、なんでそうなるの? バカじゃないの」
「奥様のお怒りはごもっともで――」
「まずね、イル。あなたが私のこと奥様なんて呼ぶときはロクなことないじゃない」
「……いや、でもこういうときはちゃんとしとかないとと思って」とイルは言った。
だからそんな態度は逆に怒りを買うだけだと言ったのだが、36歳まで童貞を続けている女心のさっぱりわからないイルギィスは頑なに持論を譲らなかった。
まあ、どんな口調でどんな伝え方をしたところでシーマの激怒からは逃げられる要素がなかったが。
詰みというやつだ。
この世界でのこれまでの36年間、詰みらしい詰みという状況は数えるほどしかなかったが、現在がもっとも悪い状況と言っても差し支えない。
「いいわ。あなたたちに話を聞いた私がバカだったのよ」とシーマは言った。「離婚します」
「いやいやいやいやいや! お待ち、お待ちを奥方」
「イル?」とシーマが睨む。
「待って、待ってくれ。オーリだって悩んだ末のことなんだ」とイルギィスはしぶしぶ言い直す。
「悩んだ? そんなことはわかってんのよ。私たちはパーティでしょ。事情もなにもかも理解してるつもり」
待て、イルギィス。それはシーマの巧妙なワナだ!
理解を示すと見せかけてまるで理解などしていないときの目だ、それは。
と俺が言うよりも、イルは早く反応してしまった。
「それならオーリのプランは優秀だと思う」
「だまらっしゃい!」と案の定、シーマは言った。「それはそれ。これはこれ」
みるみるうちに縮こまっていくイル。
ああ、なんて可哀想なやつだ。
などと俺が余裕を出している場面じゃない。
場面じゃないが、俺の話などシーマは聞く気がない。
「いや、あの、シーマさん」と俺は恐る恐る口を開く。
「あなたは黙ってたほうがいいわ。死にたくないのなら」
はい。
「ねえ、イル。このひとなんて言ったかしら?」
「ええと……そのエーヴィルを……なんというか、その……」
「そうよ。言い澱むわよねえ。そう。そうなのよ。ふつう言えたもんじゃないと思うわ。このひと、ウチの長男をあなたの養子にするって言ったのよ」
「いや、女の子だったら妻でもよかっ――」
「死ね! 死んで詫びろこのロリコン野郎!」と俺の腹部に痛烈な一撃が入った。
もうすこし下だったなら、俺はきっと次男以降が期待できなくなっていただろう。
そこは最恐のエルフ・シーマさまの手心というやつだ。
おかげで俺は悶絶するだけで済む。
いや、通常なら絶命しているレベルのダメージだ。俺はうずくまりながら必至に回復魔法をかけ続ける。
無詠唱魔法を開発しておいてよかった。
しかし、とんでもないダメージだ。ちょっと夫婦喧嘩の範疇は軽く超えている。
だいたいロリコン野郎って、俺が歳の差36歳で結婚するわけではなく、イルギィスが結婚するのだからその罵りはまちがっている。
とそんなことを考えて痛みをごまかしながら、必死に回復魔法を使い続ける俺。
「さっきからなに回復してんのよ!」
バレていた。
「だ、だって死んじゃうよシーマ」と俺は毅然とした態度で言った。
「死んじゃいなさいよ! バカ! なんなのよ! バカオーリ。オーリバカ。バカ!」
「……いや、その……すいません」と俺は言った。
彼女の気持ちもよくわかる。
出会って30年、結婚してからでも15年。そのあいだ世界統一のために子供を持たず、待ちに待って生まれた我が子を夫が2週間で養子に出すと言い出したのだ。
そりゃまあ、ブチ切れるのも無理なからぬことである。